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展覧会レビュー:川瀬巴水 旅と郷愁の風景

──酎愛零が展覧会「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」を鑑賞してレビューする話──


 世界よ、これが日本の新版画だ。


 どうも、新宿に行くとついルミネにも寄ってしまう私です。


 以前の記事でもお伝えした通り、この秋冬に行きたい展覧会のひとつに行ってきました!


 今回は、東京都新宿区、SOMPO美術館で2021年12月26日まで開催されている「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」です!


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 川瀬巴水かわせはすいは、大正・昭和期の浮世絵師であり版画家。本名は川瀬 文治郎。明治に入って衰退の一途をたどっていた浮世絵版画を復興すべく、版元の渡邉庄三郎らとともに、新しい浮世絵版画である「新版画」を推進・確立した人物として知られています。最初は日本画をこころざし、次いで洋画を学ぶもまた日本画に戻り、風景画を主とした版画で名を馳せました。

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 アートスペースに3階層を費やしたSOMPO美術館のギャラリーで展示も3つに分け、5階、4階は撮影不可ですが、3階の展示は撮影可能というかなり太っ腹な展覧会です。撮りませんでしたけど。


 余談ですが、私は損保ジャパン日本興亜のビルの上階にあった頃の方が好きだったんですよね……あれほど高層にある美術館は都内では森ビルくらいしか無いので、眺めの良さが失われたのは残念です。それぞれとの距離の関係で、東京タワーと東京スカイツリーがほぼ同じ大きさに見えるという、稀有けうな場所だったんですけれども……


 昨今のコロナ禍で多くの美術館・博物館が取り入れている時間指定制なので、事前に予約して行きました!


 展示のスタートは5階からです。エレベーターにひとりで乗って、5階へ、と……


 展示室の構造はいたってシンプル、部屋の真ん中に間仕切りを置いて、行って帰ってくる。そうしたら、階段かエレベーターでひとつ下の階へ行き、また行って帰ってくる。これを3度、繰り返すわけですね。迷子になる可能性は限りなく低いです。

 観客はややまばら。やはり新版画とはいえ浮世絵ということで、ゴッホや印象派展とかに比べればおとなしい感じを受けます。しかし、この展覧会、私の今季いちおしになるだけあって、すごいんです。

 それは、ほとんどが「版元の所蔵している作品が出ている」ということ。版画、特に木版画は、何枚も摺れるがゆえに、摺りを繰り返すと版木が劣化していって、線からシャープさが失われていき、摺りの精度も甘くなります。最初から美術品として製作された川瀬巴水のものでさえ、状態の悪い作品はいくらでも存在するのですが、版元の保存しているものとなると話は別です。初版に近い、品質の高いものが多いので、その技工を存分に味わうことができるのです。


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〈西伊豆 木負〉(リーフレットより撮影)


 江戸時代、隆盛を極めた日本の木版画はしかし、明治に入ると石版画や写真に押されて廃れていきます。絵師・彫師・摺師のそれぞれ高度な技術でもって造られる木版画の灯を絶やしてはならないと、版元の渡邉庄三郎は立ち上がります。渡邉庄三郎は浮世絵の人気ジャンル4種である美人画・役者絵・花鳥画・風景画のうち、風景画にだけ第一人者と呼ばれる者がいないことに目をつけ、折しも師の鏑木清方が得意とする美人画の方面で行き詰まりを感じていた川瀬巴水と組むことにしたのです。(巴水は鏑木清方がつけた画号)


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〈古ま形河岸〉(リーフレットより撮影)


 川瀬巴水は、15歳年下の同門、伊東深水の連作「近江八景」から感銘を受けて版画に興味を持ち、独自の作風を形作っていきます。初期には、輪郭線や抑揚、陰影を強調した線と、バレンの摺り跡を残すザラ摺りという摺り方をしたはっきりとした作風でした。

 何が好きかと問われたら『旅行!』と即答するほどの旅好きだった巴水は、「旅みやげ」と題する版画集をいくつも制作したり、歌川広重の「東海道五十三次」を意識した「東海道風景選集」などの作品を作り出していきます。

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〈月嶋の渡舟場〉(リーフレットより撮影)


 そんな巴水の画業を、歴史的大事件が襲います。1923年(大正12年)に起きた、関東大震災です。今までに描きためてきた風景スケッチなどをすべて失い、ゼロからの再スタートを余儀なくされてしまうのです。


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〈池上市之倉(夕陽)〉(リーフレットより撮影)


 そこで巴水と版元の渡邉庄三郎が取った戦略とは?それは購買層の好みを最優先にすることでした。すなわち明度を上げ、コントラストをシャープにし、写実的に描くことで、徹底して「わかりやすい」作品づくりを心がけたのです。それは浮世絵版画の持つ大衆性に回帰したとも言えるでしょう。

 はたしてこの作戦は当たり、巴水が「変わり映えしない」というスランプに陥ったときも、方向性は変えず、ひたすら今のまま、ギアを上げ続けるというものでした。巴水の描く、限りなく明瞭で明るく写実的な版画はやがて、目まぐるしく変貌していく時代の芸術的ポートレートとしての地位をも確立していきます。


