居間

 冬の静まった居間はいつもあたたかい。それは時間が経てば熱気に変わるので、一時的に戸を開けてはみたものの、一瞬で居間の熱気を凍り付かせてしまうので、その不器用さにはつくづく呆気にとられる。故に私はそのまま炬燵から身を出すことはできないのだ。下半身を殻に閉じ込め、歳末のテレヴィに目を遣ると再放送の番組が番組表を埋め尽くしている。

 居間は八畳ほどの広さではあるが、中央には畳一枚ほどの大きな炬燵が置いてあり、壁にかかった二十枚の写真や、そこらに雑多にまとめてある新聞や電子機器、それらが混在しているのでそれほど広く感じる空間ではない。そうは言ってみるも狭いわけでもないので、不思議な空間に思える。見渡してみると決まって壁に掛かってある古時計のすぐ下に吊るされている日めくりカレンダーが目に入る。私は残り紙の薄さに二〇二一年の終わりを実感している。

 得てして年越しはこの居間にいる。居間の一部になっている。私はごく自然に数週間先のことを考えたが、なんだか余計なことをしてしまった気がしたので、ため息をつき体を横にし、テレヴィに目を移した。頭の空白はテレヴィが埋めてくれる。それは年を重ねても変わらない。テレヴィはいまを流し続けた。同じCMが何度も繰り返し流れる、しかしそれも今である。今は一瞬だった。

スマホを手に取り、メッセージアプリを開くと、ロングヘアを持つたぬき顔の女が写っていた。女の髪は真冬の夜空のように深くどっしりとしていて、それが、色白な丸顔を引き立たせる。その顔はいらいらするほどに愛らしいたぬき顔だった。この女ももうすぐ始まる紅白歌合戦に出るのかと思うと、なんとも言えない感慨深さを覚える。私は立ち上がり、ビタミンドリンクを取りに台所へ向かった。

 時は経てども居間にいることは変わらない。私はまた居間に戻り、炬燵に身を込める。冷酷ないまはいつもどこかあたたかい。

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