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年の瀬

今年も残すところ、あと20日余りとなりました…

 つい先日、猛暑の夏が終わって秋も深まってきたと思っていたら、もう師走。今年はどんな年だったのだろう?

Webライターやってみた

 昨年は晩夏から年末にかけて、メンタルの不調が続き、思考のスイッチが入ったり切れたりしているような状況だった。そんな中で頭の中に浮かんで来ることや、過去に書いた文章をこのnoteに書き綴り始めた。もしかしたら文章を書くことが何かに繋がるかもしれないし、自分の頭の中を整理することにも役立つような気がしたからだ。
 某クラウドでのWebライティング案件に募集してみたところ、朗読動画のシナリオを書く仕事を頂いた。自分の能力が認められたような気がして、どこか嬉しかった。
 最初の頃は次々と依頼が続き、それなりに楽しかったのだけど、だんだんと執筆意欲が減退してくるのを感じた。頭を捻り、考えを巡らせてストーリーを練っていくのだけど、引き受けていたのは所謂「スカッとする話」系のシナリオ。イジメる側とイジメられる側がいて、最後にイジメられる側が仕返しを受けてドン底に叩き落される展開が求められる。ただ、ドン底とは言っても「実際にありそうな話」を下敷にしている以上、某「必殺シリーズ」のようなシナリオには出来ないし、現実的な法律の問題もある。だいたい仕返しがイレギュラーが方法で行われるのなら、どちらも犯罪者だろう。まったくのフィクションであったり、異世界モノであれば荒唐無稽がストーリーも許されるのだろうけど、そんなシナリオを書くに気にはならなかった。まあ、ああいう動画を視聴する層は法律的なことや道義的なことは割とどうでも良くて、ともかくイジメられている側が最後に仕返しをすることでスカッとしたいだけなので、辻褄を合わせようとしてもマトモな展開過ぎてツマラナイということになりかねないのだ。
 それでも8月頃までは猛暑に耐えながら執筆を続けてみたが、割いている労力に報酬が見合わないと感じ、9月初旬の納品を最後に執筆を断った。クライアントからは新たな条件提示もあったのだけど、文字単価で考えると改善されているとは思えず、むしろ悪くなっているように感じたのだ。
 一本当たりの報酬額は増えているのだが、その分文字数が増え、労力も増える割に一文字当たりの単価は同等か下がっている有様。そんな具合で、いいろいろな労力を搾取しながら成立している業界なのだと思った次第。
 現在も「初心者歓迎」とかで、相変わらず多くのチャンネルでライターを募集しているのだけど、文章を書くことを仕事に繋げたいのなら、このnoteに毎日一本ずつでも投稿した方が良いと思う。労力の無駄遣いはやめよう。でも、そのことがわかっただけでも1年間Webライターとしてシナリオライティングを経験した甲斐はあったのかなと。

土地と建物を譲り受けた

 叔父所有の土地と建物を、その周辺にあった実母の土地とともに譲り受けた。叔父は数年前から介護施設に入所しており、独身のために相続対象となるのが私の父の弟妹たちしかおらず、その方々から何とかして欲しいと従前から頼まれていた。持ち主である叔父が亡くなってからの相続では手続きが面倒になると判断し、とりあえずは私が引き受けることにした。
 それらに手を加えながら、個人事業を起こしてみようを思い立ち、合同会社を設立してみたまでは良かったのだが、建物の補改修費用の目処が立たず撃沈…設立した合同会社は休業の手続きを取った。復活の日が訪れるかは未定。廃業するにしても、また登記抹消の手続きがある。早まったことをしたと少し後悔。
 土地と建物という不動産があれば、資金繰りはなんとかなるような気がしていたのだが、バブル崩壊以降、金融機関も簡単には融資してはくれない。それが現実。
 現在、建物の補改修は足踏み状態なのだけど、自宅としてリフォームする方向で検討中。

