さいごの通信


 あの出来事を知って衝撃を受けたのは無論、私も同じでした。最初に聞いたのは父からの連絡でした。

 とりわけ私の家族とも顔見知っていた間柄だったので、殊に出来事が身近に感じられました。なんだかその光景がありありと思い浮かんでくるような気がして、身の毛がよだつほど震撼したのを覚えています。しかしながらその時私は、震撼と同時に奥底では至って冷静で、その冷静さが妙に奇怪で、何よりも不謹慎なのではないだろうかと思うほどでした。

 高校時代に遡るのですが、人となりを思い出すと、ことに現実主義で、文学というよりはそれに正対する、近代科学的な、実に「効率的」、「合理的」な思想を持たれる方だという印象がありました。それも、私から感じ取ったものだと、「近代」という言葉を実に多用する方だと思いましたが、学問上仕方がないことだと偉そうに諦観の念を持っていました。

 これも何かの縁なのか、これまでまったく精通していなかった文学に興味を持ちはじめ、貪るように読みふけっていました。いや、元来私の歴史好きの性質からいえば、時間の問題だったのではないかと思い、高校時代の自分の意固地な部分に口惜しさを覚えます。

 ちょうど今年の夏頃、大学の掲示板に或る小さな随筆・エッセイの公募を見つけたので私はこれを機に文章を書き、応募してみることにしました。

 その最中に飛び込んできたニュウスでした。私はその出来事を書こうか、幾分悩みましたが、畢竟違うエピソードを題材にしました。その出来事は私にとって強く衝撃を与えたのは確かなことであったのですが、どこか仰々しく託けているように思えてきたのです。命をどこか軽視してしまう人間になってしまうのではないかと思い、自分の非情で乾きかけたみたいな性根が見えたように思えて泣きそうになりました。何よりも私のような駆け出し者でぽっと出の人間の書く力、持ち合わせた観念では表現しきるには足らず、薄っぺらなものしか書けないとしか思いようがなかったのです。しまいにはそもそも自分は何を書きたかったのかさっぱり分らなくなってしまいました。実際そのエッセイは、弘前での友人との質素な交歓によって生まれたものを活写しようとしました。「しようとした」と表したのも、結果それがとんだ駄作であったからです。

 ある時、私が通っていた高校に同じく属していた同級生の男たちが集まっているLINEグループに一枚の写真が送られてきました。最後の学級通信でした。呆れるほど恥ずかしいことに、私はその時はじめてその通信を読みました。いや、もしかしたら既に読んでいたのかもしれませんが、それを咀嚼できるほどの「素直さ、前向きさ」を持ち合わせていなかったのでしょう。かくして私はもう一度、その通信を隈なく読みました。

 文学、芸術、無駄は決してなくてはならない、さいごにそう教わりました。

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