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この戦争は、どう始まったか -アレクサンダー・ウィルクル軍民行政長(1)

5月4日 ウクライナ・プラウダ:(6,242 文字)

アレクサンダー・ウィルクルへのインタビュー
ロシアがこのような事をした以上、過去も違うし、未来も違う

 アレクサンダー・ウィルクルは、この戦争でほとんど最大の驚きを与えた領土防衛隊長の一人だ
(注:ウクライナでは歴史的な経緯から、地域ごとに自衛軍を率いる有力者がおり、2014年以降の防衛改革の中で、「領土防衛隊」としてウクライナ政府管理下の組織となっていた。
2月26日、戒厳令に関する法律によりクリヴィー・リフは領土防衛隊と地方自治体を統合した「軍民行政(Військово-цивільна адміністрація)」に移行し、ウィルクルはクリヴィー・リフ軍民行政長に就任している。)

ウィルクル自身は、自身の立場は常に親ウクライナであると主張していたが、2月24日までの彼の政治的キャリアは、しばしば親ロシア的なものと見られていた
(領土防衛隊の役割については「ウクライナの教訓 -NATO」に詳細が記述されています。)

クリミアの併合とドンバス戦争を経ても、ウクライナ政府の対ロシア方針への彼の政治的意見は明白ではなかった
そして、2年前、ウィルクルは公の議論の場から完全に姿を消した   

注:クリヴィー・リフは重工業が盛んな、戦前の人口約65万人(ウクライナで8番目の人口)のハルキウの中規模都市である

侵略が始まってから今(5月のはじめ)まで、クリヴィー・リフの防衛を率いているのが彼であることは知られていなかった
(なお、ウクライナがキーウ全域の解放を公式に宣言したのは4月3日だ。)

3月下旬、キーウ撤退直前の戦況図

 ウィルクルに、ザハルチェンコ(ウクライナの元内務相だった人物)がウィルクルに街を明け渡すように提案した話、ロシア人からの電話のブロック、そしてゼレンスキー大統領が生まれ育った街の防衛について話を聞いた

「幸運なことに、クリヴィー・リフはウクライナのGDP10%を占める最大規模の工業都市でした。」

-戦争がどのように始まったのか教えてもらえますか?

2月24日、朝5時に目が覚めました
全国で爆撃の報告があったとのことでした
さらに、2つの軍事施設へのミサイル飛行があったという情報を受け取りました
煙草を吸って、すぐに空港に電話をかけ、空港にある装備で滑走路を塞ぐように指示しました

クリヴィー・リフは南北126kmに及ぶ

4〜5時間以内に、建設機械を使ってアスファルト舗装を剥がし、滑走路を完全に塞ぎました
空港は完全に消滅し、レーダーも壊しました
その後、他の多くの命令を出しました
学校や幼稚園の休止、それから防衛に関連するいくつかの指示をして、それからオフィスに来ました

クリヴィー・リフ空港

 -その時、あなたは公人だったのでしょうか?

いいえ、当時私は自営業者でした
私はクリヴィー・リフで長い間暮らしており、ここの多くの企業の責任者を務めていました
ただ、 クリヴィー・リフの市評議会では、私の支持政党「ウクライナ・パースペクティブ」がほぼ過半数を占めています
私の意見は尊重されていました
それで、すぐに始めました

 -あなたはすぐに、自分が街を守ると決めたのですか?自分自身で?何をすべきか、どこへ行くべきかを自問することはありませんでしたか?何をすべきか、すぐに分かったのですか?

逃げたり、他のことをしたりすることは思い浮かびませんでした
私の国、私の街、私の故郷が攻撃を受けたのなら、当然、故郷を守るために全力を尽くさなければなりません 

-最近は政治に関わっていませんでしたが、ここで暮らしていたのですか?

2年前、政治から完全に手を引く事にしました
関わっているのは、今のこの計画だけです
そして、戦争が終われば、それは私たちの勝利で終わるでしょうが、政治に関与しません
 つまり、今は、すべてのウクライナ人と同じように、私は自分の街と国を守るために必要なことをしているだけです

-戦争初日、物事はどのように動きましたか?防衛に関してどんな問題に直面しましたか?
状況を安定させるために何が必要でしたか?

戦争の初日、私たちは都市の周囲に要塞、検問所の建設を開始しました
幸運なことに、クリヴィー・リフはウクライナのGDP10%を占める最大規模の工業都市でした
さらに、私たちには経験があります
19年間も産業界で働き、クリヴィー・リフの多数の企業の実務担当者から初代社長まで務め、いくつかの採掘・加工工場の責任者を務めたので、仕事の進め方は理解していました

イリューシン Il-76

2日目、空港に飛行機を着陸しようと試みました
1機のイリューシン輸送機と3機のスホイ攻撃機が飛来しました
かなり低く、たぶん200メートルか、さらに少し低く飛びました
MANPADS(地対空ミサイルシステム)さえあれば、簡単に撃墜できた可能性があります

Su-34

 しかし、ここは民間の空港で、MANPADSはありませんでした
イリューシンが飛び去り、攻撃機は約30分旋回し、偵察してから飛び去りました
滑走路が塞がれていたため、彼らは着陸できませんでした

MANPATs または Man-Portable Anti-Tank System

- それで、状況が悪化してからはどうですか?

