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生物としてのゲイの話2

その1からの続きです。


環境要因と遺伝子について

同性愛に限らず、遺伝子と環境要因は関与するといわれているが、実のところよくわかっていない

例えば、全く同じ遺伝子をもつ一卵性双生児(双子で見た目が同じパターン)が、別々の人間に引き取られて、全く違う環境で育てられたとする。すると、性格や考え方はまったく異なる2人になるので、いわゆる心因性の部分(内向的とか外向的とか)は、環境要因で決まるのではないかというものだ。

ただし、これも遺伝子がまったく関与していないとは言えない。

たとえば、キリンという動物は、他の動物より有利に高いところの葉っぱを食べられるように首が長い生き物になった。つまり、環境要因により遺伝子に何かしらのスイッチが入り、首を長くしたほうが生存できると、進化したと考えられるわけだ。

同じ遺伝子をもっていても、異なる環境要因によって、スイッチが入ったり、はいらなかったりすることがあるということなのだ。

自然界における同性愛

長らく同性愛が遺伝子の突然変異だとか、病気だとか言われてきた理由として、生物は子孫を残すために産まれてきた、その摂理に反するはずがないというものがある。つまり、ゲイは一時的な気の迷いなんだという主張である。

とくに同性愛嫌悪の人たちは、動物とは違い、人間だけが快楽のためだけにセックスをする、つまり同性愛者は快楽を得るために同性を好む性的趣向がおかしい変態だろうという間違った偏見があると思われる。(お前はゲイになったことがあるのか?と言いたくなるが)

ところが、近年、人間以外の動物にも同性カップルは当たり前のように存在することがわかってきた。動物たちは言葉を介せないから直接の気持ちを聞くことはできないが、自然界の生きるか死ぬかの世界において、あえて同性カップルが存在するということは、単なる性的な快楽の趣向とはまったく異なるものの証査といえる。

言い換えれば、生物としての長年の進化の過程で、同性愛が存在しているということになり、これは自然界において嘘偽りようがない事実であって、同性愛は何かしらの意味をもっていると考えられることになる。

同性愛の意味とは

自然界の動物は、主に群れで集団生活をしており、通常はオスとメスがつがいになって片方が卵を温め、片方はエサを調達するなど、分担して子育てをする。
しかし、中にはオス同士、メス同士のペアで活動し、メスとオスの代わりに卵を温めたり、ベビーシッターをしたり、ときには外敵から身を挺して戦ったりするというのだ。

つまり、同性カップルは自身は子供を産まないが、種族を絶やさないように群れコミュニティのために協力している、というわけだ。


ここからは僕自身の個人的な意見だが、これが同性愛者が存在する理由なのではないか?そう思うのだ。人間はいつしか食物連鎖から外れて頂点に君臨する存在までになった。別の種族の外敵から身を守ることはもはやないが、その名残なのではないか?

現代社会に置き換えて考えてみれば、ぼくらゲイやビアンは直接子孫は残さないが、人間社会のために育休や産休を取らずに働き、経済を回しているといえるのではないか。
ヒトという社会的なコミュニティを維持するために働いているとも言っていいかもしれない。(ストレートの男女と対立したいわけではないので、誤解しないでほしい)

さいごに言いたいこと

ゲイやビアンは、病気や遺伝子の異常ということではないし、自然界でも当たり前に存在しているという事実をまず知ろう。
そして、自然界に存在しているということは、同性愛は必要だと生物の進化の歴史、その遺伝子が判断していると思われるということ。
自分はおかしい存在と思っているゲイやビアンの方がいれば決してそうではないと、動物たちが示してくれていることを伝えたい。

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