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この戦争は、どう始まったか

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ロシアのウクライナ戦争の当事者となった人々のオムニバス
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2022年11月の記事一覧

この戦争は、どう始まったか -ゼレンスキー(1)

(4,807 文字) 2月22日レクシイ・ダニロフ キーウでは、驚くほど暖かい一日が終わろうとしていた 恒例の5月のバーベキュー(ソ連崩壊後のウクライナの伝統)をするにはまだまだ早く、暦の上では冬の最後となる数日に、気温が10℃となることは、キーウでは珍しい 安全保障会議ビル三階のオフィスにいる国家安全保障・防衛会議(NSDC)事務局長オレクシイ・ダニロフは、極秘情報日報「レッドフォルダー」を待っていた 19時10分頃、ダニロフはそのフォルダを受け取る 文書に目を

この戦争は、どう始まったか -ゼレンスキー(2)

(6,530 文字) 2月23日バイデン 2月23日、ほとんどのウクライナ人にとって、そ日の朝は、8年にわたるハイブリッド戦争のこれまでの朝と目立った違いはなかった キーウのトップがロシアとの対決する新たな一日に備えていたころ、ワシントンのホワイトハウスの執務室をウクライナの訪問客が訪ねていた 通常、米国大統領は大使や外務大臣を執務室に迎えることはない しかし、その日はウクライナのクレバ外務大臣とマルカロワ大使がバイデンのゲストとなった それに先立ち、クレバは、すでにア

この戦争は、どう始まったか -ゼレンスキー(3)

(6,728 文字) 2月24日封筒 一方、NSDCのオレクシイ・ダニロフ書記は、すでに妻と息子をウクライナ西部に送り出していた そして安保理メンバーの私用携帯に電話をかけ始めた ウクライナ議会のステファンチュク議長はダニロフに最初に起こされた一人である ダニロフは、一刻も早く大統領府に来て評議会を開催するようにと頼んだ 「戒厳令を敷かなければいけない、急げ」 国会議員やその他の役人たちも、街のあちこちで目を覚ましていた その中で国家機密にアクセスできる者は、数日

この戦争は、どう始まったか -FSBとSBU

8月22日 ワシントンポスト:(13,441 文字) 陰の中の戦争 ウクライナ侵攻直前の数日間、ロシア諜報機関は、キーウの情報提供者に不可解な指示を送信し始めた 荷造りをして首都を離れろ、ただし家の鍵は置いていけ クレムリンの協力者たちはそう指示された この指示は、露連邦保安庁(FSB)作戦情報部幹部から出されたものだ 彼らの任務は「ウクライナ政府を確実に崩壊させ、親露政権の樹立を監督する」という不吉なものだった メッセージは、その大胆な計画に対する自信の表れだった

この戦争は、どう始まったか -ザルジニー将軍

9月26日 TIME:(9,328 文字) 潮目を変えたウクライナ反撃の内幕ザルジニーの現在の評価 ヴァレリー・ザルジニーは甘く見られやすいかもしれない 軍服を着ていないときは Tシャツと短パンを好み、よく冗談も言う 2021年7月下旬、ウクライナのゼレンスキー大統領の側近から、同国の軍隊の指導者に指名されたことを初めて聞いたとき、彼自身が「どういうことだ」と唖然としたという ロシア軍の侵攻が始まってから初めてとなるインタビューで、自分が最高司令官になるのだと実感したとき

ロシア軍の将軍たち

11月23日 ウクライナプラウダ:(6,716 文字) ハイブリッド戦争からアルマゲドンまでロシア軍のウクライナ侵攻の公の顔は、長い間、プーチンだった 2月24日の前夜、そして「特別軍事作戦」開始後の最初の数日間、クレムリンの宣伝機関が広めていたほとんど全ては、プーチン「総統」の言葉であった まるでプーチン自身が戦争をしているかのように、プーチンだけに「世界の第二軍の勝利」の果実をすべて集めるために しかし、「96時間のキーウ攻略」が失敗し、ロシア軍がドンバスで泥沼に嵌まり

この戦争は、どう始まったか -アレクサンダー・ウィルクル軍民行政長(1)

5月4日 ウクライナ・プラウダ:(6,242 文字) アレクサンダー・ウィルクルへのインタビュー ロシアがこのような事をした以上、過去も違うし、未来も違う  アレクサンダー・ウィルクルは、この戦争でほとんど最大の驚きを与えた領土防衛隊長の一人だ (注:ウクライナでは歴史的な経緯から、地域ごとに自衛軍を率いる有力者がおり、2014年以降の防衛改革の中で、「領土防衛隊」としてウクライナ政府管理下の組織となっていた。 2月26日、戒厳令に関する法律によりクリヴィー・リフは領土防

