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この戦争は、どう始まったか -FSBとSBU

8月22日 ワシントンポスト:(13,441 文字)

陰の中の戦争


ウクライナ侵攻直前の数日間、ロシア諜報機関は、キーウの情報提供者に不可解な指示を送信し始めた
荷造りをして首都を離れろ、ただし家の鍵は置いていけ
クレムリンの協力者たちはそう指示された
この指示は、露連邦保安庁(FSB)作戦情報部幹部から出されたものだ
彼らの任務は「ウクライナ政府を確実に崩壊させ、親露政権の樹立を監督する」という不吉なものだった
メッセージは、その大胆な計画に対する自信の表れだった
ウクライナや西側の安全保障当局者によれば、FSBの工作員は、自分たちがまもなくキーウの権力の座を奪取すると確信しており、戦争の始まる数日前に、情報提供者のアパートやその他の場所に、計画された人員の配置のための隠れ家や宿泊施設を手配していたのだという
傍受された通信の中で、あるFSB職員は、占領監督のために派遣される職員に「よい旅を!」と言っている
 戦争初期でロシア軍が撤退し、FSBの計画は崩壊したため、受信者が首都に到着した形跡はない
これらの準備を暴露する通信は、ウクライナや他国の諜報機関によって取得され、ワシントンポストによって検証された 

https://www.washingtonpost.com/world/interactive/2022/russia-fsb-intelligence-ukraine-war/

機密資料の大量の宝を所有するFSBは、露の戦争計画の失敗と傲慢さに大きな責任を負う巨大組織だ
FSBはロシア国内の安全保障や旧ソ連諸国でのスパイ活動を行う機関である
何十年にもわたってウクライナを監視し、その組織を取り込もうとし、役人に金を払い、西側への傾倒を妨げようと働いてきた
ロシア国外のFSBの諜報活動で、ウクライナ社会に浸透することほど重要なことはなかった
しかし、ウクライナ政府を無力化することも、親露派を煽ることも、ゼレンスキーの権力保持を妨げることもできなかった
ウクライナや西側諸国の政府関係者によれば、ウクライナ担当分析官はウクライナがどれほど強硬に反応するかを理解していなかったか、理解していてもプーチンに冷静な評価を伝えられなかったか、伝えようとしなかった

ロシア軍の屈辱は、FSBやその他の情報機関の失敗を覆い隠してきたが、いろんな意味で、FSBの失敗がクレムリンのほぼすべての理解しがたい戦争の決定の根底にあったと当局者は言う
ロシアとその諜報機関に関する機密情報に定期的にアクセスしているとある米政府高官は「ロシアは1マイルも間違っていた」と表現する
「彼らは、達成できない戦略的目標を達成するために、戦争目標を設定した ロシアのミスは、本当に根本的で戦略的なものだった」
ウクライナの治安部隊がロシアの諜報機関の信用を失墜させようと試みているのはその通りだが、この機密文書の重要詳細は、西側諸国の政府関係者によって裏付けされたものである
この機密文書によると、FSBのウクライナを担当部隊は、戦争に先立つ数カ月の間に規模を拡大し、ウクライナの治安組織内の買収した工作員の広大なネットワークの支援を当てにしていた
FSBに従ってウクライナの防衛を妨害した者もいれば、FSBからの支払いをポケットに入れながらも、戦闘が始まるとクレムリンの言いなりになることを嫌がった者もいるようだ、と当局者は語る

ロシアの誤算の謎をさらに深める記録がある
FSBが行った大規模な世論調査によれば、ウクライナの大部分はロシアの侵略に抵抗する準備ができており、ロシア軍が解放者として迎えられるという期待に根拠が無いことが分かっていたのだ

それでも、ウクライナの大衆は露軍の到着とモスクワの友好的な支配の回復を歓迎するだろう、というバラ色の未来をFSBはクレムリンに与え続けていたたのだという
「GRUと軍部にも希望的観測が多かったが、それはFSBから始まっていた」と、西側の安全保障当局の高官は言う
「行く手に花が散らばるという感覚をFSBは与え続けた」
この高官だけではなく、他のウクライナ、米国、欧州の他の安全保障当局者たちも、この前提に異議が無い
FSBはこのような誤った仮定に基づき、キーウを電光石火の攻撃で、数日のうちに政府を崩壊させるという戦争計画を支持したと、当局者は述べている
ゼレンスキーは死ぬか捕まるか亡命するかして、FSB諜報員が埋めるべき政治的空白を作るだろう、と

