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カサブランカダンディと三島由紀夫とGenZの私
"聞き分けのない 女の頬を
ひとつ ふたつ張り倒して"
カサブランカダンディという曲はめちゃくちゃかっこいい。沢田研二さんの曲だ。イントロのグリッサンドからミドルテンポで曲は進んでいく。
しかしこの歌詞から見てわかるように、現代のフェミニストが大激怒しそうなことを冒頭でいきなり歌っている。女はもうすでに張り倒されている。
”背中を向けてタバコを吸えば それで何もいうことはない”
”男が ピカピカのキザでいられた”
これが昭和の男の美学なんだなア…
しかし、サビの
”ボギー ボギー あんたの時代は良かった 男の痩せ我慢 粋に見えたよ”
という節では、もう今はそうではないことを表していて、80年代に入る頃には男女の在り方が少しずつ変化していることがわかる。
自分はその時代のアベックたちを知らないから、わからない。
でも、現代の「男女平等」におけるフェミニズムの人たちの行き過ぎた主張や、逆に行き過ぎたアンチフェミニズムの思想は何かおかしいという気がしないかい。
もちろん性差別や性暴力はいけない。
少し前に、三島由紀夫のエッセイ「新恋愛講座」を読んだ時に かつての男女の在り方を説明しているところがあった。
これは68年に書かれたものだから、カサブランカ・ダンディより前に書かれ、しかも男女の有様をアメリカ文化の流入とともに説明し、伝統とされてきた男尊女卑に対する女性の在り方を再定義している。
それは、「礼法について」という最後の方の項目に記載がある。
三島夫婦は「礼法」について協定を結んでいるらしい。
西洋風のダイニング・ルームへ入る時は奥さんが先に、
日本料理店へ入る時は旦那が先に。そしてこのような礼法はゲームだと思えばなんともないそうだが、自尊心が絡んでくるから厄介だそうだ。
女が先に立って歩き、あるいは女が先に車に乗せられると、いかにも女が尊敬されているように見えるが、誰一人として、実はそれが尊敬ではなくて、弱者として保護されているのだということに気がついて憤慨したものがいないのは不思議である。
…確かに。私も、レディーファーストができる男の人に出会ったり、実際に、そのように扱ってもらったりした時は「まあ、レディーファーストで嬉しいワ」としか思っていなかったです! そしてその逆だったら、「なんで、私のことを大切に扱ってくれないの?!」20の私はこんなことばかり考えているわけです。。厄介だね。
しかしこのアメリカのレディーファーストの慣習には諸説あるそうで。
しかし、よく言われているように、アメリカの開拓時代には男に対しての女の数が非常に少なかったので、性的な対象としての女性の希少価値が重んじられ、そこにレディーファーストがますます極端な形をとったということも考えられる。日本では全てこれらの成立させた条件が欠けていて、エチケットだけが輸入された。
これは、アメリカ史でもあんまり聞いたことがなかったが、性的な対象としての女性の希少価値が重んじられたと聞いたらなんか嫌だな。知らなかったらよかった!…とこういう自尊心が現れると厄介なものだ。
ここでどうやら日本での「伝統」が問題になってくるらしい。
三島先生が言うにはこうだ。日本では女性が自由を圧迫されてきたこと自体が伝統であり、しかしながら日本が先進諸国(当時でいうアメリカやフランス)の影響を受けて、日本の伝統が破壊されようとしているのが事実ならば、われわれは本来保守的であった女性という立場は伝統破壊の尖端に立っていることを認めなければらない。そしてこれは、女性の自己矛盾ではないだろうか?
そして日本の女性がこの伝統に対してどう反応してきたのか。
日本の女性は伝統に対して受け身であったので、自ら伝統を守るという役割を果たしてきたことがなかった。女性が本当に主体的ならば、主体的に伝統を守るという考えがどうして生じないのであろうか。
…
今度は女性が、西洋式な伝統のサルマネを初め、それを男性に強要するようになった。
それは言い過ぎではないか?とも思った。もちろんそれは女性の立場や仕事が卑下されてきたからで…
でも三島先生が言いたかったのは、この伝統の中で生きてきた日本の女性が、欧米西洋の影響を受けてから、どのように行動するべきかを問わなければならない、ということなのだ。「礼法について」の最後の一文で語られている。
私はエチケットばかりではなく、平和運動でも、政治活動でも、ほんとうに解放された自由な主体的な女性ならば、自分をかつて苦しめた伝統を自分がかつてその被害者になるおそれがない現代において、それを再創造し、世界に向かって日本の伝統の美しさを示すような役割を、自分で引き受けて欲しいものである。
ふむふむ…私はこれを読んだ時に、「結構果たされようとしている!」と感じた。と同時に二極化しているとも感じた。ブレイブに立ち上がり、女性の権利をうったえるようなかっこいいロールモデルは少なからず生まれたし、しかしながら「男性が奢るべき論争」でもあったように、女性がエチケットとして男性に強要することはどうも図々しく、それでこそ西洋式な伝統のサルマネではないかと。むしろ下品な考え方ではないか?と私は思うのである。女性の権利を訴えながらも、守られる存在として奢ってほしいというのはあまりに傲慢ではないかと。賃金格差が生み出したものなら仕方のないことなのかもしれないけれど。
だからこそ、「それを再創造し、世界に向かって日本の伝統の美しさを示すような役割」がこれからの日本にもっと必要なことだと強く感じた。私は日本の美しい伝統文化を伝えられるようなスキルがないけれど、欧米や西洋のパースペクティブが広まっている現代の日本で、「日本人女性であること」を考え直してみるのもいいかもしれないと思ったのだ。
ここでカサブランカダンディをもう一度見てみよう。
”男がピカピカのキザでいられた”
”あんたの時代は良かった”
そうだ、この歌、きっと、急に日本入ってきたレディー・ファーストに疲れた男の人の歌なんだね。
いーやでも!私はレディー・ファーストをしてくれる男性は大好きだ。
最後に。LGBTQのことには触れずに、あくまでマスである、男子、女子というくくりでかいたけど、嫌な気持ちになっちゃったらごめんなさい。
Alone in the room
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