それを見たのは偶然だった。冷え症である故、日が短くなり寒さが堪える季節になると、おのずからホットドリンクコーナーに足が向いてしまう。その時私が見たのは青いエメマンの缶であった。不思議と安心感を覚えた。まるでショッピングモールではぐれ、焦りかける鼓動の中、家族を見つけたような感覚であった。

幼少期、実家では米とニラの栽培を主とし、農業を営んでいた。住まいから2・3町(200mほど)離れた場所に作業小屋があり、しばしば私と弟は小学校から下校すると自転車を引っ張り出し一目散に小屋へ向かった。

小屋へ入ると、ニラの括り作業を行なっており、祖母と顔馴染みの数人の御手伝いさんたち、各々が椅子に座っていて、あちこちからテープを引っ張る音や専用の機械の音が聞こえた。ガラガラと戸を開ける音とともに、御手伝いさんたちの顔が和らいだのがわかり、いつも私たちを孫のように出迎えてくれた。私と弟はその勢いに圧倒され、挨拶をすることすら恥ずかしくなるほどであった。たまにニラ括りを手伝ったことがあった。
作業小屋は1000平米ほどのもので、中央にニラ作業用の大きな机が置かれてあり、入り口の戸のすぐそばには1人用のソファと、使い古された勉強机がある。そのすぐ手前の窓際には重ねられたベニヤ板の上に茣蓙を敷いた簡易的な座敷があって、いつも私たちはそこで遊んでいた。

ガラガラと戸が開く音がして、それはトラクターで代掻き*を終えた祖父であることがわかった。祖父の表情はいつも清々しい様子だった。
(※田植えをするために水田に水をひき、そこで浮き上がった土塊を砕いて均す作業)

作業がひと段落したと見るや、祖父は私たち兄弟を呼んだ。祖父はいつも「一服」と言っていた。無論私たちは飛び上がり、すぐさま軽トラックに乗ろうとした。(祖父はいつも軽トラのことを「軽トラック」と呼んでいた。)しかしながら、その軽トラックは2人乗りなのでどちらか1人が着いて行くことになっていたが、不思議と私たちが揉めて喧嘩したことはあまり無かったように思える。

5分とちょっとかかる場所であった。駄菓子屋と言うよりはもう少し大きな自営のコンビニのようなお店だった。自販機が4つほど並んであり、タバコのものまである。私はその場所がたいそう大きな場所に見えた。ガラガラと戸を開けると、俄に冷凍庫の匂いがし、すぐに右手のほうを向く。狭い店内だった。おそらく人がすれ違うことはできないような小さな店だった。私はその店について、アイスの場所以外はほとんど覚えていない。その上、アイスすらどの種類のものを買っていたのかもほとんど覚えていないが、とにかく祖父が買ってくれたアイスは格別であったことは覚えている。弟、祖父、さらには小屋にいる祖母や御手伝いさんたちと一緒に食べるため、私はその場で食べるのを我慢した。袋に入れたままのアイスが気になって仕方がなかったが、「一服」という如何にも奇妙で不思議でどこかしみじみとした安らぎを持った言葉に丸め込まれていた。

小屋へ戻ると真っ先に向かうのは、入り口のすぐ隣に併設されてある小さなポンプ小屋だ。そのポンプ小屋には小さな冷蔵庫があった。上部の小さなドアを開けると冷凍庫になっており、四方がガチガチに氷の壁と化した狭いスペースに人数分、6個のアイスを詰めドアを閉めた。
冷蔵庫を見ると不意に開けたくなるのは何故だろうか。私はすぐ下の大きなドアをあけた。するといつも4・5本のオロナミンCと冷蔵庫を埋め尽くすほどの青いエメマンの缶が詰めてあった。思わず吹き出しそうだった。
その冷蔵庫にはいつもアイスとエメマンがあったことだけははっきりと覚えている。

中学3年の夏、私と弟は同じ部屋にある各々の勉強机で夏休みの課題と対峙していた。エアコンがない部屋なので、2つの大きな窓を全開にし、簾が掛けられていた。窓の底辺が足元の位置まであったので、たびたび机の上の筆記用具やらが家の外まで転げ落ちることがあった。
8月の最上地方はあちこち生い茂る木々から蝉の音が聞こえ、その暑さをも増幅させるように木魂(こだま)した。
私はイスから立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。思わず吹き出しそうだった。実家の冷蔵庫にまで青いエメマンが置いてあった。ファンタオレンジとそのエメマン1缶を手に取り机に戻った。ファンタのほうを弟に渡した。
「それ飲むん?」
「んだよ」
「じいちゃんじゃん」
私は祖父の真似をした。慣れた手つきを醸し一口飲むと、「ぇぅ〜」と仰々しく言った。弟は抱腹絶倒した。私も思わず吹き出し、音の無い笑いが夏の音の中に生まれた。

手に取ったエメマンは少し熱かった。ホットドリンクは猫舌の私にとっては熱すぎるぐらいなのだ。しかしながら、二十歳になってからホット特有の香り、僅かな味の違いというものがだんだんとわかってきた気がする。その日私はそのホットのエメマンを買うのを諦めた。買わなかったことに何か特別な理由があったわけではないが、今は亡き祖父を想起させるのは冷蔵庫にあるあの青い缶に他ならなかった。

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