#252 うつ病発症139~140日目・発症後397日目 ~体力づくりが必要と痛感した~

昨日から今日にかけて,友達が泊まりで遊びに来てくれて,一緒に愛知県内をいろいろと観光しました。

昨日は朝から夕方までドライブして,今日は電車や徒歩で移動したのですが,こういった活動で疲労困憊です。疲れて疲れて仕方ありませんでした。

体力の低下を痛感しました。まあ,普段全然運動していないので,体力が落ちるのは仕方がないんですが,とはいえ,2日間だけの観光で,ここまで疲労が蓄積するとは思いませんでした。

体力の低下を痛感したことで,体力づくりが必要だと思うようになりました。現状の体力のままだと,毎年夏にへばってしまうからです。今の僕だと,気温や湿度,天気に体調が左右されてしまい,自分のやりたいことができるかどうかが,毎日予測できません。

それじゃあ,嫌なんです。夏も冬も関係なく,気温や湿度に影響を受けることなく,やりたいことを続けたいのです。そのためには,やっぱり,体力づくりが必要なんです!

来てくれた友達は,普段から定期的に運動しているおかげで,僕のように夏の暑さにへばることもありませんでした。体力の多い・少ないが,その日を元気に過ごせるかどうかを左右したのです。

こう考えると,体力づくりは,毎日元気に過ごして,やりたいことを続けるために不可欠です。

だから,これからは,毎日11時には布団に入り,7時半~8時の間に起床し,起床した後にバーピージャンプと腹筋をする(20秒・10秒のインターバルで1回ずつから始めて,1週間毎にどちらかを1回ずつ増やし,最終的には両方10回ずつできるようになったらいいな),ということを考えています。

トレーニングを実践するだけでなく,睡眠リズムを整えることも,体力づくりには必要です。

なんか今日はめちゃくちゃに意識高い感じですが,明日から実践します!

今までは,頑張り過ぎたら体調を崩すということがよく起きていたのですが,最近は,日中の活動量が少なすぎて寝つきが悪くなる(元気が余っていて眠れない)ことも起きてきました。

なおかつ,仮に頑張り過ぎて体調を崩してしまった(寝つきが悪くなったり中途覚醒したり)としても,その体調不良は,そのうち必ず好転します。

僕は,うつ病発症から今日で397日も経過していますが,今日までの397日間ずっと,調子良い→調子悪い→調子良いのループを繰り返しています。だから,少し無理して調子を崩しても,心配ないのです。そのうち好転するからです。このことは,今日までの397日間で充分に証明されています。

なんか,「無理したら調子悪くなる」と思って,無理して頑張ることを控えていたのに,「元気が余って寝つきが悪くなる」なんて事件に遭遇してしまって,本当にムカつきました。

こうなったら,少しずつ無理してやろうと思います。無理して体調を崩しても,どうせそのうち好転しますし,「体調を崩さずに無理しないでおこう」と思ったら,その配慮のせいで調子を崩してしまう有様なので,この配慮はこれからは不要で,体力づくりにいそしんだほうがいいのです。

僕が生きている限り,必ず毎年夏はやってきます。冬もやってきます。そして,夏は必ずクソ暑いし,冬は必ずクソ寒いのです。そんなクソ暑い期間も,クソ寒い期間も,やりたいことはあります。クソ暑い期間とクソ寒い期間を乗り越えるためには,体力が必要なことを考えると,ずっとやりたいことを続けるためには,体力の維持が不可欠なのです。

僕は,体力がないせいで,やりたいことがストップしてしまうのは,絶対にイヤです。だって,多分,めちゃくちゃに悔しいから。日頃からコツコツと体力づくりしていれば,天候や気温に左右されずに済んだのに・・・と思ったら,悔しくて悔しくて仕方がないと思います。

そんな悔しい思いを味わいたくないから,体力づくりをしておきたいと今日は思いました。

・自分の体力がないことが原因で気温や天候に体調が左右され,やりたいことがストップしてしまうのはめちゃくちゃに悔しいから,体力をつけることで,その悔しい思いを避けたい

・「無理したら調子悪くなる」という(僕の中での)これまでの定説が崩れ,「無理しなさすぎて寝つきが悪くなる」ことを経験した結果,無理してもOKな状態まで回復が進んでいる

