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「答えがない」、「正しい答えを求めない」のが大事であることが多い話
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note マップ – おがさんの絵本 (ogasan-ehon.com)
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最近よく思うことがあります
「明確な答えをださないこと」が「答え」であるということです
例えば
認知症の高齢者の方が間違ったことをしたとして、それを正しく矯正することに意味があるかどうか
「今日の日付」を間違っていたとして、「それは間違っている」と強く指摘したり、訂正したりすることは本当に正しいことなのか
それでその方との関係性が悪化することになっても「支援の答え」として正しいのか
子どもが間違ったことを言った、やったとして、それを正しく矯正することに意味があるかどうか
子どもが「信号の色は赤と黄色とピンク」と言っているのを「それは間違っている」と強く指摘したり、訂正するのは本当に正しいことなのか
お子さんの見えてる景色も考え方も分からないのに、それは「関わりの答え」として正しいのか
往々にして世の中には
「自分が信じる正しいことを追及することで、上手くいかなくなること」
が多いのではないでしょうか
「自分の正しさの証明を突き付けること」が「答え」ではないでしょう
そりゃ、日付は絶対的に正しい答えはあるし、信号だって色は決まっている
しかし、本当に必要なのは「答え」ではなく、
「本人に寄り添うこと」
「一緒に考える姿勢」
ではないでしょうか
そう考えると自ずとかける言葉も行動も変わると思っています
もちろん、周囲に迷惑をかけたり、犯罪になるような間違いは止めなければなりませんし、矯正することも必要でしょう
しかし、
「全部がそうではない」
というのも他者と関わる上で必要な考え方なのではないでしょうか
以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。
質問等あれば、書き込んでいただければ
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