ウクライナの治安当局者によれば、一時はキーウ郊外まで到達したFSB諜報員は、ロシア軍とともに撤退せざるを得なかったという
FSBはキーウで新政府樹立を達成できなかったため、ウクライナ作戦の長い歴史とその巨額の資金によって、何を達成したのか明らかにしなければならないという難しい問題に直面している
FSBはコメントの要請に応じなかった

 FSBの計画と、CIAや英国MI6など、西側情報機関の支援を受けて対抗してきたウクライナ治安当局の努力は、ロシア軍事作戦と同時に展開されてきた影の中の戦争である

この戦争は、侵攻を受けた2月24日の、はるか以前より始まっており、その戦線は、KGBの継承者たちにより始められた
ロシアの情報サービス(FSB)とウクライナのカウンターパート(SBU)の因縁は、積もった歴史によって曖昧である
戦争が始まって6カ月になるが、どちらも明確な優位性を持っていないようにも見える
しかし、本当は、ウクライナの治安機関が顕著な勝利を収めている

ウクライナの非政府組織が、戦争開始間もなく、FSBの計画を混乱させ、人員を動揺させるために、戦争に関連するFSBの工作員の名簿と称するものを、その数十人の身元とパスポート番号を掲載して公開した

Myrotvorets(ピースメーカー)と呼ばれるそのNGOの関係者は、このデータはウクライナの治安機関(SBU)から入手したと、この人物は匿名で証言する
同時に、SBUは、ロシアのモグラ(情報工作員)や妨害者を排除するのに苦労している
7月、ゼレンスキーは幼なじみのイワン・バカノフSBU長官を解任するという異例の措置をとった
これにより数人の幹部が逮捕され、裏切り者の烙印を押された
プーチンは、FSBの判断の誤りの酷さにもかかわらず、プーチンのスパイ責任者たちに対して同等の措置は取っていないと考えられている
2019年の臨時代理大使を含め、在ウクライナ米国大使を2度務めたウィリアム・B・テイラー・ジュニアは
「どうして彼らはウクライナ人は戦わない、ゼレンスキー大統領があれほど勇敢に抵抗できないと想定できたのだろう?
FSBと最上層の間のどこかに断絶があるはずだ」と言う

2月下旬にキーウ入りするつもりだった人物の中に、SBUが長年監視してきた、FSB幹部イゴール・コバレンコがいる

この男は、ウクライナの著名な政治家や政府高官の主任担当者として、プーチンの親友ヴィクトル・メドベチュクが共同議長を務める野党のメンバーなどに、クレムリンからの給与を密かに支払ってきた

ヴィクトル・メドベチュク

2月18日に、コバレンコがFSBの部下と交わしたやりとりの記録がある
彼がドニエプル川を見下ろすキーウの緑豊かなオボロン地区にあるアパートに目をつけていたことを示唆するものだ
傍受された通信によれば、コバレンコはそのアパートの住所と、そこに住んでいるFSBの情報提供者の連絡先を尋ねている
ウクライナ当局によれば、その後、その住人を拘束し、尋問を行ったという
そして、ゼレンスキー政権内の情報提供者の住所、電話番号、連絡に使った暗号を聞き出した
男は侵攻の数日前に、戦争の初期段階における安全を確保するため、荷物をまとめ、鍵を置いて首都を離れるようにFSBから指示を受けたことを認めた
拘束された他の情報提供者も同様の証言をしている

関係者の一人は言う
「彼らは、『あなたが戻ったら、すべてが変わっているだろう 』と言われていた」
ピースメーカーが発表し、ウクライナ治安当局が確認した情報では、コバレンコは47歳のベテランスパイだ
近年はウクライナ議会の親露派主要政党との秘密のつながりを管理する役割を担っていたとされる
コバレンコはコメントの要請に応じなかった

