トト

私が生まれた時にはすでに神様ファーストの宗教にハマる母と、 そうなった原因を作った浮気…

トト

私が生まれた時にはすでに神様ファーストの宗教にハマる母と、 そうなった原因を作った浮気を繰り返す父を持った私の生き辛さマックスの 半生を書いていきたいと思います。

最近の記事

育児で辛かったことの一つは夫に頼れなかったこと

前回の記事にスキをしてくださり、 ありがとうございます。 最近SNSなどで、育児の不安を涙をポロポロ流しながら夫に話している動画を目にした。 夫は心配そうな顔で赤ちゃんを抱くのを代わり、奥さんの髪を撫でて寄り添っている。 カメラをセットして、さあ今から泣いて訴えるぞ!と準備していると思うと興醒めしてしてしまうけど、ああやって自分の抱えている不安を 夫に話して理解してもらえることは、子育てしていく上で一番大切なことだと思う。 男女平等だという時代になって来てはいるし、 子

    • 育児で辛かったことの一つは実家に甘えまくるママ友に呆れつつ羨ましかったこと

      私の子供はもう10代になった。 ここまで育てるのは本当に大変だった。 幸せもたくさんもらったし、親にならせてもらって感謝してるけど、子育てはそりゃ老けるわけだなと 思わずにはいられない。 息子が生まれる前に「生まれてすぐは3時間おきに目を覚ますからその間に寝るのよ」なんて アドバイスを本気にした私は、 全く寝ない我が子の育児に途方に暮れていた。 とにかく抱っこしてないと泣いている息子が、 未知の生物な気がして怖かった。 こんなに小さい体から放つものすごいエネルギーに 圧倒さ

      • 習わせてもらえなかった習い事【バレエ】

        こんばんは 習わせてもらえなかった習い事【ピアノ】の 記事にたくさんのスキをいただきありがとう ございました。 世の中にはこんな子もいたんだなと 知ってもらえて嬉しかったです。 今日は習い事パート2の 【バレエ】です。 小学生の頃、お友達が数人バレエをやっていた。 「バレリーナ」という響きがもう可愛くて好きだった。 チュチュとかバレエシューズとかもう、 可愛すぎてあんなものを身に着けてくるくる回るなんて なんて素敵なんだろう。 友達は習い始めたばかりで、バレエの次の

        • 毒親育ち、アダルトチルドレン、宗教2世の私は親に出さない手紙を書いてみた

          タイトルの通りです。 いつもはなんとなく毒親育ちがばれないように、 表に出さずに、なんとか暮らしている。 心も体も元気に暮らせている。 それでも息子が高校3年生の受験の時に、 大した勉強もせずに当たり前のように 大学に進学する気満々の姿を見て、 私はこの時期にはもう就職が決まって、 世に放たれようとしていたんだと思ったら なんだか愕然として、 やりたいこともあっただろうに、 いや、希望なんて持っても無駄だと悟り 心を無にしていたんだったな。 家にお金を入れるためだけに

        育児で辛かったことの一つは夫に頼れなかったこと

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        • 毒親育ち、アダルトチルドレン、宗教2世の私は親に出さない手紙を書いてみた

          HSPとかアダルトチルドレンとかあるけれど、毒親育ちはとにかく生き辛いよなという話

          一つ前の記事で、毒親育ちはとにかく人の機嫌を察知してしまうと 書いたのですが、 ↑ こちらです。 ちょっと苦しかった時期にいろいろ調べていたら HSPと言われる気質があるそうで、 それに驚くほど自分が当てはまっていたのです。 診断テストをやったら高スコアで、やりながら こんなのみんなあてはまるでしょ?と 思っていたら、一緒にやった娘はほとんど 当てはまらなかったのです。 聞いてみたら他人の機嫌なんて悪くても 関係ないし、攻撃さえされなければ 気にならない。 大きな音も匂い

