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友達が履いていたニューバランスが光り輝いていた中学生時代の話

私の母はエホバの証人で、なにをするのも
なにを買うのも「それって必要?」と
まず否定から入る人でした。
子供の欲しがる物のほとんどは必要ない物ですよね。ただ欲しいんです。

中学生の時に、登校は『白スニーカー』と校則に
あった。私は無名のスニーカーだったけど、
ある朝、一緒に学校に行ってた友達のスニーカーが
めちゃくちゃ可愛かったのだ。

その当時は見たことのないスニーカーだった。
聞いたら「ニューバランスっていうみたい。
お姉ちゃんが持ってて、羨ましがってたら
お父さんが買ってくれたんだ」

もうね、全部が羨ましい。
ニューバランスを知ってることも、
おしゃれなお姉ちゃんがいることも、
いいなーって言ったら買ってくれるお父さんが
いることも、全部全部羨ましかった。
私にはその一つもなかった。

その当時は衝撃的だったニューバランスの
白スニーカーは私の頭から離れなかった。
聞いたら一万円近くするらしい。
そんな高価なものを通学で使うなんて、
贅沢すぎる。
私も欲しかった。
母に話したら、

「食費を削って買ってあげたとして、
あなたはそれで満足なの?
速く走れるようになるわけ?
そんなに欲しいなら買えばいいじゃない」

母は変わらない。
幼稚園の時にお友達が履いていたボンボンとリボンの付いた
めちゃくちゃ可愛い靴下を履いていた。
私はいつもただの白。
母とたまたま行ったお店にその靴下が売っていたのだ。
どうしても欲しかったけど、靴下の分際で高かった。
可愛い物は高いのだ。
うちはいつも3足セットがお決まりだったのに、
1足で3足分くらいの値段だったのあろう。
母は「トトはいつもそうやって欲しがるでしょ。
買ってあげてもいいけど、この後行くスーパーで、
今日の夕飯のおかずは買えないの、それでも欲しいの?」

5歳の子に言うセリフかよ。
今でも忘れないし、そこまで貧乏なんだと何だか位気持ちになった。

話をニューバランスに戻しますね。

でも母は買ってくれない。わかってる。
食費を削るなんてまた罪悪感を植え付けてくる。
いつもそうだ。
大人になって妹にその話をしたら、
「私はね、高校の時vansのスニーカーが
流行っててさ、めっちゃ欲しくてお母さんに
言ったんだよね。
そうしたら、盗まれるからやめなさい。って
買う前にもう盗まれる心配して買ってくれなかったんだよね、あれ買う気なかったよね」
とやっぱり買ってもらえなかったと言っていた。

一番欲しい物を買ってもらえない。
代用品を「買ってあげたんだから大事にしなさい」と恩を着せられる。

だから、それを使いながら『これじゃない、
欲しかったのはこれじゃない』と毎回思いながら
使うハメになる。
いつも一番欲しい物じゃない物を使うので、
壊れることを願ってしまう。
大事に出来ないのだ。

仕方なく使っているから、使い心地が悪いと
腹が立って、汚れると捨てたくなって、
本当に欲しかった物に想いを馳せる。
わーー今思い出しても可哀想だ。

子供達にはいつも「1番欲しいやつを選んで。
2番目にすると1番が良かったのにって後悔しちゃうから。自分が思い描いたドンピシャなら少し高くても買ってあげる。でも大事にしなさい」と言って
育てて来た。
子供達は靴がボロボロになっても、
自分の靴が一番可愛いと思っているので
全然気にしないし、
何軒も理想の自転車に出逢えるまではしごして
買った自転車は壊れても30歳になっても乗ると言って
気に入っている。
そういうもんなんだよな。

考え方のクセはなかなか治らず、
一番欲しい物はもう買えるのに、
なんだか罪悪感を感じてしまってなかなか
選べないでいる。

毎年、パートごときの私がこんな暖かい確定の
ダウンなんて買っちゃダメだよね??と
悩んでは買わずにやり過ごしてしまっている
お高めのダウンコートを私の夫はしれーっと買う
タイプだ。
いきなり届いて驚いていたら、
「トトも買えばいいじゃん」と買わないのが
不思議という顔をしている。

そうなのだ、買えばいいのだ。
でもなんか罪悪感を感じてしまって
1番欲しい物は買えないのだ。

だから、いつまでも1番に思いを馳せ
手元にあるものに『おまえじゃないんだよなー
もっといいのがあるはずなんだけどなー』と不満を抱きながら過ごしてしまうのだ。

私が友達みたいにニューバランスのスニーカーを
サクッと買ってもらえてたら、
「それ、私も欲しいなー」と誰の顔色も機嫌も
伺わずに無邪気に言える人になれていたのかなと
眩しかった友達の足元を思い出す。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。













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