ウクライナ当局は、コバレンコは三月はロシア軍に同行し、首都からわずか数キロの場所にいた可能性があるとみている
ロシア軍が撤退を始めたため、キーウでの作戦遂行を命じられたFSBのチームも、その計画を断念せざるを得なかったのだろうと当局者は証言する
オボロンにあるアパートは、通信傍受でその住所が浮上した後、SBUの監視下に置かれた
コバレンコも他のFSB職員も鍵を取りに来なかった
コバレンコはFSBの作戦情報部第九局幹部で、その主な目的は、モスクワのウクライナ支配を長期的に確立することであった
ウクライナ当局者によれば、この部門はFSB幹部のセルゲイ・ベセダが監督している

ベセダは1970年代後半にKGBでキャリアをスタートし、キューバなどの海外勤務を経てモスクワに戻り、ウクライナ、ジョージア、その他の旧ソ連邦での作戦を指揮するようになった
2013年末にキーウで親露派のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ政権に対する抗議デモが発生した際、ベセダはウクライナの首都に現れた

ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ

マイダン革命として知られることになる市民蜂起を鎮圧するため、殺傷能力のある武器を使用するよう、ヤヌコヴィッチに促したという
デモ隊が勝利すると、親露政権を復活させるために数年来、協力していた部下とヤヌコビッチとヤヌコビッチの上級顧問グループと共に、ロシアに逃亡した

ウクライナ支配の計画は、2月の侵攻前の2年間、新たな緊急性を帯びていたようだ
通信傍受やその他の情報を引用したウクライナ当局者によれば、2019年、FSBは対ウクライナ部隊の大幅な拡張を開始した
昨夏、この部隊は、将校の数が30人から160人まで膨れ上がった
他支部からも新人を勧誘するため、FSBはボーナスと、モスクワのミチュリンスキー・プロスペクトFSB訓練アカデミーに隣接する無償住居を提供した
入隊した将校は、ウクライナ領土の担当を割り当てられ、協力者や無力化すべき敵のリストを作成する任務を与えられている
当初、この増員は「ウクライナにおけるロシアの影響力を取り戻す」ことを目的とした新たな事業と見られていた
しかし、振り返ってみると、これはロシアがウクライナでの影響力強化から「ロシアによる支配」に焦点を移しつつあることを示す初期のシグナルであったかもしれない、と当局者は言う

昨年、ロシアの軍事動員が加速すると同時に、ウクライナの治安当局には西側諜報組織から新たな情報が殺到した
1月12日、CIA長官ウィリアム・J・バーンズはロシアの計画に関する詳細な資料を携えてキーウに到着した

同行の米当局者チームは、ゼレンスキーとその側近に戦争が差し迫っていることを納得させようと努めた
しかし、CIAのチームが立ち去った後、ウクライナの諜報担当長官たちはゼレンスキーの下に集まり、ブリーフィングを行ったが、かなり曖昧なものとなったようだ
「米国が伝えた情報をそのまま伝えた」と、ある参加者は言う
しかし、同時に
「我々の情報では、ロシアはこれほど大規模な戦争は計画していない」とも言った
その言葉は、CIAの警告と同等の重みを持ったようだ

侵攻直前の数週間は、矛盾した情報報告や、欧州当局からの混乱した信号が飛び交う時期であった
バーンズCIA長官の訪問から10日後、英国政府がロシア政府はウクライナを侵攻し占領しキーウに親露派指導者を据えようとしていることを示す情報を得たと発表した
英国の資料では、親露派の元ウクライナ議会議員イエベン・ムラエフを新政権の「候補者」としていたが、ムラエフはAP通信へ「ばかばかしい、おかしい」と回答している

英国は、ヤヌコビッチ元内閣閣僚の名前も挙げた
ロシアの情報機関とつながり、接触していた役員が 「ウクライナへの攻撃計画に関与していた」と英国は主張している
同じ頃、ウクライナの治安当局は、FSBの諜報員がロシア軍空挺部隊と直接連絡を取り合っているとの情報を入手した
FSBと軍部隊のこのような直接的な交流は非常に珍しく、共同作戦計画の憂慮すべき兆候と見なされた