行政書士登録してみた


 昨年、行政職の経歴を活かして行政書士として活動してみようと思い立ち、元の職場から職歴証明書だけは発行してもらっていたのだが、ゴールデンウィークを前にして、ようやく登録に漕ぎつけた…ものの、譲り受けた建物の一室を事務所として使う予定だったので、それも宙に浮いている状態。見通しの甘さを露呈してしまっている。
 それでも相談を受けた案件があり、それは無事完了した。官公庁への申請や届出書類の代行が主な業務なのだが、なかなか一般の方には馴染みが無いようだ。
 10月の半ばに登録初年度の義務研修があった。
 参加した面々を見渡すと、なかなかに興味深かったと思う。年齢もバラバラだし、社会人としての経験もバラバラ。私のように行政職だった方もいれば、全くの異業種からの転職やら、会社経営をしていたり、他の士業で開業済で既に実績のある方もいる。新人研修というものは似たような年代が集まるとの先入観を抱いていた身としては、ある意味で新鮮だった。
 行政書士としては、今後、成年後見人としての仕事や、遺言書作成、遺産分割協議書などの相続案件、外国人の在留資格申請代行などは増えてくるのではないかと言われているのだけど、どうなるのだろう?兎にも角にも依頼があればやるだけである。

地方の人口減少と高齢化

 昨年に引き続き、何故か選挙活動のお手伝いのため、選挙事務所に出入りしていた。その関係もあって、少し政治的な話を伺う機会も増えたように思う。
 会合などに参加してみて感じるのは、やはり年齢層の高さ。ほとんどが60代以上、中心となっているのは70代、50代などは若手の部類である。これでは若い世代の考え方など理解できるはずが無いだろう。人間誰しも、自分が若い頃に経験したことを元にして、その思考の大半が形成されている。同世代が大量にいて人海戦術であらゆることを解決してきた世代と、片や出生数が減少して社会的に超マイノリティーとなってしまった若手世代との間で会話が通じるとも思えない。
 私たちの世代でさえ、親世代の常識は通用しないと言われたのだから、その孫世代から下の年齢層には通じるはずもない。
 インターネットによる知識の共有化は、年齢からくる知的経験のアドバンテージを一気に陳腐化してしまった気がする。
 ここ数年、世の中の流れが加速度的に速まっているように思う。それによって社会の仕組みも急速に変化している。高齢者であっても社会に暮らす以上、その流れには乗らなければならないのが辛いところ。もう少しAIが発展して、個々人が意識しなくても、ごく自然にいろいろなものが使えるようになるなら便利なのだけど、自分が生きている間にそんな社会の到来を目にすることが出来るだろうか?
 それにしても本当に若手は少ない。夏から秋にかけて、従兄の農場で作業アシスタントをやらせてもらったのだけど、ほとんどが60代半ば。現場の担い手不足は深刻な状況。従兄も70歳を過ぎたら、やめると言っている。ある日、突然、農村部から農業の担い手が消えることも近いんじゃないかと思ってしまった。
 農業などの一次産業は、どんなに効率化を図ろうとも自然環境からの影響が大きく、常にリスクを抱えながら従事している。
 従兄を見ていると、それこそ「なるようにしかならない」というように見える。だからといって手抜きをする訳でも無く、目の前に降ってくるものに次々と対処するしか方法が無いのだ。不安なく生産活動に従事するためには、裏付けとなる保障が不可欠なのだと思う。その匙加減を考えるのは為政者の役割なのだろうが、果たしてこの国の為政者はどれだけ現状がわかっているのだろう。おそらく行くところまで行って限界を迎えないとわからないのかもしれない。限界を迎える前の余力が残っているうちに、次の手立てを打たなければならないのだけど、果たして起死回生の一手はあるのか?

