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逃げてしまう気持ち

知り合いの愚痴が、聴きたくなさすぎて、
私は逃げた。

負のオーラと
怒りのエネルギーが強すぎて、
私の身体が耐えられなかったからだ。

最初のうちは、愚痴を聞いてあげるのも
人間関係の上で必要なことと思って
聴いていたが、身体が壊れた。

強いストレスで、半年の間に3回も40度越の熱が出た。

私が原因の愚痴ならともかく、
全く別の誰かに対する怒りや、
どうにも出来ない状況やトラブルに対する愚痴で、
本人に言えないので、私に言いに来ていたのだ。

お世話になっている人の愚痴や、言葉の暴力には
耐えなければならないと、
どこかで思っていないだろうか。

特に母親の愚痴とかは、最たる例だと思う。

幼い頃は、嫌われて、お世話してもらえなかったらどうしようと思って、文句が言えないし、
大人になってからは、育ててくれた恩もあるし、
無下にできない気持ちがある。

何より、その人が、
好きな人や、大切である人であればあるほど、
その仕打ちに耐えてしまう。

でも、何人たりとも、私を、あなたを
サウンドバックにして、ゴミ箱のように
八つ当たりする権利はないのだ。

誰であってもだ!

協力するつもりがないわけではない。
力になりたいとも、思っている。

助けが必要なら、落ち着いて、冷静に頼めばいいのだ。
話を聴いてほしいのなら、
普通に聴いてほしいんだけど今いいかなと
言えばいいのだ。

いくら、感情が高ぶったからといって、
身近な甘えられる人間に、ぶつけて良いわけない。

そういうとき、される側も
変な正義感で我慢しない方が良い。

冷たいと思われようとも、
逃げた方が良いと私は思う。
逃げていいとおもう。

そして、逆に私が愚痴ってしまった時、
逃げる人を責めたくないなと思う。

逃げる人の気持ちが分かるから。


さくらももこさんの「おんぶにだっこ」を読んで、
幼い頃の罪悪感は、大人になってからのより、
強烈だったなと思った。

悪気なく、誰かの物を捕ってしまった。
悪気なく、傷つけてしまった。
逃げてしまった。

幼い頃は、小さな出来事でも、深く感情が動いた。


私は小学生の時、幼馴染みの友達と、漫画を描いていた。
お互い別の漫画を描いていたのだが、
私の家で、一緒に描いた後、
その子の漫画の一部がなくなってしまった。

「彩ちゃんの家にあるはずだから返して」
と言われた。

その漫画を見た記憶がなかった私は、
「無かったよ」
と答えた。

「絶対あるはずだから、怒らないから返して」
と言われ、
まるで私が捕ったような言い方に少しムッとしながらも、
しばらく自分の部屋でその漫画が見つかることはなかった。

それが何ヵ月かして、大掃除か何かしている時に、
ひょいと出てきた。

別に隠した訳でも、盗んだ訳でもないのだから、
「あったよ」と一言言って返してあげれば
良かったのに、
当時私は、変なプライドが邪魔して、
ついに言い出せなかった。

挙げ句の果てには、罪悪感に耐えられず、
証拠隠滅の為に捨ててしまった。

あの出来事は、未だに私の心に深く残っている。

言い訳に聴こえるかもしれないけれど、
人間は弱い。

正しいことだけを潔癖にやり続けるには、
あまりにも弱い生き物なのだ。

さくらももこさんのエッセイで、
ももこさんも私と似たような体験をしているのを読んで、もしかしたら、大半の人も、そうなのではないかと思った。

もちろん、正直に言うのが一番良い。

でも、私は言い出せない弱さを知っている。
逃げるしかできない時があることも知っている。

人間は弱い。

さくらももこさんの「おんぶにだっこ」は、
題名に反して、凄く考えさせられる内容なので、
まだ読んだことのない人には、是非読んでもらいたい。





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