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「花より団子」を地でいく女

私は食べることが大好きで、お菓子も大好きだ。

勿論苦手なもの、体が受け付けないものもあり、何でも食べられるわけではないが、食べることが好きなことに変わりはないし、食べ物の写真を見てるだけでも癒やされる。(←だから料理本がやたら多い。)

では「花」はどうなのか。

こちらはからっきし疎く、よく「女性に花をあげると喜ぶのは間違いない!!」なんて言われているが、私はそのことに、随分昔から大変違和感を抱いている。

少なくとも私はそうではない。厳密に言うとそこまで好きではない、あまり興味がないといったところだろうか?

「花」というものより、モノを私のために選んで貰ったことに対しては、とても嬉しいし、有り難い。ただ私の場合、花を貰った瞬間は嬉しいのだが、その後が非常に困ってしまうのだ。

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小さい時から、朝顔の観察日記という夏休みの宿題が、数ある宿題の中の苦手なもののトップ3に入るのではないか?という程イヤであった。

日記を忘れるのは勿論、世話を忘れるし、元々興味もなく、愛着を持って育てないので、枯らすことに関しての“名人”であった。

だから学校で種をもらった瞬間に「私のところに来たのが運の尽きやで…ごめんな。」と気を重くしながら思ったこともある。

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それに対して、母は花が大好きで、生けるのもセンスがあるし、大事に育てる。

▽花好きな母のエピソードはこちら

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それでも、一応若かりし“年頃”だった頃の私は「花、興味ないけど、教養として生けることが少しでもできるようになれたらいいなぁ。」と思っていた。するとたまたま当時の職場の近くの公民館で生け花を教えてもらえると先輩から聞き、一緒に行った。

その前に、一応ご飯を食べようかという話になり、焼肉弁当を2人で私の車の中で食べた。

先輩が「焼肉弁当のニオイすごいな。私の車でなくて良かった!」と言った時には「え?何ですと??」と思ったが、先輩なので致し方ない。今となってはそれも私には良い思い出だ。(結局食べ物かい!!)

その後、何度か生けたが、どうも私には何がどう良いのかさっぱりわからない。

ある日、あまりにも分からないので、先生が近くへ来られた時に質問したら、

「こう生けるよりも、こうした方がキレイだと思いませんか?」

「……。私にはその違いがよく分かりません。」

「そうですか…。それだとそれ以前の問題ですね。」とやや残念そうに小さい声で言って、前に戻られた。

あぁ、もうダメだ…私にはやっぱり花は縁が無いし、興味が持てないと悟った。

それから仕事が忙しくなり、いつしか通わなくなった。

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私って、やっぱり変わってるんかな?
どうして、他の人みたいに興味が持てないんだろう?
一時、私は自分がおかしいんじゃないかと思って、少しの間悩んでいたことがある。

しかし、その時はいくら考えても、納得する答えが見つからなかった。

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ある職場で働いている時、先輩職員2人と偶然一緒になり、3人で朝出勤していたら、一人の先輩が

「ねぇ、〇〇のお花が咲いてて、かわいいわね。」と仰った。

もう一人の先輩と私は、全く見ていないし、そのことすら気付いていなかった。

「いやぁ…見てなかったので知りませんでした。」

と2人で言うと、先輩は「あ、そうなん…。」と少しだけ寂しそうにされていた。

話についていけず、合わせられなかったのは申し訳なかったが、そう簡単に習性が変わるわけもなく、もう一人の先輩と「言われるまで気もつかなかったし、全然見てもなかったですね。さすがお花が大好きな◯◯さんですね。やはり目の付け所が我々と違いますね。」と2人でトホホとばかりに話した。

ただその時、私にとって救いだったのは、花にさほど興味を持っていない人が私だけでなく、少なくともその時点で一人いたということが分かったことである。

「私だけじゃないんや!同レベルか別にして、そういう人も身近にいた!!」ということが分かり、ちょっとホッとした気持ちになった。

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でもよく考えると、花は全般的に疎いが、全くキライなわけじゃないのだ。
チューリップ、ひまわり、あじさい、たんぽぽの綿が咲いてるのを見るのは大好きだ。この職場にいる時、隣の敷地内に一輪のひまわりが咲いてて、先輩たちと名前を付けて、そのひまわりの様子を事務所から見るのが楽しみで、当時よく元気をもらったものである。