          HSPとかアダルトチルドレンとかあるけれど、毒親育ちはとにかく生き辛いよなという話

          毒親育ちのいらない秀でた能力それは「身近な人の機嫌が瞬時に判断出来ること」に尽きる話

          タイトルの通りです。 私の父は外に女がいて好き放題やってるくせに、 とにかく機嫌によって怒鳴り散らしたり、 叩いたり、物を投げつけたりするし、 機嫌がいい時はつまらないギャグを言ったりしていた。 合わせて笑わなかったりするとまた 機嫌が悪くなるので、自分のコンディションは置いておいて帰ってくる 父のご機嫌取りに 神経を集中させなければならなかった。 団欒なんてほど遠い、ピリピリ張り詰めていて ただただ苦痛の憂鬱タイムだ。 スマホなんてないから、何時に帰ってくるか なんてわ

          毒親育ちのいらない秀でた能力それは「身近な人の機嫌が瞬時に判断出来ること」に尽きる話

          友達が履いていたニューバランスが光り輝いていた中学生時代の話

          私の母はエホバの証人で、なにをするのも なにを買うのも「それって必要?」と まず否定から入る人でした。 子供の欲しがる物のほとんどは必要ない物ですよね。ただ欲しいんです。 中学生の時に、登校は『白スニーカー』と校則に あった。私は無名のスニーカーだったけど、 ある朝、一緒に学校に行ってた友達のスニーカーが めちゃくちゃ可愛かったのだ。 その当時は見たことのないスニーカーだった。 聞いたら「ニューバランスっていうみたい。 お姉ちゃんが持ってて、羨ましがってたら お父さんが買

          友達が履いていたニューバランスが光り輝いていた中学生時代の話

          毒親育ちの私は「断ること」を許されてなかった為に断ると、罪を犯したような気持ちになる話

          私は『毒親育ち』なので、 小さい頃から断るという選択肢を与えられずに大人になった。 なので、『断る』が苦手だ。 だからと言って何でもOKな性格ではないので、 厄介なのだ。いつも悶々としていた。 子供の頃からはっきりした性格だった。 たいてい悩まずに心の中で、 『イエス』『ノー』の答えは出ている。 でもそれを口にすることを許されていなかった。 特に父は断ると、 「おれがせっかくやってやってるのに、 その態度はなんだ!何様だと思ってるんだ!」 「誰に飯を食わせてもらってるだ

          毒親育ちの私は「断ること」を許されてなかった為に断ると、罪を犯したような気持ちになる話

          子育てをしていると過去の自分と比べて、苦しくなってしまう症状に名前はあるのでしょうか。

          私の母はほぼワンオペ育児だった。 浮気に明け暮れて家に寄り付かなかった父に頼れず、大変だったと思う。 それを生んだんだから当たり前だとは思わないし、 若かったのに、放棄せず育ててくれて感謝してる。 してる。してる。 けど、 放棄しない、捨てない。 そういう次元であることが悲しい。 今、普通に子育て出来ている状態で思うのは、 あれは『異常』だったということ。 私自身が親になり、 子供が小さかった頃にはそこまで感じなかったが、 子供が大きくなり、高校受験が近づいてきた。 私

          子育てをしていると過去の自分と比べて、苦しくなってしまう症状に名前はあるのでしょうか。

          子供の希望に一切応えない、愛人作って出て行った父の話

          父は若い愛人と私が小学生の時に出て行った。 母はエホバの証人で、そのことが原因で 離婚したいなんて自分を正当化して、 大声で毎日怒鳴り散らしたけど、 結局愛人と暮らす家を借り清々しい顔で 出て行った。 父への愛は全く残ってなかった私は嬉しかったけど、何もわからない、3歳くらいだった妹は 寂しかったと思う。 母は父と取り決めがあったのか、 欲しい物や、修学旅行などのまとまった 集金などは全部「お父さんに言いなさい」と 言うようになった。 その頃にはもう少し広いアパート(おん