3日目に、侵入しようとするロシア軍がいました
クリミアから出てきてヘルソン州やミコライウ州を通過してくるロシアの部隊に対抗しました
ロシア軍300両の車列がミコライウのバイパス道路を通り、バシュタンカへ向かっていました

バシュタンカで目撃されています
私自身、そして私の家族も、昔からバシュタンカと密接な関係があります
父の家族がバシュタンカの出身なので、情報を得ることができたのです
(注:ウィルクルの曽祖父は第一次世界大戦でバシュタンカを守るために、露帝国軍と戦い戦死している)
最初にウクライナ軍の戦闘機、次に3機のヘリコプターが来て、この隊列の150両を破壊しました
戦争初期のバシュタンカの農家がトラクターで「兵器」を引きずってる映像をインターネットでたくさん見たでしょう
あれこそバシュタンカの話です!

破壊されたバシュタンカの町の様子を報道するウクライナのニュース番組

ヘリコプターの攻撃でいくらかは破壊しましたが、オークはまだ残っていました
150両の部隊はなお、クリヴィー・リフに向かってきました
ノヴィー・ブーにいる偵察隊が、残存している150両の車両は非常に速い速度で移動しており、40分ほどでクリヴィー・リフに来ると報告してくれました
(ノヴィー・ブーとクリヴィー・リフは約50kmの距離)

БЕЛАЗの車両

私たちは、1000万ドルもするBELAZ(БЕЛАЗ:採掘用の超大型車両)を街の入り口まで走らせ、ホイールやクランクケースを壊し置いてきました
当時は地面がぬかるんでいたので、そこでオーク達を動けなくしたのです

露軍の先遣隊が30kmまで迫ってきて、BELAZのところまで来ました
それで渋滞が始まりました
その後、我が軍のヘリコプターが何度か出撃して、2度目の攻撃を行いました

半壊した露軍は話し合って、ノヴァ・オデーサ方面に去っていきました
そして、1週間後、再びオークたちはへルソン地方を通って、計画的にクリヴィー・リフに近づいてきました
しかし、この1週間で、いくつかの防衛線を構築し、街を強化することができました
現在、私たちは何十本もの防衛線を構築しています
今(5月の初旬)、前線は市街地から50キロも離れてますが、当時の前線はかなり街の近くまで迫っていました

- ロシアとの関係はどうでしたか?
もし、相手が近づいてきたらどうするつもりだったのですか?
もし、彼らが街を占領していたら?

- もし、占領されるのであれば、そのために全ての要塞を突破しなければならなかったはずです

- そうなるとは思わなかった?

- 軍でなんて言うか知ってますか?
全ては火力次第です
何が起こっても、私たちは戦うことになるのです
市街戦もやったでしょう

街を車で走れば、あなたも街の中の防衛線があるのが分かるでしょう
もし露軍が突破してきたら、我々は街中で戦うのです
他にどんな選択肢があるのでしょうか?

ウィルクルのオフィスの壁に貼られた地図

- 今はどのような状態なのでしょうか。今の主な課題は何でしょうか

- 街は総動員です
戦争のため、前線のため、勝利のために、働くことができる人は勝利のために働いています
全員働いています
戦争が始まったころは、もっと悪かったのです
今は原材料の供給から製品の出荷まで、物流チェーンの再構築を進めています
各企業に個別に対応し、再開を促し、生産を増やし、問題解決を手助けしています
なぜなら、それは仕事であり、給料であり、人々の雇用であり、都市の生活だからです
そして、やはり、経済が動くということは、税金を払うということです
そして、税金は敵を倒すための弾丸や砲弾になります

「ウラジーミル・アレクサンドロビッチ・ゼレンスキーが私たちの同胞であることを誇りに思う」

- この戦争に対するビジネスの反応は?

- アルセロール・ミッタル社、メチンベスト・グループの採掘・加工企業、その他の企業の設備とすべての地方自治体の設備が、膨大な数の要塞の建設に全面的に関与していると言えるでしょう
ええ、もちろん、市が持っている資源はすべて使っています
アルセロール・ミッタル社:

メチンベスト・グループ:

- クリヴィー・リフはゼレンスキー大統領の出身地です
このような状況下で、何か新たな責任を感じていますか?
また、今、彼の姿勢をどう評価していますか?

