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子供の希望に一切応えない、愛人作って出て行った父の話

父は若い愛人と私が小学生の時に出て行った。
母はエホバの証人で、そのことが原因で
離婚したいなんて自分を正当化して、
大声で毎日怒鳴り散らしたけど、
結局愛人と暮らす家を借り清々しい顔で
出て行った。
父への愛は全く残ってなかった私は嬉しかったけど、何もわからない、3歳くらいだった妹は
寂しかったと思う。

母は父と取り決めがあったのか、
欲しい物や、修学旅行などのまとまった
集金などは全部「お父さんに言いなさい」と
言うようになった。

その頃にはもう少し広いアパート(おんぼろ汚部屋は変わらず)に移っていた。
小さかったけど、自分の部屋を持てたのは嬉しかった。プライバシーなんて全くなかった空間で
生きてきたから自分の部屋で1人で過ごす時間は
幸せだった。やっと1人で泣けた。

私は部屋に敷く絨毯が欲しかった。
深緑でふかふかのやつだ。
もう、それを置いた自分の部屋を想像して
ワクワクしていた。(和室だけどね)
母に言ったら「お父さんに言いなさい」と
言われた。頼むのはいいとしよう。
あの人も一応親だ。
しかし、携帯もない時代だったし、
父が愛人と暮らす家の電話番号なんて知らない。
知ってても愛人が出たらなんて考えたら、
気持ち悪くて絶対に電話したくない。

だから何か頼むとしたら家に電話が掛かってきた時だけなのだ。
父から電話があったから、代わってもらい頼んだ。
「芝生みたいな深い緑色で、毛足が長くてふかふかしてるやつ。そういう絨毯が欲しい。
父は、「わかった、誕生日に買っておいてやる」

かなり待たされたけど、その日はやってきた。
アパートの前に車を停めて(父は出て行ってから一度も家の中には入らなかった)絨毯を下ろし、
「どうだ、いいだろ、高かったんだからな」と
ドヤ顔で走り去った。

嫌な予感はしたけど、とりあえず家の中に
入れた。

私が夢にまで見た
『深緑のモフモフ絨毯』ではなく、
目の前にあるのは
『真っピンクのガッサガサの安っぽい、いや絶対安いカーペット』だったのだ。

『敷く物』っていうことだけは合ってた。
絶対ホームセンターの一番手前に積まれてるやつだ。絶対インテリアショップの物じゃない。

またある時、多分また誕生日だったと思う。
私は自転車が欲しかった。
その時はハンドルがまっすぐのT字になってる自転車が流行ってた。友達の間でそれが流行り出し私も欲しくなった。ちょっと大人っぽく黒が欲しかった。
そのことを父に話したら、
「わかった、黒いT字のハンドルのやつな、そんなしつこく言わなくてもわかってる。うるせーな」と
イラっとしながら言われた。

まただいぶ待たされて父は車に自転車を積んで
やってきた。
「どうだ、いいだろ、高かったんだぞ」
と言われ下ろしてきた自転車は、

『黒くも、T字ハンドル』でもなく、
『真っピンクの、カマキリハンドル』だったのだ。
 
自転車ってことだけしか正解してない。
多分自転車屋で一番安かったんだろう。

父はいつもそうだった。
要望に全く応えない、希望を叶えない。
でも「あれじゃないんだけど」なんてクレームを言おうもんなら「お前のために買ってきてやったのに、生意気だ。2度と買わない、ふざけるな」と
すごい剣幕でキレるので、「ありがとう」の
言葉しか私には用意されてなかったのだ。

私はこだわりが強い性格なので、
欲しい物の色や形などは頭の中で理想があってそれに合う物を手に入れたいのだけれど、
それを叶えてもらったことは一度もない。
だから、がっかりするのに疲れて欲しい物を
口にしなくなった。

子供が欲しがる物を探すのが、そんなに
大変なことなんだろうか。
娘の喜ぶ顔は見たくないのだろうか。
一番欲しかった物が手に入らないから、
大事に出来ない。

子供の頃からそうだったので、
いつも『コレジャナイ』感を抱いていた。
なんか違う、欲しいのはコレジャナイ。
コウジャナイ。
だから、手元にはあるけど、
いつでも捨てられる
愛着は持たない。

いつだって希望は叶わず絶望する。
小さいことの積み重ねが裏切りになって、
諦めになる

私も娘に、自転車が小さくなったから、
誕生日に買って欲しいと言われた時があった。
理想とする色や形はあるかと聞いたら、
あると答えたので、
休みの日に自転車屋巡りをした。
何軒回っても、気に入るのがなかったらしい。
5軒目くらいの店で、
目をキラキラさせて「ママ、あったよ。でも予算オーバーだね」と言っていた。
確かに高かった。夫と話して
「ドンピシャならいいよね」と買ってあげた。

何年経ってもウキウキで乗り、駐輪場で自転車が並んでるのを見て『私の自転車が一番可愛い』と惚れ直すらしい。
「壊れなければ30歳になっても乗りたい」と言っていたのを見て、買ってあげて良かったと思ったし、
こういう経験を重ねて、尊重されてきたと
感じられるし、物も大切に出来るんだなと思った。

何一つ欲しい物を買ってもらえなかった、
子供時代の自分を不憫に思った。

『なんか、これじゃないんだよな』『欲しかったのはあっちだったんだよな』を繰り返すと、
本当に欲しい物は手に入らないと諦めてしまう。

叶えられなくて、いつも欲しい物で頭がいっぱいに
なり、手元にはソレらしき物はあるけど、
本当に欲しかったソレではないので、
欲しい物を追い求めてしまう。

私は物欲モンスターだ。
若い頃はもっと酷かった。

買ってしまってた後、罪悪感に襲われていたけど、
最近はもう今の私は買えるんだ、
好きな物、色、形の物『ドンピシャ』なら
買ったらいいよと自分を慰めて、
自分を癒してあげられるようになった。

私のようにならない為に、
予算こそあっても、その中で
『1番欲しい物を選びなさい』と言っている。
買った後に、あっちの方が色が良かった。
あっちの方がスペックが良かった。
と後悔しないように。
わが子には『コレジャナイ』感は持って欲しくない。

私もそうして欲しかった。
1番欲しい物を欲しいと言えて、
親がそれに応えてくれようとする
家に生まれたかった。


これからの人生は自分を癒してあげたいと思う。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。








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