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命の水

「中尉、最後のお願いです。私に水を飲ませてもらえませんか」 

 私は、隊長室に呼び出された。

 ノックをし、ドアを開ける「入ります」

 「まぁ座れ」

 私は「あっ、はい」隊長室のソファーへ腰を下ろす。

 「次の幹部候補生の試験な~、お前受けろ」

 私は「いや、私はそんな器ではありません」

 「何を言っている。自分で自分の評価をしてどうする。お前の評価は他人がするんだ」
 「いいな、受けろ」

 私は「はい」とだけ応えた。

 「いいか、よく聞け」、「幹部と言うのは、自分の言動に責任を持たなければならない」、「戦闘中は、常に状況判断の連続だ」

 隊長は、そう前置すると、私に幹部の心得だ。と、称して次のような話を始めた。

 それを聞かされたのは、もう何十年も前の話になる。

 その話は、隊長のお父様の話であった。

 その方は、先の大戦の旧陸軍の将校で、南方戦線で戦っていた。

 彼は、陸軍中尉として部隊の中堅将校であった。

 南方戦線も戦況は悪化し、兵站(補給)も滞るようになっていた。

 彼の部隊は、敵に包囲され、味方との連絡も途絶えた状態に陥っている。

 そこで部隊は、伝令を走らせることとした。

 しかし、敵の包囲網を突破できず、2度、3度、伝令を出すが、いずれも失敗に終わる。

 このままでは、皆が餓死してしまう。

 今度は、幹部伝令を出すこととした。

 そこに白羽の矢が立ったのが彼であった。

 中尉は、通信兵曹を伴い部隊を出発する。

 しかし、敵の包囲網突破の際に、兵曹は、重症を負ってしまう。

 中尉は、怪我を負った兵曹を担ぎ、司令部を目指し、山道を進んで行った。

 「中尉、私はもう駄目です」、「私を置いて一人で行ってください」

 「何を言う、司令部まであと少しだ、頑張れ」

 「中尉、最後のお願いです。私に水を飲ませてもらえませんか」

 戦時中の教育で、負傷者に水を飲ませると安堵し、死んでしまうと教えられていたので、飲ませないように、兵曹を励ました。

 やっとのことで司令部へ辿り着くと。兵曹は、既に背中の上で息絶えていた。

 私は(中尉)、兵曹を助けたい一心で水を飲まさせなかったが、あの時、水を飲ませてあげたほうが良かったのではないかと、その後、一生悩まされることとなった。

 と、隊長は私にこのような話をしてくれた。

 「お前ならどうする?」

 私は「う〜〜〜ん???」

 これは、私もその立場であれば、そうとう悩むであろうな〜と思った。

 その年の幹部候補生の試験は、地下鉄サリン事件が起きたことで、実施時期が遅れたことを覚えている。

 いかがだったでしょうか。

 皆さんなら、こんな時、どのような状況判断をし、どのように行動しますか?

著 者  宮澤重夫

 平成30年に陸上自衛隊化学学校化学教導隊副隊長を最後に退官
 現役時代に体験した、地下鉄サリン事件や福島第1原発事故対処等の経験談を執筆中

主な資格等

防 災 士
第2種放射線取扱主任者
JKC愛犬検定最上級

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