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〈芝増上寺〉(リーフレットより撮影)


 アップルコンピューターの共同創業者、スティーブ・ジョブズは新版画のコレクターとしても有名でした。中でも川瀬巴水を好んでいたそうです。彼の審美眼は確かなもので、版木が関東大震災で焼失し、もう摺ることができない版画の良品をいくつも買い求めたとか。

 よく、なぜ海外に日本の美術品が多く購入されているのか、という話で、『日本人画商が日本の宝を売ったからだ!』『カネが欲しいだけの売国奴だ!』という論調が見られますが、それはまったくの誤りです。当時、当の日本人たち自身が、自国の文物の価値をわかっていなかったのです。外国に追いつけ追い越せの時代だったのはわかりますが、西洋の文化をありがたがるあまり、自国の文化を相対的に程度の低いものだと思ってしまったこと、作品の保全・保護に関してあまりにも無知だったことが原因となり、所有者がその価値をわからず安易に売り渡したり、このままかえりみられず消え去るよりは……という判断のもとで売買された作品も多かったのではないでしょうか。


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〈馬込の月〉(リーフレットより撮影)


 私は浮世絵版画と向き合うと、梱包材として詰め込まれるまでに普及したその大衆性と、であるがゆえに芸術作品として適した扱いを受けることが少なかったことの両方に思いをはせます。版元・渡邉庄三郎の思惑でもあった「最初から芸術作品として流通させることを目的とした版画」新版画の理念は、間違いなく日本に芸術の普及と保護の両方に有意義な提言だったと、私は思います。そしてそれは今日の絵画芸術の販売・保存に対しても問いかけているようです。芸術とは、限られた知識や趣味の持ち主だけが楽しむものなのか。芸術とは、美術館や博物館に行かなければ楽しめないものなのか。芸術とは、大金を積まなければ買えないものなのか。川瀬巴水と渡邉庄三郎は、『それは違うぜ!』『あんたらなら、自分たちの作品を、どう売る?どう扱う?』『君らのお手並みを拝見といこうじゃないか!』と言うような気がしてなりません。


 私の芸術の鑑賞スタイルは、制作する者の気持ちにできるだけ近づくことと、それと同じくらい、それを売買する立場の者の気持ちにも近づくことです。

 少しでもブルーオーシャンを狙うことにより、チャンスをつかむ。マーケティングにより売れ筋を分析する。それに応える比類なき技工。精度を増すための鍛錬。何よりも、「自分たちの国には世界に通用する素晴らしい芸術があるのだ」という信念。

 芸術で食べていく、ということは、自らの作品を販売する、ということが基本です。パトロンあるいはスポンサーがつくこともありますが、それもまた作品やアーティストの制作姿勢への投資となりますので、作品および自らの露出、売り込みは欠かせません。川瀬巴水の場合、師であった鏑木清方の推薦により三菱との縁ができ、連作を受注できたのも大きなターニングポイントでした。持つべきは人脈です。

 誰も見ていない所で世界一美しい花を育てても、鑑賞者が自分しかいないなら、それはただの自己満足です。新版画とは、こういうものだ。新版画とは、こんなに素晴らしいものなのだ。そう、世界に問うた川瀬巴水と渡邉庄三郎──二人の男の情熱と挑戦は、今を生きる私たちにとって素晴らしい教科書となるでしょう。


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 最後に、私がもっとも目を引きつけられた作品をいくつかご紹介します。展覧会にお越しの際は、ぜひともご覧いただきたく思います。

作品No.3〈塩原しほがま〉
 初期の作品ながら立体感がすごい。脇から凹凸を確認したくなるほど。

作品No.9〈陸奥三嶌川〉
 紅い月、青の濃い夜、銀を思わせる湧き水が静謐な緊張感をもたらす。

作品No.15〈房州岩井の浜〉
 雲、山、海、波、砂浜、潮溜まり、とリズムが心地よい。

作品No.23〈小浜堀川〉
 水面下に見えている石垣が水の反射で見えなくなるキワ、その描写力。

作品No.32〈木場の夕暮〉
 空と、鏡のような水面。よく見るとそれぞれ微妙に色味が異なる。

作品No.136〈秋田土崎〉
 打ち捨てられて朽ちた小舟の残骸が生き物の死体のようにも見える。

作品No.180〈月夜の富士〉
 月夜の富士と言いながら月は見えず、月明かりに照らされる富士を描いた通好みの逸品。

作品No.246〈つつじ庭に遊ぶニ美人〉
 つつじの色鮮やかさ、小窓から外を眺めているような感覚。写実と鮮烈の名手、川瀬巴水の真骨頂。


 他にも「夜」を描いた版画がたくさんあり、夜に親近感を覚える人は知っておいて損はありません。濃さの違う黒で摺り分けた夜の風景は必見です。

 






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 今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 それでは、ごきげんよう。

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