目 次 はじめに 1 超巨大地震 2 出 動 3 3号機の水素爆発 4 恐怖の移動 5 地上放水冷却活動 6 出 撃 おわりに はじめに 2011年3月11日、けしてあの日は忘れない。 そして、3月20日、福島第1原発へと向かった。 16年前のちょうど同じ日、3月20日、地下鉄サリン事件で、除染作業に従事したときの恐怖がよみがえった。 これは、運命なのかも知れない。 それが、使命だと気づいた。 1 超巨大地震 ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピーー。 放
皆さん「現場の自衛官が見た」シリーズを、いつも読んでくださりありがとうございます。 今まで経験談等、書いてまいりました。(これからも書きたいと思っています。) さまざまなメディア報道のある中、一般のメディアとは違った角度からアプローチをしてまいりました。 私は、文章力もなく読みにくいところもあったり。 「この記事、いったい何が言いたいの?」と思われた方もいらしたかも知れません。 (現在、神崎桃子先生の桃子塾で勉強中) では、なぜこのような記事を書いている
愛鳥週間の今、鳥たちの声を聴きに、いつもの散歩道へ愛犬(ティマ)と出かけて行った。 五月の爽やかな風が吹き抜ける散歩道 田んぼの端にポツンと建ってるポンプ小屋 その片隅で、そよ風は枯れ草を舞って立ち止まる。 田んぼには水がはられ、輝く水面には、既に田植えが始まっていた。 ポンプ小屋から湧き出す水は、「ひゃ!」と思わず手を引っ込めたくなるくらい冷たい! 耳を澄ませば。 うぐいすを始め、モズやキジ、そしてコジュケイの声までもが聴こえてくる! 空
最近読んだ、2冊の本を紹介します。 1冊目は、酒本歩先生の『ロスト・ドッグ』(光文社)です。 この本は、笹目いく子先生が紹介されていたNote記事を読み、私は知りました。 『ロスト・ドッグ』は、動物医療をテーマとしたミステリー小説です。 私は、動物が好きで、今までも、さまざまなペット達と過ごしてきました。もちろん動物病院へ、お世話になったことは沢山あります。 皆様も経験がおありだと思いますが、愛するペットとの別れは、いつも辛いものですね。 動物保護も
「迷ったら任務に立ち返れ!」 自衛隊では、よく使われる言葉だ。 今年は、2024年 今から29年前の1995年3月20日、地下鉄サリン事件は起きた。 この事件は、死者14名、重軽傷者6000名以上にのぼる大惨事となった。 化学兵器にも使用される猛毒サリンを使った、宗教団体オウム真理教による同時多発テロだ。 当時、サリンを使用した、世界でも類をみないテロ事件は、日本のみならず世界中をも震撼させた。 「なんだか緊張してきた」 築地駅へむかう車両の
地震大国日本 東日本大震災や能登半島地震など、なぜ日本は、これほどまでに地震が多いのでしょうか。 宇宙からのエネルギー?、大ナマズが暴れた? いやいや、日本が地震が多いのは、それなりの理由があるからです。 今回は、そのあたりを簡単にお話します。 「宮澤さ〜ん」 「何?カンちゃん?(職場の同僚)」 「宮澤さん、こういうの詳しいんでしょ?」 「いや、専門家じゃないから、そこまで詳しくないけど。知ってる範囲で教えるね」 「お願いしま〜す」
「ピクちゃん」、「パパのところへ来てくれてありがとう」 私は、幼少期の頃から動物を飼うのが好だ。 今迄に、多くの動物達と過ごし、どれだけ癒やされてきただろう。 何度となく別れを経験し、そのたびに瞼を腫らし泣いた。 先に逝ってしまう、動物達を私は見送り。「私のもとへ来てくれてありがとう」 彼らには感謝しかない。 現在、私は、犬と合鴨と暮らしている。 彼女たちは、言うまでもなく、我が家の家族にほかならない。 犬は、ダルメシアンの「ティマ、4歳♀」合
ここに1本のボールペンがある。 当時、「This is a pen」と言う言葉が流行っていた。 このボールペンは、今から45年前、私が学生だった頃に拾ったものだ。 あれは、蝉が鳴く、暑い夏の午後だったと思う。 中学生だった私は、学校の帰り道。近道を通ろうと、通学路から外れ、砂利の駐車場を突っ切ろうとした。 「何だ?あの光っているものは!」 私が進む先に、何やら光るものがある。 近づいてみると、それは銀色に輝く1本のボールペンが落ちていた。 私は
