暇あらず【エッセイ】

 私は遠出をしていた。
 家から一里ほど離れた丘の上に大きなショッピングエリアがある。洋服屋、飲食店、スーパー、ホームセンターまで立ち構えており、ひとまず立ち寄ればある程度の暇を満たすことができる。

 久しくマクドナルドへ立ち寄った。
 私の目の前に1人の男がいた。着古したグレーのパーカーに裾上げの為されていないダボダボのジーンズ、靴はよく覚えていない、メガネをかけていた。年齢でいうと31歳ぐらいであろうか。出番が訪れるとしゃくり上がった口調で淡々と注文をしているようだった。店員の表情を伺ってみると、その男は実にしゃくに触る面倒な客だった。

「一番安いものどれですか。」
「それですと、こちらですね。」
「はい、じゃあそれで。」
店員は一瞬間を開け、
「かしこまりました。」と言った。

 瞬きが多く、仕切りの上辺に手をかけ貧乏ゆすりをしていた。その男を傍目に、後に注文をしたはずの私が品物を受け取ると、透かさず男は店員さんのほうへ詰め寄って行った。若い人間のそういう行動はどう解釈を変えても見ていられないので、足早にイートインスペースへ向かった。


 ファストフードを専門としている店とはいえ、この店のカフェラテの味は格別である。深煎りした豆のきめの細かい香りが、水に紙を浸した時のように、じっくりと浸透してくる。極め付けには温度まで完璧で、猫舌の私にとってもすぐに口をつけることが出来るほど、丁度良い温かさであった。

 イートインスペースは隣のフードコートとの共用になっていた。その入り口側から見てちょうど境目となる位置に私は座っていた。  

 フードコートのほうを見ると、ある老人が中華そばの汁を、おちょこ一杯分ほどこぼしてしまっていた。汁物を運ぶにはそれなりに繊細な手元のキープ力が必要となる。その老人にとって、その中華そばは少々重荷になってしまったのだ。ティッシュを渡そうとしたが、老人は自分自身で紙ナプキンを取りに行き始末を済ました。

 不意に目に入ったのは、それを見て何か耳打ちしている親子と見られる2人であった。それもその子どものほうは先程の厄介な男であった。男の身の上が気になったが、今となってはどうでもいいことだった。店を構えれば様々な客が現れる。店員がその店の評判や見栄えを表すように思えるが、そこに訪れる客の為人によって変化しうるものでもある。


 ある言葉が目に入った。
 「どなたさまもご利用になれます」
不思議な日本語だった。それと同時に私は哀しい心持ちにされた。そこには客と店員との間で、まるで殿と家来のような、本来は対等であるはずの両者の間に大きな隔たりがみえたのだ。

 私は、通っている勤務先でアルバイトを行なっている自分を、逃れることのできない檻の中で餌をもらうことしかできない野犬のように思えてきた。

 私は帰宅した。身体よりも精神が疲弊しているのはいつものことであった。

「賜(し)や、賢なるかな。夫(そ)れ我は則ち暇あらず。」 超訳 論語(リベラル文庫)

#論語 #読書の秋

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