でもやっぱり育てる、生けるとなると、躊躇してしまう。

仮に部屋の何処かに一輪挿しをしたとしても、おっちょこちょいなので、当たったり、掃除の際に花瓶ごとひっくり返して大惨事になることは、自分でも分かるからだ。

そして私はその職場での何気ない会話の中で、冗談交じりに宣言した。

「私が異動や退職をした際は、花よりお菓子のほうが嬉しいです!花もらっても、私には対応できないので…。」と言った。

「え?そうなん?」と言われたが、「はい、実際そうなんで。その方が有り難いです!」と答えた。

すると、しばらくすると、本当に異動が決まった。

するとお餞別としてお金でくれた人もいたが、「らびっとさんはお菓子がいいって言ってたから、お菓子にしたよ。」と言って、お菓子をくれた人も2人いた。しかもどちらも私の大好きな洋菓子店のものだった。

花をもらうより、何倍もそのお菓子を見て嬉しすぎて、泣きそうになった。

上司のお菓子は、勤務先近所であったが、後輩がくれたお菓子は、私が彼に一度、その“一切れ”を分けて、それがいかに、“脳みそがとろける”と感じるほどおいしいかを私が力説したものであった。

彼も「えぇ?!ホンマですね!これはおいしいですよ!!僕、割とここ買いに行くのは家から行きやすいので欲しい時は言って下さい。僕も食べたいから買ってきます。」とまで言ってくれた、あのお菓子であった。私のためにわざわざ買いに行ってくれたのである。

どの人からもらったものも勿論嬉しかったが、後輩の気遣いがそれまでのやり取りと重なり、今でも鮮明に覚えている。

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先日、ある方のブログでお花を部屋に生けたというのを見かけた。

それを見ても、他の人が花をかわいいと思ったり、生けることに対しては素晴らしいし、何も思わないのだが、自分はどうかというと、やっぱり生けたいと思わないし、思えない。

しかし、よく考えたら、以前好きな花が偶然写ったカレンダーを付録でゲットしたが、残念ながらどうしても飾る所がなく、母に

「今年一年ここで代わりに飾ってくれない?ここ来たら見られるから私も嬉しい。終わったら、そのカレンダー返してほしいねん。来年時に好きな花の写真を家で飾るから。」

と言って、母も了解していたが、その年の年末、途中要らない花のページは切り取られた上に、既に捨てられていた。しかも私の言ってたことは全く覚えてないという。

「ついにお母さんも歳のせいで覚えてもらえなくなったんかな?預けずに預けんと持っとったら良かった。預けた私も悪いよね。」とは思っていたが、かなりガックリしていた。

すると母も悪いと思ったらしく、あじさいの写真とかを切り取って、飾りやすいように、透明の他のカレンダーが入ってたビニール袋に入れて渡してくれた。

「アンタがあんまり言うから、お母さんもそういうの見かけたら気にするようにしてたんよ。これで良かったら飾り。」

確かに私の一番欲しかったあじさいの写真ではないが、もらったものはそれはそれでキレイだった。

現在それはリビングの壁に飾られている。

その時思った。私はお花を生けたり、育てたりは苦手だし、多種多様のものは全く分からないけど、好きな花の写真を飾るのなら、私でも好きな花を愛でることができるかもしれない。それが“私の花との付き合う上での良い距離感”なのだと…。

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そう思うと、花に対して思うコンプレックスが、少し軽減されて、ストレスに感じなくなった。

そして私は今年、数年ぶりに念願の大好きな紅茶店の桜紅茶や桜緑茶等をやっと買えた。ずっと気がついた時には期間終了で、買えなかったのである。

今回は食べてる場合ではないが、少しお菓子も買った。

そのお茶とお菓子で春を感じながら、好きな花とかの写真を眺めながら、私らしい癒やしの時間を過ごしたいと思うのであった。

▽花がそんなに好きではないことで、先輩に申し訳ないことをした話はこちら


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