恋愛専門家コラムニストである、神崎桃子先生の誕生日に、ツイッターXのスペースで、リスナーのソーさん(レゴブロックコレクター)が、レゴで参加者の集合写真を作ってくれました。 それを見た私は、遠い記憶を思い起こさせられたのでした。 とてもくだらない、恥ずかしい話をしてもいいですか? それは、私が、まだ小学6年生の頃の話です。 小学生ながら、当時、修学旅行なるものがありました。 確か、箱根と鎌倉で、二泊三日の旅行だったと思います。 季節は秋も深まり、芦ノ湖
私は、今は亡き父の夢を見た。 それは、自宅から少し離れた河原の土手の上を歩いていた。 「お父さん、今ではこの辺りもすっかり変わってしまったよ」 「昔は、この辺一帯、桑畑だったのにね」 「今では、こんなに住宅が建っている」 父は、写真のように、ただ笑っているだけだった。 西の空には、三日月が出ている。 著 者 宮澤重夫 平成30年に陸上自衛隊化学学校 化学教導隊副隊長を最後に自衛隊を退官 現役時代に体験した、地下鉄サリン事件や福島第1原発事
「中尉、最後のお願いです。私に水を飲ませてもらえませんか」 私は、隊長室に呼び出された。 ノックをし、ドアを開ける「入ります」 「まぁ座れ」 私は「あっ、はい」隊長室のソファーへ腰を下ろす。 「次の幹部候補生の試験な~、お前受けろ」 私は「いや、私はそんな器ではありません」 「何を言っている。自分で自分の評価をしてどうする。お前の評価は他人がするんだ」 「いいな、受けろ」 私は「はい」とだけ応えた。 「いいか、よく聞け」、「幹部と言うの
はじめに この記事に書かれています、お名前、お写真及び文章の一部引用は、飼い主様の承諾を得て記載しております。 一枚の写真 るめは16歳、人間でいえば 110歳 インスタグラムで知り会った、ダルメシアンのるめちゃんだ。 るめには、1日でも長生きして欲しい。 るめの写真は、毎日毎日欠かさず投稿されていた。そこには、飼い主さんの、るめへの深い愛情がうかがえ知れる。 私が初めて、るめの写真を見たのは、1年ほど前であろうか。 最初、るめの写真を目にした時
今回の神崎氏の作品は、まさに彼女の原点とも言える作品です。 主人公、美佐子の納得のいかない別れ。そして、美佐子に突きつけられた厳しい現実 この先、美佐子はどう生きていくのか。 皆さんも、共感出来るところが、沢山あると思います。 ぜひ、読んでみてください。 また、できましたら、スキや感想をいただけたら幸です。 元陸上自衛隊化学科隊員 宮澤重夫
プロライター神崎桃子との出会い 私は、「現場の自衛官が見たシリーズ」を書いている。 これは、私が、現役自衛官の頃に体験した、事件・事故等を本人でなければ知り得ない事実を、現場目線で書いたものだ。 しかし、私は、記事を書くと言っても文屋ではない。故に読み手に私の意図が伝わっているかあやしいものだ。 私は、記事を書く前に、文章の書き方で悩んでいた。そんな時、ツイッタースペースで神崎桃子氏と出合う。 神崎氏は、プロライターであり、恋愛専門コラムニストでもある。
目 次 まえがき 1 前 兆 2 出 動 3 突 入 4 経験の普及 おわりに まえがき これは私が陸上自衛隊化学科隊員だった頃の事実に基づく体験談であり、物語ではなく、ひとつの情報資料として読んで欲しい。 これが災害等、危機管理の一助となれば幸いです。 1 前 兆 皆さんは覚えているだろうか。私と同年代の方々は今でも記憶に残っているだろう。 私は、この事件を通じて、実戦では訓練以上のことは出来ない。日頃の訓練が如何に大切か、痛感させられりる日となった
これは私が、陸上自衛隊化学学校の職員(隊員)であった頃、職員に対する精神教育(道徳教育)がおこなわれた時の話になる。 あれは今から30年近く前の話である。 私が、まだ20代の頃、隊員達の教育を担当してくれた、先輩から聞いた話だ。 その先輩は、今ではもうご高齢のはずだが、他界したと言う話は聞いていない。 先輩は、京都で勤務中、休みの日に色々な寺を廻るのを楽しみにしていた。 ある日訪れた禅寺で、その寺の住職に先輩はこう聞いた。「御住職、善とはなんぞや?」