・無理した結果体調を崩したとしても,そのうち体調は好転するので,心配無用

こういう理由で,毎日運動を取り入れようと思います。

「毎日」というのがミソです。このブログを252日連続で続けてきて心から実感しましたが,努力は毎日続けるのが一番ラクです。このブログも,「週3回」とかだったら,絶対に続いていません(笑)

毎日続けるからこそ,「ラク」に続けられているのです。

だから,なるべくラクに運動を続けるべく,「毎日」続けようと思います。

ちなみに,体力づくりの目的として,「天候や気温に体調を左右されないようにすること」を書きましたが,しかし,全然左右されなくなるということはないと思います。うつ病を発症した結果,自分の体調が,かなりの程度,天候に左右されることは何度も経験して理解しましたので(笑)。

ただ,その左右される度合いをなるべく小さくしておきたい,ということです。正確に言えば。

「これで天候と気温に全然左右されないはず!」と過大評価すると,その期待に反して体調が悪くなった場合にメンタル面への悪影響が大きいので,得策じゃありません。「どれだけ体力をつけても,左右される可能性はある」ことを前提に,できる範囲で体力をつけていこうと思います。

「できる範囲」というのも大事ですね。僕は別にアスリートになりたいわけじゃなく,別のやりたいことを続けるための素地として体力をつけたいだけなので,体力づくりに割くことのできる時間は限られているからです。

さて,前置きはこれくらいにして,今日もうつ病の経過を記録していきます。(第1回目はこちら。第2回目も大事なのでこちらからどうぞ)

【過去のこと・思い出したこと(発症139~140日目)】

このブログでこれまでの経緯を結構きれいにまとめられたと思っているので,ご覧くださるとうれしいです。

さて,昨日からの続きです。

・11月25日㈪:この日で,うつ病発症から139日目,実家療養を終えて一人暮らしを再スタートさせてからは60日目です(9月27日~)。一人暮らし再スタートから60日が経過し,ひとりでの暮らしにも少しずつ慣れてきています。11月7日から「午前中の散歩」を始めていて,これがうつ病の回復を大きく後押ししています。(こちら

それに加えて,この頃は午後9時にはパソコンもスマホも部屋の電気も消して午後11時には就寝する,という不眠改善作戦も実行しています(これが奏功したのかは結局わかりませんでしたが)。(こちら

この日は睡眠時間が記録されていませんが,あまり調子は良くないようです。というのも,朝から散歩に出かけていますが,出発時刻が午前10時13分と遅めだからです。もっと早くから目は覚めていたのに,ベッドから起き上がれず,ゴロゴロしていたと思われます。10時47分に散歩を終えて自宅に戻っています。その後,11時43分に自宅を出て,自転車で精神科に行っています。傷病手当の申請書(ドクターが記入するやつ)を渡しただけで,すぐに移動しています。少しドラッグストアで買い物した後,12時22分に帰宅しています。午後3時から整体に行き,帰りにスーパーに寄って,午後4時26分に帰宅しています。この日はこれで終わりです。活動量は多めですが,調子はあまり良くなさそうです。

・11月26日㈫:この日も活動開始が遅めです。散歩に出たのは11時28分です。前日に引き続き,この日も朝から元気が乏しいようです。

疲労感がめちゃくちゃあるのに,寝つきも悪く,かといって,朝遅くまで眠れるわけでもなく,朝早くに目が覚めてしまう・・・。

疲労をとりたくて眠りたいのに眠れず,疲労感が満載だから,ベッドから起き上がることもできない・・・。

うつ病の調子が悪いときの朝は最悪です。

そんな最悪の朝でも,なんとか起き上がって,11時28分に自宅を出て散歩に向かっているのは,本当によく頑張ったと思います。この日は,12時3分に散歩から戻った後,4時45分にすき家へ夕ご飯を食べに行くまで外出せず,なおかつ,外出はその1度だけで,5時9分には帰宅しています。

この日は本当に調子悪そうです。

→今日はここまで

【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症397日目)】

・今日できた仕事・勉強

今日は休みでしたが,1日中外出していたので,読書していません!

