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父が若い女と出て行った時の話と引き金になった我が家の事件




父が不倫していたことは、この記事でお話したのですが、

その後も不倫は続き、愛人と暮らすと言って
家を出て行った話と、
その引き金となった我が家の事件を今日は書きたいと思います。

私の中の恥ずかしい話なので、
一定期間が過ぎたら、有料記事にしたいと思います。

私が小学高学年の頃、西の方に住んでいた父の姉が亡くなった。

一度しか会ったことはなく、その時もかなり
意地悪な人だという印象しかなかったので、
悲しくはなかった。

葬儀に参列する為に家族で西の方に車で向かった。

父の母はネグレクトだったので、
幼い頃は姉を頼りに生きていたようで、
姉の死にひどくショックを受けていた。

「慕う姉の死」と「エホバの証人の母と葬儀」と
いうだけでもう、
不吉な予感しかしなかった。

着いてすぐまだ小さかった妹が移動の疲れか、
空気を察したのか熱を出した。
母は葬儀から逃げられるチャンスだと思ったのか、
通夜は行かず、待っていると言い出した。

その時点で父は激怒していた。
「お前はねーちゃんの葬式にも出ないのか?
エホバだか、なんだか知らねーけど、
頭がおかしいんじぇねーのか?
何しに来たんだ?」
父の言い分も分からないわけではなかった。

でも母は不倫している父の言うことは、
もう聞きませんという顔で、
無表情だった。

最悪の雰囲気のまま次の日になり、
母は告別式にも出なかったのだ。

さらに最悪なことに父の姉の住む土地柄なのか、
宗派なのかはさっぱり分からなかったけど、
参列者は一人ずつ名前を呼ばれて、
『お焼香』をするのだ。
(今、調べてみたら
「呼名焼香」という事前に順番を決めて、一人ずつ
お焼香をするスタイルみたいですね。)

母の名前は呼ばれたけど、二日ともいないので
「・・・・・・・・・・・・・・」

兄と私も続けて呼ばれた。
お焼香をしてはいけないと言われてたけど、
父は鬼のような顔で
「呼ばれてるだろ、行け」
と言ってきて迷ったけど、
血を見そうだったので、兄と順番で
「お焼香」した。
やり方なんてよく知らなかったけど、やった。
父の顔をちらっと見たら、鬼に変わりはないけど、
血を見るまでではなくなっていて安心した。

その事件で父はキレたらしい。

父の姉の家に泊まらせてもらっていたけど、
車に荷物を取りに行った時に、父が
「帰ったら離婚だからな、覚えてろよ」と
低い声で怒りに震えながら言った。

お天気のいい気持ちのいい青空だったのを今でも
鮮明に思い出せる。

葬式の後、最後だからとお墓参りに
行った時に初めて『宿』に泊まった。
ワクワクするはずのお泊まりなのに、
もうみんななんの感情もなくて、
無言だった。

自分で書いていて、こんなのがお泊まりの
思い出だなんて、可哀想過ぎる。

葬儀が終わって家に帰るまで、高速のサービスエリアで食事をした。

父は「天ぷらうどんを1つとなーんものってない
かけうどん」を
3つ頼んだ。
父は天ぷらうどんを美味しそうにすすっていた。

私たちには「なにが食べたいか?」なんて
聞かずに「ただのうどん」だ。
私たちへのわずかな愛情がゼロになったんだと
感じた。もう、こいつらに1円も使いたくない
気持ちの表れだと思った。
私は「ただのうどん」も好きだ。
でも、あの時のうどんは今まで食べた中で、
一番思い出したくない『うどん』だった。

家族が終わっていくのってこんな感じなんだなと
冷静に、ものすごく白けた気持ちで見ていた。

自宅に戻り、父の宣言通り毎日
「離婚」の話し合いだった。

話し合いと言っても話し合いは成立しない
性格なので、怒鳴ったりキレたり、物に当たったするので、気が安まらなかった。

ある夜は
「宗教は立派な離婚理由になると聞いた。
だったら悪いのはお前だ。養育費なんて
払う義務はない」
とか
「浮気してるくせに偉そうな事、言わないでよ。
冗談じゃないないわ」とか。

毎晩毎晩、狭い家の中で
揉めていた。
1番記憶に残っているのは、母が
「子供達はどうするのよ、3人も育てられないわよ」とガチ切れした時に父が、
「子供なんて施設にぶち込めばいいだろうが、
親が育てなくたって、子供なんて勝手に育つんだよ、うるせーな」と言ったことだ。

『両親揃ってるのに、私達は養護施設に入れられてしまうんだ』と思ったら、怖かった。

話し合いという名の罵り合いを毎晩聞かされてから
しばらく経った朝、

ダンボール1つに着替えを入れて、お気に入りの羽毛布団を持って

父は出て行った。

「お父さんはもう出ていくから、お前達とは一緒に住めない。でもお前達のお父さんであることには
変わらないから、何かあったら連絡しろ」

もっともらしいことを言ってるけど、
要は『若い愛人と暮らす』んだ。

私たちは捨てられたんだなと思った。

とりあえず悲しそうな顔はしたけど、
悲しくはなかった。
でもこの先の生活が心配だなとぼんやり思った。

不倫の経験がある人はきっとたくさんいると思う。
結婚してから一度も他の人に心奪われないでいるなんて、無理な話なのかもしれない。

でも配偶者や子供も傷つけないように、
うまくやるのは絶対守るべきルールだと思う。

不倫相手へのキュンとする気持ちとか、スリルとか、それこそ配偶者以外の人とするセックスとか、罪悪感とかは自分1人で背負うべきであって、バレた時点でもうアウトなのだ。

だけど、バレてもじゃあ
『不倫相手と一緒になります、さようなら』
って父のように家族を捨てる人って案外少ないと思う。

世間体もあるだろうし、壊れた妻や夫を捨てられないっていうのもあるだろう。
何より子供を捨てることが出来なくて、
やり直したいと言ったり、離婚調停でごねたりするもんだと私は思う。

だから、「養護施設にぶち込めばいい」と言い切った父は許せないけど、なんだか潔すぎて笑えた。

ああ、
いらなかったんだな。
だから捨てたんだな。

でもこれで、壮絶な夫婦喧嘩も聞かなくて済むし、
集会に行った日の終わらない説教を聞かなくて済むと思ったら、嬉しかった。

捨てられたけど、別に悲しくないよと
ダンボールを持って歩いていく父を見て
思ったのだ。

重い話ですかね。 
こんな話を最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
















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