のろい

 小さい頃よく「のろい」と言われていた。
 行動が遅いという意味だ。ショッピングモールで車から降りるのがいちばん遅かった。部活動でどれだけ早く着替え、準備を終えたつもりでも、グラウンドに着くのは後ろから数えたほうが早かった。そしてそれを「できないヤツ」とはっきり分類し、矯正しようとされていたことを覚えている。
 「のろい」という言葉が僕にとっては本当に「呪い」のように思え、早くしろと言われるほど余計に身体が重くなった。


 僕が時間という呪いから免れる場所があった。
 それがカフェと公園だった。歳を取るにつれて時間がゆっくりと感じるということをセネカか何かの本で見たことがあったが、歳召した人がそう感じる理由がわかったような気がする。

 老化を防止するために必要なことは何だかわかるだろうか。それはからだの邪魔をしないことである。元来人間にはからだを浄化する機能が備わっている。それを邪魔しているのが不摂生、つまり自分自身だ。自分で自分に呪いをかけているのだ。だからこそ必要なことはものを増やすことではなく減らすこと、さらに言えば本当に大事なモノだけを残すことだ。(まるでミニマリストである)
 何もしない、それが必要だった。


 カフェに行くことが増えた僕は本を読みふけるようになった。まだまだ赤子同然ではあるが生来の歴史好き、言葉好きが量と幅を波状的に増大させた。言葉という曖昧で、極小の切り口を通った先に広がる、複雑で膨大な思考や概念。その中でも何十年も何百年も継がれる作品やはたまた言い伝えレベルの逸話までも魅力的なものに思えた。
 数は少ないものの、もともとアニメや漫画も好きで最近は特に映画館で観るそれらの魅力にも漸く気づいたと思う。
 ゆっくりと時間を忘れて作品に没頭する、その時間がたまらなく至福に思えた。同時にこれは一生続けるだろうと思う。


 二十一歳の誕生日の日に『呪術廻戦0』という映画を観た。数週間もすれば興醒めしてしまうのではないかという若干の恐怖があるが、覚めぬうちに僕は残したかった。

#エッセイ #随筆


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