・仕事・勉強以外に今日やったこと

岡崎城に行きました。岡崎城は,徳川家康生誕の地として有名なんですが,岡崎城には資料館が併設されていて,徳川家康の歴史について詳しく勉強することができました。

もともと,徳川家康は,今川家(今川義元)の人質となっていたこともそれなりに知られていますが,どうして人質になっていたかというと,徳川家康は松平家の生まれで,この松平家というのが,三河地域を一応治めていたんですが,もうめちゃくちゃに小国で,大国の今川家の植民地みたいなもんだったんですね。で,小国の松平家は,今川家の植民地支配に服することの証拠として,息子の家康を(当時の名前は「竹千代」)を,今川家に人質として引き渡すことになってしまったんです。

まあ,歴史を振り返れば,こんなことはよく起きています。

で,そうやって,松平家は,今川家の植民地支配に服していたわけですが,転機が訪れます。

(ちなみに,この「松平家」は,三河地域の荒くれ者だった人が創始者なんですが,その創始者が,鎌倉幕府の源家の血を引いているらしく(本当かよとツッコミたくなりますが),そのおかげで,家康は征夷大将軍になる資格があったんですね。信長や秀吉は,血統的に征夷大将軍になり得なかったのですが,この点,家康は違ったのです)

有名な「桶狭間の戦い」です。今川家当主である「今川義元」を,織田信長が討ち取ったやつです。

これで,今川家は「大国」ではなく,「織田信長に負けた国」になってしまったわけです。

桶狭間の戦いの結果を聞いた家康は焦ります。そりゃそうですよね。だって,今川家を倒した信長が,今川家の植民地として,(一応)今川家に忠誠を誓っていた松平家も滅ぼそうと思ってもおかしくないからです。

だから,桶狭間の戦いの結果を聞いた家康は,一度は自害しようと思うんですが,自害しようと駆け込んだお寺で,「この戦乱の世を誰かが平定しなければならない」とありがたいお言葉を伝えられ,考えを変えます。

考えを変えた家康は,戦乱の世を平定するべく,次々と三河地域の国を征服し,松平家の領土をどんどん広げていきます。

ちょっと独り言ですが,こんな家康を見ていた信長は,焦らなかったんですかねぇ。

だって,家康には間違いなく,武将としての才能があったわけですよ。近所の国々を次々と征服できたわけですから。どんどん領土を広げていく家康を信長は早めに殺してしまうのではなく,領土を広げさせた上で,同盟を組みました。

こう考えると,家康というのは,今川家の植民地支配を受けていた小国・松平家の跡取りでしかなかったのに,今川家を討ち取った織田信長と同盟を組めるまでにのし上がったわけで,その出世街道はなかなかのものです。

信長としては,自分で三河地域を征服するよりも,家康に任せたほうがラクでいいなと思っていたのかもしれません。

で,信長と家康は同盟を組んだわけですが,領土の位置関係でいうと,信長の領土が西で,家康の領土が東です(信長の領土は元今川家領土も含め,かなり広くなっています)。そして,家康の領土のさらに東があって(今の静岡県浜松市あたり),そこを治めていたのが北条家です。この北条家は,もともと,家康とは良好な関係だったのですが,前当主が亡くなると,跡取りの息子は,家康との良好な関係を断ち切り,そのまたさらに東を治めていた武田家(武田信玄)と親しくなります。

その結果,信長・家康同盟軍と,北条家・武田家同盟軍が対立し,戦争となったのが,長篠の戦いです。

信長・家康同盟軍が鉄砲隊を編成し,「最強の騎馬隊」と呼ばれた武田軍に圧勝したことは有名ですよね。

僕も,こんな歴史,昨日まで全然知りませんでした。岡崎城に行って,勉強できてよかったです。

というか,歴史の本を何冊も読んでいると,歴史の読み方が感覚的に身についてきます。そのおかげで,歴史の読み方もかなりうまくなりました。茂木誠先生のYou Tubeも,何度も見ていれば,歴史の読み方が身につきます。こういった,これまでの勉強のおかげで,「植民地支配」とか,そういったわかりやすいワードに置き換えて,歴史の流れを自分で理解できるようになりました。

【今日のうつ病】

昨晩は午前1時15頃に布団に入りました。友達と遅くまで深酒をしてしまい,ベロンベロンで気絶するように眠りにつきました。そのせいで,全然熟睡できないまま(深酒すると僕は眠りが浅くなるタチです),朝7時30分頃に目が覚めました。酒が残っていて,朝の体調は最悪でした。今日も天気がよく,気温が上がり,それもあって,昼ごろまで体調はかなり不調でした。しかし,夕方ころになると,だいぶ調子も戻ってきました。めちゃくちゃに疲労感はありますが,いまはだいぶ回復してきました。

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!

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