その懸念は的中したようだ
ロシア軍空挺部隊は、キーウ近郊のホストメル空港に侵攻し、早々に奪取し、極めて重要な役割を果たした
この空港は、首都への攻撃拠点となることが予想される重要な場所だ
ロシア軍が滑走路から撃退される前に、FSBの将校がそこで目撃されている

しかし、遅れて入ってきた他の情報には、ロシアが本格的な戦闘を計画しているどころか、侵攻の準備をしていたということにさえ、疑問を投げかけるようなものもあった
二月中旬、ウクライナの対外情報機関SZRUは、ロシアに諜報員を送り込みロシア軍部隊の監視活動を行っていた

あるチームが遭遇したのは、ポチョムキン村と呼ばれるロシアの軍事施設であった
そこには戦車の操縦士も整備士もいなかったという
他の場所では、ウクライナのスパイは懲罰ものの乱痴気騒ぎに遭遇している
燃料や物資をアルコールと交換したロシア軍部隊が、立ち往生して車列をつくっていたのだ
ウクライナのスパイが目撃した報告書を検討したウクライナ政府関係者は
「彼らの多くは酔っぱらっていた」と述べている
このような光景が、ゼレンスキーの安全保障顧問の中に、ロシア軍の侵攻に対する疑念を引き起した
自国の命運が尽きるかもしれないなどとは思いたくなかったのだ
数カ月たった今でも、ロシアが準備不足のまま強行したことに疑念を抱いている人は少なくない
欧州の関係者も懐疑的であった
2月8日、フランスのマクロン大統領はキーウで、事態をエスカレートさせないという個人的な保証をプーチンから得たと述べた
ドイツの諜報機関長官ブルーノ・カールは、その数日前に、プーチンは攻撃するかどうか「まだ決定していない」と述べていた
(カールはキーウに滞在しており、侵攻開始当日にもキーウに滞在していたが、車でポーランドに避難させられた)
結局、多くのウクライナ治安当局は、ロシアの軍備増強は心理的な策略でしかなく、政権がぐらつきを見せるなら、転覆させるためにミサイル攻撃や空挺部隊やスペツナズ精鋭部隊による侵攻をするかもしれないと考えたのである
当時、ウクライナはロシアの妨害工作が原因とされるエネルギー危機に直面し、通貨に対する圧力が高まり、ゼレンスキーの支持率は26%程度にまで急落していた

「戦車や大砲、歩兵を使った第二次世界大戦のような古典的な侵略を想定していなかった」と、ウクライナの安全保障担当幹部は言う
ウクライナはロシアの意図について間違っていたが、モスクワも大規模な陸上戦は想定していなかったのではないか、と彼は言う
「彼らは誰かが門を開けることを期待していたのだ」
「抵抗されるとは思っていなかったのでしょう」

「侵攻のかなり前から、我が国に対するハイブリッド戦争を繰り広げていた
エネルギー的打撃もあれば、政治的打撃もあった
彼らは国内からの政権交代を望んでいた
我々にソフトな降伏を準備させたがっていると感じていた」
とゼレンスキーは語っている

ウクライナのSBUは、ロシアのFSBと同様、KGBの後継機関である
キーウの旧KGB本部を使用し、ソ連時代と同じ官僚機構を持ち、モスクワのKGBアカデミーやソ連崩壊後のFSBの後継組織で訓練を受けた非公開の幹部が働いている
両機関の絡み合った歴史は、この紛争に「鏡の国」的な側面をもたらしている

ウクライナの現職・元治安当局たちによれば、上級職員の忠誠心さえも不安の種だという
ある幹部は、戦争が始まって2日目、命令を伝えるために部下に電話をかけようとしたとき、電話しても応答がないのではないか、その上級士官が露側に寝返ったことが分かるのではないかと、ためらいながら電話したという

ところが、電話をかけた相手が電話に出るだけでなく、紛争以前には見られなかったような正確さと決意をもって命令に従ったので、彼は驚いた
「ウクライナ国家のパラドックスだ
ウクライナ人自身も含めて、ウクライナの政府機構には高いレベルの腐敗、非効率、ロシア工作員の浸透があると信じられていた
しかし、2月24日以降、ウクライナ人はただ働くだけでなく、これまで以上に効率的に働くようになった」と彼は言う
ゼレンスキーが首都に留まる決断をしたことが、その立ち直りの大きな要因であったという