義母の逝去と実母の入院

 5月に入ったばかりの頃、妻の母が亡くなった。認知症を患ってしまい、私自身は7年以上会っていない。妻も、義母の入居する施設から足が遠のいていたようだ。娘のことも息子のことも忘れ、怯えの表情を見せる自分の母親を見たくなかったのかもしれない。
 ここ3年ほどは新型ウイルスの感染対策のため、介護施設の方でも面会を制限していたのだから、妻も義弟もなおさら会う機会も無くなっていた。
 そんな義母が3月にインフルエンザと診断され、施設から病院へと移送された。幸いにしてインフルエンザは治癒したのだけど、一度施設から退去してしまったので、再入居は難しいのだという。そのため治療のために入院していた病院からは退院し、別の病院の介護病棟に入院することになったのだった。
 しかし高齢で体力的に弱っていたこともあって、心音が微弱になったと病院から頻繁に呼び出しがかかるようになり、妻も義弟もうんざりした様子になり始めていた。
 今思えば、あれが最後の母子水入らずの時間だったのだ。
 息を引き取り、葬儀の準備に奔走していた義弟の夢に、義母が出て来たのだと聞いた。
 不思議な夢だったらしい。その話を聞いた妻は「ようやく母が帰ってきた」と感じたらしい。
 その夢のおかげで葬儀に彩を添えることができたと思う。
 その顛末を書いた記事のリンクを貼っておこう。

 それから程なくして、今度は私の実母が入院することになった。
 原因は踵の骨折…というかヒビ。
 畑の隅の草刈りをしていて足を滑らせ、U字溝の底に踵を着いた瞬間激痛が走り、歩けなくなったのだという。
 最初はアキレス腱の断裂を疑ったが、診断は骨折。
 装具を作成して歩行訓練を続けたおかげで、短時間であれば杖に頼らず歩けるようになったし、捕まる手すりに掴まったり、買い物用のカートを押して歩くには不自由が無いほどの回復を遂げた。
 年齢の割には元気な母であるが、これを機会に運転免許を返納することにした。これまで以上に私が母の移動の足として働かねばならない。
 せっかく回復したのだから、長生きして欲しいと思う。

現金収入確保の仕事を始めた

 開業したてで実績の無い行政書士に仕事の依頼が次々に舞い込むはずも無く、昨年から今年にかけて、マトモな収入を得られなかったため、とうとう蓄えが底を尽いてしまった。やせ我慢も限界に達したようだ。
 生活を維持するだけの収入が無ければ、行政書士としての営業活動もままならない。ここで月々数件の依頼があったとしても安定収入には程遠いだろう。
 役所の窓口を訪問したりするにしても、実母の面倒をみるにしても、平日の日中に拘束されるようでは、なかなか思うように動けない。休日を取得するにしてもそう簡単にはいかないと思う。
 それの折衷案として、日付が変わった頃から午前中までの食料品配送の仕事をすることにした。今まで未経験の業種、しかも箱付きの保冷車など運転したことは無いのだけど、これも経験と思ってチャレンジすることにした。
 他の業種と比較しても手取りが高いことも後押しした。もちろん収入が多い分、大変な仕事ではあるのだけど、試しに同乗して仕事内容を見てみたところ、なんとかやれそうな感じだったので、しばらくはこれで生活費を稼ごうと思う。
 少なくとも月々の収入を確実に得る環境があれば、少しは気持ちに余裕も出て来るだろうし、配送作業は基本的に一人での運行であるから、運転に集中している間、思考を巡らす時間も取れると考えてのこと。
 ともかく自分にやれることは全てやってみようと思う。

還暦までのカウントダウン

 遠い未来のことだと思っていた還暦が目前に迫ってきた。
 あと数年で「赤いちゃんちゃんこ」を羽織る年齢となる。まさか、この年になるまで生きていられるとは思わなかった。だが世間的には60歳はまだまだ若い。半世紀前には考えもしなかったことだが、今や70歳を超えても若々しい人が多い。
 もちろん、全員がそうではなくて、老いが進む人もいれば、鬼籍に入ってしまう人もいる。こうして自分が生きていることの有難みを噛み締めながら、2023年卯年の暮れに向かって歩んで行こう。

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