          子供の希望に一切応えない、愛人作って出て行った父の話

          毒親の為に高卒で就職したって貧乏生活は続くよどこまでも

          私は高卒で就職した。 私より成績の悪い子が進学していくのを見るのが辛かった。 入社式の会場は聞いたことがない都心の駅にあった。 私はそれまで電車に乗る機会がほとんどなかった。 電車通学をしていたなら慣れてただろうけど、 交通費が払えないからと自転車通学だったし、 たまに友達と出掛けた時も慣れている友達の後にくっ付いていただけだったから詳しくなかった。 入社式の案内を見たってさっぱりわからなかった。 今みたいに地図アプリや乗換案内アプリなんてないから、路線図で調べないといけ

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          エホバの証人の母と不倫クズ父の元に生まれると高卒で、すぐ働かされることになる

          高校はそれなりに楽しかった。 高1からバイトを始めた。 エホバの証人の集まりがない曜日と言われていたけど、シフトをわざと入れたりして少しずつ集会には行かなくなっていた。 私がバイトをすれば、欲しい物は自分で買うようになって、家計も楽になるのか集会を休むことに関してうるさく言わなくなった。 調子がいいもんだなと思った。 高3になって、進路を決めなければいけなかった。 私が行った高校は地元の中では堂々と学校名が言えた学校だったので、進学する子も今の時代ほどではなかったけど、多

          エホバの証人の母と不倫クズ父の元に生まれると高卒で、すぐ働かされることになる

          エホバの証人の母と不倫クズ父の元に生まれた私の高校選びはこうなる

          もう、かなり昔の話になるが、 中学3年の時、母に言われた。 「トト、高校まで行かせてあげるけど、 公立で自転車で通えるところね。 滑り止めは受けさせてあげるけど、 私立は払えないから公立に落ちても行けないわ。 定時制にでも行って、働きながら通ってね。 その時は家にお金を入れなさいね。」 うん、ツッコミどころしかない。 いつも母は「高校までは出してあげる」と 偉そうに言っていた。 小さい頃から言われていたし、『エホバの証人』は 大学進学などを推奨してないし(知識を入れ賢く

          エホバの証人の母と不倫クズ父の元に生まれた私の高校選びはこうなる

          全てにおいて反面教師で生きるって大変だよねって話

          私の記事を一つでも、いくつかでも 読んでいただけた方なら、まあまあ残念な 子供時代を過ごしてきたことが おわかりいただけたかもしれません。 今、とても幸せに暮らしています。 幸せが突然降ってきたかと言えば、 そんなことはなくめちゃくちゃ苦労しました。 いつも物事の普通がどの辺りなのかを探り探り 生きている。何かをする度に、 『私ってこれで合ってますか?』と 誰かに聞きたいくらいだった。 私が結婚する時に兄が、 「なにか大きな決断をする時に意見が割れてしまったら旦那さんの意

          全てにおいて反面教師で生きるって大変だよねって話

          父が若い女と出て行った時の話と引き金になった我が家の事件

          父が不倫していたことは、この記事でお話したのですが、 その後も不倫は続き、愛人と暮らすと言って 家を出て行った話と、 その引き金となった我が家の事件を今日は書きたいと思います。 私の中の恥ずかしい話なので、 一定期間が過ぎたら、有料記事にしたいと思います。 私が小学高学年の頃、西の方に住んでいた父の姉が亡くなった。 一度しか会ったことはなく、その時もかなり 意地悪な人だという印象しかなかったので、 悲しくはなかった。 葬儀に参列する為に家族で西の方に車で向かった。

          父が若い女と出て行った時の話と引き金になった我が家の事件

          エホバの証人ファーストで、運動会に来なかった母

          運動会のお楽しみ『お弁当』ですが、今はいろいろな家庭の事情があるからなのか、 教室で食べる学校も多くなりましたよね。 子供が通う学校も給食だし、教室でクラスメイトと食べます。 私の子供時代もそのスタイルなら 良かったのですが、残念ながら 校庭で、レジャーシートを敷いて家族で お弁当を食べるスタイルでした。 父は学校に来たことが一度もないので、 論外として今日は母のことをお話ししたいと 思います。 秋に運動会があったけど、 その時期と、エホバの証人の「大会」という、 どこ

          エホバの証人ファーストで、運動会に来なかった母