キーウの官庁街には、ソ連の技術者が設計した、核戦争に耐えられる巨大な地下壕がある
ある上級顧問は、戦争の最初の数週間のうちに、ゼレンスキーに会うためにそこに連れて行かれた
トンネルや司令塔のある複雑な場所に降りて行った
「(ゼレンスキーのいる拠点が)どこにあるのか、いまだに正確には分からない」と彼は言う

米国の元政府関係者によれば、ウクライナはロシアの工作員を一掃しようと何度も試み、一時はCIA職員にFSBの浸透を根絶するための内部アドバイザーを務めてもらうことさえあったという
しかし、SBUの職員は推定2万7000人もおり、少なくとも英国MI5の5倍の規模であり、この問題を克服するのは難しかった
「裏切り者がいる?
なんて言ったらいいんだろう
ウクライナへの愛はあっても、(必ずしもその人が)罪を犯してないとは限らないんです
国に忠誠を誓わない人たちは、年々減っています
それでも戦争が始まった頃は、金のためにロシア人のために働く者もいたし、内側でずっとウクライナを憎み、ソ連の復活を待ち望んでいた者もいました」 とゼレンスキーは言う

SBUの幹部数名が国家反逆罪で起訴されている
その中には、ウクライナ南部のへルソンSBUの元局長がおり、ロシア軍がこの地域に押し寄せた際、部下に持ち場を離れるよう命じたとして告発されている
先月、ウクライナ当局は、ゼレンスキーの幼なじみである(元)SBU長官バカノフがSBUの上層部に据えた別の職員、オレグ・クリニッチを逮捕した

クリニッチに対する疑惑は、ロシアの浸透を浮き彫りにするものだ

ウクライナ当局が提出した告発状では、クリニッチはウラジーミル・シヴコヴィッチ(2010年10月から2014年2月までウクライナ安全保障会議の元副議長)の管理するスリーパー・エージェントの一人であったとされている

シヴコヴィッチは1月に「ロシアの情報活動家のネットワークと協力して影響力活動を行った」として米財務省から制裁されている
告発文書によれば、シヴコヴィッチは戦争の2年前に、「露連邦の特殊部隊」にとって「作戦上の利益」となるSBU内部の秘密ファイルを盗むように、クリニッチに「任務を課した」
告発文書によれば、彼らは一緒に、別のロシア人スパイ容疑者をSBUの防諜部門で昇進できるように共謀していたという
セルビア当局が発表した情報によれば、この人物、アンドリー・ナウモフは6月にセルビアで70万ドル以上の現金と宝石を所持して逮捕された

アンドリー・ナウモフ

起訴状によれば、ロシア侵攻の夜、クリミアのロシア軍が数時間で攻撃を開始するという警告情報の伝達を、クリニッチは「意図的に」妨害した
ウクライナ大統領府のアンドリー・スミルノフ副長官は、クリニッチ逮捕後、ゼレンスキーがSBU長官バカノフを更迭したのは、ロシア・シンパの「一掃」に失敗した苛立ちからだったと指摘する
「戦争が始まってから6ヶ月が経過したが、このような人たちは引き続き発見されている」
バカノフはコメントの要請に応じなかった
クリニッチ、シブコビッチ、ナウモフの3人からもコメントは得られなかった
彼らに対する疑惑について、彼らは公的な声明は出していないようだ
ウクライナ内務省によると、偵察や破壊工作などでロシアに協力した疑いのある人物は、全体で800人以上拘束している

また、当局は政府、議会、政治における「影響力のある工作員」の疑惑に対しても動いている
その筆頭が、プーチンと親密な関係にあり、末娘の名付け親にもなっている野党党首のメドベチュクである
ウクライナ政府関係者は、メドベチュク(68歳)は政治に精通し、高い地位への野心があり、クレムリンが設置するどのような政権であっても、おそらく、操り人形師として仕えただろうという