この戦争は、どう始まったか -アレクサンダー・ウィルクル軍民行政長(2)

(5,511 文字) - 南部や東部の人々も大事な意見を持つ一人一人の人間であると理解されているのですね これまで、貴方は異なる判断を期待されていると何度も耳にしたのではないでしょうか そして、多くの人にとって、貴方の明確な親ウクライナの立場は驚きでした ウクライナとロシア、どちらにつくか悩んだことはないのですか? - 一瞬たりとも迷ったことはありません ウクライナは私の祖国であり、私が持てる立場はただ一つ、祖国のために戦うという立場だけです そのためなら、ロシア人だろう

この戦争は、どう始まったか -PMC(1)

(4,614 文字) 露独立系メディア、メデューサ :ワグネルの傭兵が語る、露軍のオンボロぶり 「アプリコット」 「アプリコット」というコールサインの、この傭兵の戦争は1日早い2022年2月23日の夜に始まっていた 12月中旬、「アプリコット」はPMCレダット «Редут»のリクルーターと打ち合わせをするため、あるカフェに来ていた (「レダット «Редут»」のホームページはもう閉鎖されている) http://redut-security.ru/kompleksna

この戦争は、どう始まったか -PMC(2)

(5,486 文字) レダットの管理者たち 現在も、ウクライナに相当数の戦闘員を置いているレダットは、露国防省の完全な管理下にあるとレダットの元指揮官を含む4人の情報筋が言う 同団体の本部は、モスクワ郊外のクビンカという町にあり、第45空挺旅団の基地に隣接する土地にある この基地に勤務していた退役軍人や複数の現役傭兵が語ったところによると、露軍将校が民間軍事会社の経営をしている 特に、ノバヤ・ガゼータ紙によると、元第45連隊副連隊長であるコンスタンチン・ミルザヤンツが

この戦争は、どう始まったか -PMC(3)

(3,574 文字) 「自分で経験してなければ信じなかっただろう」 現在、露軍はワグネル・グループの空挺部隊の兵員を補充し、主な攻撃部隊として使っている 「あれでは、最も激しい前線で前方軍部隊に傭兵部隊を『レンタル』しているようなものだ 『傭兵部隊をよこせ!』 『はい、お待たせしました』とね」と元ワグナーの指揮官が言う その結果、ウクライナに駐留するPMC部隊は多くの死傷者を出している 「最初にマリウポリに派遣された『音楽隊』は何もすることなく、ただ、クソミンチになった

この戦争は、どう始まったか -ヘルソン(1)

11月8日 ウクライナ・プラウダ:(7,175 文字) ブズコビィ・パルクの戦い -隠されたヘルソン占領の歴史3月1日は、へルソンにとって、ロシア軍侵略の最も悲劇的な日だ ロシア軍が都市を包囲し、いくつかの方向からヘルソン市中枢部に侵入し始めた その一つが、ヘルソン国際空港(チョルノバイフ飛行場から)からナフトビキフ通りのルートである この道中、ブズコビィ・パルク《Бузковому парк》(ライラック・パーク)で領土防衛軍の兵士たちが侵略者を出迎えた 注:「ライラッ

この戦争は、どう始まったか -ヘルソン(2)

11月23日 ウクライナ・プラウダ :(5,157 文字) 彼らはヘルソンのために立ち上がったー自由都市の防人の物語 ヘルソン市の解放は、多くの住民たちにとって快報でした 特に、領土防衛軍ヘルソン大隊の兵士たちにとっては 彼らは武器を手にとり、侵略者からヘルソンの自由を守ろうとした最初の人たちです 2 月に開始した彼らの任務を、彼らの仲間であるウクライナ軍が、ついに先日、完了しました 私たちは、領土防衛軍第192ヘルソン大隊の兵士たちと会いました 2月にヘルソンを守り、3月

この戦争は、どう始まったか‐ロスグヴァルディア

5月20日 米国メディア The Debrief:(13,361 文字)(抜粋・要約・大改編) ティム・マクミラン 哀れなロシアの警官たちがキーウを襲撃しようとしていた 2月25日の朝、ロシア警官の種々のメンバーたちは、硫黄の刺激臭と金属のような甘い死臭で窒息しそうになっているのに気がついた 戦争に出た人たちの最初のトラウマになるのは、光景や音ではなく、匂いだという 人間同士の争いの毒々しい匂いによって、戦争の現実がはっきりと見えてくるのだ その時、彼らはロシア兵として