- ゼレンスキーがクリーヴィー・リフの同胞であることは、私たちの誇りです
個人的にも誇りに思っています
大統領は最高司令官であり、いろいろな意味で戦争中の国の象徴です
彼はとても、とても、勇敢に振舞っています

- また、州本部とのやりとりはどのようになされているのでしょうか。

ドニプロペトロウシク州が地域行政単位となっている

ウクライナの行政単位は国>州>市>町・村

- 私自身、そしてクリヴィー・リフの全市民を代表し、ヴァレンティン・レズニチェンコ地方軍政局長(ドニプロペトロウシク地方行政長官=日本では「知事」に相当)と、多くの革新的なことを行っている参謀長ゲンナジー・コルバン氏(ドニプロペトロウシク地方行政副長官=日本では「副知事」に相当)にはただただ感謝しかありません

ヴァレンティン・レズニチェンコ(左)とゲンナジー・コルバン(右)

例えば軍隊の知的管理、知的戦争という点で、戦争が変わったので、第一次世界大戦や第二次世界大戦のようなものではありません

ボリス・フィラトフ(ドニプロ市長)も、ドニプロペトロウシク地域評議会議長であるミコラ・ルカシュク(日本では県議会議長に相当)も、みんな一緒に働いています
チームとして働いている
私の助けが必要なところには、必要なものを提供してくれています

ボリス・フィラトフ:

ミコラ・ルカシュク:

- 特にこのような状況になって、この人たちと実際に交流した経験がないということはありませんか?

- 25年の付き合いがある人、10年の付き合いの人、5年の付き合いの人、そんな人たちです
私たちはさまざまな状況下で知り合って、必ずしもポジティブなものでなかった人もいます
しかし、今日、私たちには共通の戦争を戦っています
つまり、国のため、地域のため、街のために戦っているのです

今日、誰もが団結しています
今日、駆け引きはまったく存在し得ません
今日、勝利を得るためには、あらゆる努力とあらゆる資源を統合する必要があるのです

「支配地域から、裸足で川を渡ってくる人がいる」

- クリヴィー・リフは何を期待されているのでしょうか?
ロシア軍からの攻撃が計画されているのですか?

- あらゆるシナリオに対応します
その中には、オークの襲撃の可能性も含まれています
ここ5、6日、接触線上の砲撃の強さが急激に増しています
さらに、戦車、装甲兵員輸送車、突撃隊などの装甲車両を使った突撃行動も何度か試みられました
しかし、我が国の軍隊の勇気と英雄的行為により、それらはすべて撃退されました

敵は人員、装備ともにかなりの損害を受けています
軍事的な情報はお伝えできませんが、先週はとても成功した1週間でした
今後、どうなっていくかはまだ分かりません
クリミアやへルソン下流域に集められつつある彼らの戦力がどこに行くのか
戦争の第2局面で何が起こるかによって、いろいろな意味ですべてが決まるでしょう

しかし、私たちはどんなシナリオにも対応できるように準備しています
私自身は、戦争はすぐには終わらないと考えています
何年でも大丈夫です

- あなたのチームの誰かが捕虜になったと聞いています
それは本当ですか?そして、その人物は誰ですか?

- 人道回廊を使った救出作戦が失敗したという話です
へルソン州の前線地域の被占領地にいる民間人を連れ出すために、人道回廊を作るという政府間レベルの合意があったのです
そして、民間人が最初のオークのチェックポイントで止められ、それ以上帰ってくることを許されなかった
露軍はノヴォヴォロンツォフスカヤОТГ(「ОТГ」は地域行政単位。「町」のようなもの)の、脱出してくる民間人のリーダーであるウラジミール・ウラジミロビッチ・マルチュクを人質にし、その民間人を盾にして、我が軍が反撃できないと分かって、我が軍の陣地を砲撃してきました

その1日後、マルチャックは監禁状態から救い出されたと言っていいでしょう

イリーナ・ヴェレシュチュク

イリーナ・ヴェレシュチュク(副首相・被占領地域再統合担当大臣)が人質解放のために闘い、24時間で解放されました
彼女は政府間レベルで、事前に人道回廊の責任者の合意があったことを指摘し、護送隊の人々を解放しなければならないと毅然とした意志を示したのです
(4月21日にウラジミール・ウラジミロビッチ・マルチュクさんが解放されたという記事が、4月22日に出ている)

我々の前線は約100キロと非常に広いです
へルソン地域の人々が人道的回廊や緑の回廊が無いところからもこちらに避難できるよう、すでにあらゆる手を尽くしています
様々な方法があるので、全部は言えませんが…
自転車に乗ってくる人がいて、我々のチェックポイントの近くに自転車を置き、徒歩でやってくるのです
千台の自転車が転がっている場所があります...
老人を連れ出し、小さな子供を手押し車に乗せて連れて来ています

ゼレノドルスク

つい2日前、私はゼレノドルスクにいたのですが、一人の老人が手押し車で運ばれてきました
彼に「『何時に家を出たの?』と聞くと
『朝の8時』
『到着したのは何時ですか?』と聞くと
『午後4時』と言っていました
想像してみてください、老人が一日中手押し車に乗っているところを

あるところはトラクターで、あるところはクルマで来ることができます
川のどこかを裸足で渡ってきます
それは比喩ではありません
実際に支配地域から裸足で川を渡って、私たちのテリトリーにやってくるのです

(続く)

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参考:https://www.pravda.com.ua/articles/2022/05/4/7343844/

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