ゼレンスキー政権は2021年5月、メドベチュクを国家反逆罪で起訴し、自宅軟禁としていた
メドベチュクは不正を否定し、汚名を晴らすために闘うと言っていたが、戦争初期に逃亡し、4月に拘束され、裁判を待っている
(注:2022年9月17日、アゾフスタリで捕虜にされていたウクライナ人と交換された)

メドベチュクの弁護士Tetyana Zhukovskaは今月、ウクライナの裁判所がメドベチュクに対する判決を下すまでコメントはできないと言っている
「2月24日に始まったとき、彼らの任務はキーウを占領することだった 彼らは、それが国全体に波及するドミノ効果につながると期待していた
「まず中央政権を奪い、地方での存在感を強めるというものです」 と治安当局者は言う

計画の一環として、FSBは少なくとも二つの親露派政権の選択肢を用意していた
英国政府が警告していたような一つの政権ではない、とウクライナ当局者は語る
なぜ二つのグループを動員したのかは不明だが、ただ、プーチンは選択肢が欲しかっただけだろうと推測されている
一つは、ベラルーシに配置されていたヤヌコビッチである
3月7日、元ウクライナ大統領ヤヌコビッチの飛行機がミンスクに着陸している
2014年の失脚後も、クレムリンがウクライナの「正当な」指導者と呼ぶ政治家ヤヌコビッチの復権をロシアが目指す可能性を、彼のミンスク到着は示唆している
侵攻開始後、ゼレンスキーへの公開書簡をロシア国営通信社で放送し、ウクライナ大統領に「流血を止め、なんとしても平和協定を結ぶ」ことが彼の義務であると伝えたのである
ウクライナ情報局が傍受した情報では、その翌週、ヤヌコビッチの警備主任は、FSBのウクライナ部隊幹部と三度にわたり話をしている
ヤヌコビッチはコメントの要請に応じなかった
ヤヌコビッチ大統領時代の元首相 ニコライ・アザロフは、モスクワがヤヌコビッチ氏の政権復帰を画策しているというのは「全くナンセンス」だと主張している

もう一つは、ヤヌコビッチ政権の元メンバーらだ
彼らはウクライナ南東部がロシア軍に陥落したことを受け集結した
その中には、ヤヌコビッチ政権下の地方政党の元主要メンバー、オレグ・ツァリョフがいる

Telegramでツァリョフは「キーウはファシストから解放されるだろう」と投稿し、自分の存在を誇示している
ツァリョフは、戦争の最初の数週間の間にキーウ周辺に移動し、「友人」と旅行していたと語っている
キーウ周辺にいたとき「新政府について誰とも合意していない」とだけ言い、政権奪取の陰謀に加わっていたかどうかの質問には答えなかった

戦争に関係するほぼ全ての情報機関が、結果的に誤った判断をしていた
米国の諜報機関は、プーチンの意図を予見していたが、ウクライナが猛攻に耐える能力があることを過小評価していた
この誤りが、米国が当初、高度な重量兵器の支援をためらう一因となった
ウクライナ政府は、ロシア軍に本格的な戦闘の準備ができていないという兆候を深読みしすぎて、首都の数マイル先までロシア軍が侵攻してくるという西側の警告に抵抗を感じた

ウクライナにおけるロシアの諜報活動は、より組織的な問題があるように思われる
信頼できない情報源と、プーチンの偏見に一致するようなウクライナに対する侮蔑的な態度がクレムリンに厳しい事実を伝える意欲を阻害していたのだろう
FSBは、クレムリンが気に入るように評価をまとめ、キーウを倒すことを奨励する、政治的、財政的信頼性のある情報源を採用し、この動きを助長した
 FSBと密接な関係にあるシンクタンク、モスクワのCIS諸国研究所による機密報告書は、再度、隣国に対する支配を強めるようモスクワを急き立てている
2021年初期の報告書には、ロシアが支配することが「西側の敵対勢力のどんな命令も実行する傀儡国家がもたらす永遠の脅威...をロシアから取り除く唯一の方法」であると書いている
同研究所のコンスタンチン・ザトゥリン所長は電話インタビューにおいて、ウクライナに対する軍事力行使に反対してきたと主張し、侵攻によって達成できるというクレムリンの「膨らんだ期待」は、ロシア国内のクレムリン同盟者による誇張のせいだと非難している

メドベチュクは2000年代前半に大統領首席補佐官を務めた後、ビジネスで財を成し、ウクライナの主要な親露政党の共同党首となった人物である
他のウクライナの人物とは異なり、メドベチュクはプーチンと直接話すことができたという
ゼレンスキーは弱く、ゼレンスキー政府は崩壊し、ロシア軍はウクライナ国民に歓迎されるだろうとモスクワに保証するクレムリン同盟者のコーラスの中でも、彼は最も目立つ声だった
ここ数年、メドベチュクは自分のビジネス帝国を利用し、ロシアがキーウに対抗するための下地を作っているように見えた
彼のテレビ局は日常的にゼレンスキーをバッシングし、米国がウクライナの生物兵器開発を支援するためにバイオラボを有しているなどというロシアのプロパガンダを放送していた
彼の会社は、ロシア南部の石油精製所への出資を含め、親露勢力に資金を流すパイプ役を果たし、キーウ政府を不安定にする計画を支援していた
 メドベチュクの活動がより大胆になるにつれて、米国とウクライナは対抗するために動き出した
米財務省は、メドベチュクを既に制裁下に置いていたが、彼の政党の主要幹部たちに対しても「ウクライナ政府を乗っ取り、占領軍とともにウクライナの重要インフラを管理」するためにロシア情報機関と協力していると非難した

その制裁を受けた仲間の一人、オレフ・ヴォロシンは、自分やメドベチュクがロシアの侵略計画について具体的に事前に知り、ゼレンスキー政権を転覆させることを目指していたことを否定する
「メドベチュクとその支持者は弾圧されたため、仕方なくモスクワ側に押しやられたのだ」と先月の電話取材でゼレンスキーを非難している
「その選択は、常に自発的に中立になるか、力ずくで中立になるかのどちらかであって、これが良いとか悪いとかいう話ではない これが現実なのだ」と彼は言う

戦争は、メドベチュクの予想に反し、失敗に終わった
そして、ゼレンスキーではなく、メドベチュクの政治的ネットワークが崩壊し、十数人の党幹部が国外に脱出した
その後、モスクワがメドベチュクを見限ったことは、プーチンの怒りが目に見える形で現れた数少ない例である
4月中旬、メドベチュクが拘束された後、ウクライナ当局は囚人交換の一環として彼をモスクワに送り込むことを提案した
しかし、関係者によると、クレムリンはこのオリガルヒには関心を示さなかったという
戦前は、プーチンとの会談で完璧な仕立てのスーツを着ている姿を写真に撮られていたが、ウクライナが最近公開したのは、囚人服を着て手錠をしている姿だ
親露派分離主義者に占拠される前のドネツク州知事の顧問だったコスチャンティン・バトツキーは、 「クレムリンにとって、彼はお金を取って何の成果も出さなかった裏切り者だ」という
「メドベチュクは用済みになったカードだ
彼らは二度と彼を使わないだろう
彼も、もうロシアに行きたがらない
世界で最も不愉快な質問をされるからだ
あの金はどうした?と聞かれるからだ」

ロシアの誤算で不可解なのは、FSBがウクライナとの戦争が決して楽なものではないことを示唆する情報を入手していたことである
ウクライナ情報局が入手したコピーによれば、FSBと密接な関係にある組織が行った最近の世論調査では、プーチンはウクライナでひどく不人気で、ロシア軍が歓迎されるという考えがフィクションであることが示されている

リサーチ&ブランディング社による2021年4月の世論調査で、ウクライナ人の84%がロシア軍のさらなる侵攻を「占領」と見なし、そのようなシナリオを「解放」と見る人はわずか2%であることが示されている

The Postが調べた26ページの文書によると、戦争の数週間前の1月下旬に行われた2番目の世論調査では、侵略のシナリオについて非常に詳細にウクライナ人に質問している
この世論調査は、シブコビッチに依頼され、行われたものだという
国家間の大戦争は起こるだろうか?
ロシア軍の増強について、人々は自分自身や自分の愛する人を心配しているか?
ウクライナの軍隊は侵略を食い止めることができるのか?
ということを調査している

最も重要な質問は、世論調査の最後のほうにある
「そのような事態になったとき、ウクライナを守る準備はできているか」
全体では48%が肯定的な回答をしている
ウクライナ当局は、この数字は、何百万人もの国民がロシアに対して武器を取る準備ができていることを示す、決意の表れとして解釈されるべきだという

しかし、FSBは同じデータから異なる結論を導き出し、ウクライナ人のうち自国を守ることに熱心なのは少数派だと考えたのかもしれない
調査結果がクレムリンに正確に伝わったかどうかは不明である
Research & Branding社に問い合わせたが回答はなかった

プーチンがロシア・メディアを情報遮断しているため、FSBの動向はなかなかつかめない
FSBのウクライナ局を担当するベセダが降格あるいは投獄されたという初期の報道は、米国や他の情報当局から懐疑的に見られている

ロシアのスパイ長官がそうした結果に直面したことを示唆する情報は無いという
ある米政府高官は、ベセダについて
「彼がまだ職務に就いていると信じるに足る十分な理由がある」と言っている
また、FSBのアレキサンダー・ボルトニコフ長官が、自らの失敗の責任を取らされた形跡もないという
クレムリンとFSBに密接な関係を持つ露高官政治家も、インタビューで、ベセダは職務を遂行し続けていると述べている
ある報道は、プーチンはFSBの失敗を理由にFSBを退け、ウクライナに関するより大きな責任をロシア軍の情報機関GRUに与えたとされている
しかし、ウクライナ当局はそうではないと言う
「個人的な見解だが、FSBは与えられた仕事をこなせなかった
しかし、彼らは仕事を続けている
同じ熱意をもってではない しかし、彼らは続けている」と、ある当局者は言う

ウクライナ当局は、最近の情報では、砲撃で消滅したロシア軍と同様に、FSBも再編成され、南部と東部の領土に再配置されたことを示しているという
「その目的は、政治的支配、経済的支配、犯罪集団の支配、つまり占領地におけるあらゆる活動領域の支配であり、最終目的は、親露的な権力を確立することである」 
最初に陥落した大都市へルソンから、ロシアがキーウを奪取していたらどのような生活になっていたかということを、今、冷静に垣間見ることができる
同市のイホル・コリキャエフ市長は、ロシア占領軍への協力を繰り返し拒否したため、6月に逮捕され、その所在は不明だと市長の補佐官は述べた
後任には、元KGB将校でSBUに勤務していたこともあるオレクサンドル・コベツが就任した

前市長補佐のガリーナ・リャシェフスカヤによると、4月にコリャイエフ市長が更迭されたとき、少なくとも300人の住民が行方不明になっている
最近の推定では、少なくともその数は2倍になっている
さらに多くの人が逮捕され、人口30万人のうち約半数が逃亡しているという

ヒューマン・ライツ・ウォッチの最近の報告書は、へルソンの住民に対し、数十件の拷問が行われていることを記録している
「FSBには制服がないので、誰が隣にいるのかわからない
ここはFSBにとってパラダイスだ ...彼らは誰でも好きにできる」
とリャシェフスカヤは言う

FSBは、この都市と周辺地域をロシアに編入する口実となる住民投票の計画に関与している
しかし、ウクライナはへルソン奪還のための大規模な反撃準備を整え始めている
ウクライナの治安当局者によれば、戦争に終わりが見えないため、FSBの幹部は3カ月交代で活動し始めたようだ

キーウの川沿いのアパートを予約していたFSBのコバレンコは、指を骨折してロシアに退去した
ウクライナによる自分の部局への浸透に不安を覚えたのだろうとウクライナの治安当局者は述べている
ウクライナ情報機関が監視していた親族との通信の中で、電話を変え、モスクワの住所を変え、
家族の車さえも売ったと彼は話している
そして5月下旬、彼は別の任務のためにウクライナに送り返されることになったという
彼のある親族はこの知らせに罵倒で反応した
ウクライナ当局は、コバレンコの居場所はまだ特定できていない
(終わり)

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