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この戦争は、どう始まったか -ゼレンスキー(3)

(6,728 文字)

2月24日

2 月 24 日早朝、避難する人たちの渋滞

封筒

一方、NSDCのオレクシイ・ダニロフ書記は、すでに妻と息子をウクライナ西部に送り出していた
そして安保理メンバーの私用携帯に電話をかけ始めた
ウクライナ議会のステファンチュク議長はダニロフに最初に起こされた一人である
ダニロフは、一刻も早く大統領府に来て評議会を開催するようにと頼んだ
「戒厳令を敷かなければいけない、急げ」
国会議員やその他の役人たちも、街のあちこちで目を覚ましていた
その中で国家機密にアクセスできる者は、数日前に渡された「戦争になったら開封する」と書かれた機密書類の封筒を手に取った

「『(封筒は)空っぽ』だった!
内容は基本的なものしか入っていなかった
本当にやるべきことは一言も書いてなかった!」
「国民の僕」の有力議員は、そう振り返る

ルスラン・ステファンチュク

大統領府

ハリウッド映画で、ここぞというときに天気が悪くなるように、侵攻初日、暖かな日差しから一転して冷たい霧雨が降っていた
何千台もの車が渋滞し、首都の出口を四方八方から塞いでいた
その上空から、あっという間に霧雨が降り注いだ
5時過ぎ、大統領は執務室の四階にあるエレベーターから出てきた
ゼレンスキーが大統領府の一番乗りだった
国家安全保障・防衛会議のメンバーも続々とバンコバに到着した
「すべてが飛ぶように進んだ
全員が到着し、簡単な報告があり、その後、文書に大統領が署名し、国会に持ち込まれた」
とレズニコフ国防相は振り返る
「全て準備され、印刷されていた シナリオに応じ、さまざまなパッケージの文書があった
大統領の署名で、そのパッケージの実行に着手しました
私たちはすべてを準備していましたが、家族を含め、誰にも話すことはできませんでした」
とダニロフは言います

ウクライナ正教会総主教オヌフリイ

ロシア正教総主教

ヴァディム・ノヴィンスキーは、キーウ郊外の自宅で爆発音を聞いて目を覚ました
彼は、「メトロポリタン」称号を持つウクライナ正教会の総主教オヌフリイ、そしてモスクワの総主教キリルへ電話をかけた

総主教キリルとプーチン

「聖下、戦争が始まったのです!」
ノヴィンスキー議員は心配しながらロシア語で言った
「そんなはずはない」
総主教キルリルは信じなかった
「そうでないなら、なぜ私の家の窓が爆発でガタガタになってるのですか?」
ノヴィンスキーはそう主張した
キルリル総主教は 「今、何が起こっているか調べる」 と約束したが、何が起こっているかはすでに明らかだった
(注:総教主キリルは元KGBでプーチンと非常に近い関係にあり、様々なスキャンダルがある。)

電話

官邸前では、軍とボランティアが最初のバリケードを築き始めていた
キーウ郊外では、ATM、ガソリンスタンド、食料品店、薬局などに、おびえた人々が長い列をつくっていた

6時40分頃、内務大臣デニス・モナスティルスキー、NSDC書記オレクシイ・ダニロフ、スピーチライターのユーリ・コスティウクはすでにゼレンスキーの執務室にいた
大統領は部屋の真ん中に立っていた
彼はiPhoneを取り出して、必要な番号を見つけ、スピーカーにした
電話の向こうには、英国のボリス・ジョンソン首相がいた
ロンドンの時刻は午前4時40分だったが、ゼレンスキーに力強く
「英国はウクライナへの全面的な支援を保証する」と熱っぽく語った
英語できちんと表現しようとして、ゼレンスキーはスピーカーに向かって叫んでいた
「我々は戦うぞ、ボリス、決してあきらめないぞ」

「ジョンソンとゼレンスキーが親密になったのは、彼がキーウを初訪問(2022年2月1日)した後だ
よほどの秘密でない限り、互いのプライベートな番号で電話をすればいいのだ
ロシアがウクライナを攻撃しているときに、21世紀の外交をしている暇はない」
と、ヴァディム・プリスタイコ駐英ウクライナ特命全権大使は、二人の関係の本質を説明する

ヴァディム・プリスタイコ駐英ウクライナ特命全権大使

(注:平常では頭越しで行われるトップ外交は外務大臣や外交官にとっては愉快な事ではない
駐英ウクライナ特命全権大使が事態を把握し、ポジティブに取材に応えていることに意味がある)
その直後から、大統領の通信は特別保護モードに切り替えた
ゼレンスキーがこの特別チャンネルで最初に電話をかけたのは、バイデン米国大統領だった
「すべてが一度に、同時に起きていた
ここでは大統領府会議、あちらでは国際電話、 隣の部屋に移動するとまた国際会議があり、防衛隊との電話会議もある
大統領が私たちを見て 『他に何ができる?何か考えはあるか』と聞く
そして、また忙しくなる」
大統領府のアンドレイ・シビハ副長官は2月24日の朝をそう振り返る

アンドレイ・シビハ副長官

ヴェルホヴナ・ラダ

その日の朝、議員たちはドニプロ川の両岸、市内のさまざまな場所からヴェルホヴナ・ラダ(国会議事堂)に向かおうとしていた

ヴェルホヴナ・ラダ

前日、議会は、軍事行動が開始された場合、議会の各委員会の事務所に行くように各会派のリーダーに指示していた
「誰もが、携帯電話の接続が切れることを心配していた
国会議員の事務所には、いわゆる『ソッカ(100)』と呼ばれる安全な回線を備えた電話が設置されている
電話のそばで次の指示を待つように言われていた」
と、ある議員は説明した
ミサイル攻撃の脅威が常にあるため、ヴェルホヴナ議会の管理者は避難の可能性を検討した
選ばれたのは、ウクライナの第二次世界大戦歴史国立博物館であった

第二次世界大戦歴史国立博物館

大祖国戦争記念碑の下に400人以上の国会議員を収容できる大きな部屋があったからだ
7時近くになって、議員たちはWhatsAppで移転先の場所を知らされた
「同僚と私が祖国記念碑に到着したときには、 そこにはすでに高級車があって、横にスーツケースを持った『国民の僕』の議員たちが立っていました
彼らに『何のためのバッグですか』と尋ねると 『避難があるかもと言われたから』 と言ってました
その日、私が笑ったのはその時だけだったかもしれません
誰も避難しないのは明らかでしたから」 と、ホロス党の議員は笑いながら振り返る
しかし、国会議員たちが博物館に向かう間に、国会管理局は再び計画を変更した
30分もしないうちに、各派閥のトップがグループチャットで国会議員たちにヴェルホヴナ・ラダに戻ってくるよう伝えてきた

第一に、国会職員には適切な投票システムを再構築する時間がなかった
第二に、議会場以外の部屋でセッションが行われている映像は、ロシアのプロパガンダにとって絶好の材料となり「ウクライナ議会が首都から逃亡した」などという見出しをつけられるのが目に見えていた

8時頃、議員たちはヴェルホヴナ・ラダに集まり始めた
エレガントなドレスや高価なスーツの代わりにトラックスーツを着て、血走った目で化粧もせず、プラダやグッチ、シャネルのハンドバッグの代わりに、予測できない事態に備えて非常用のスーツケースを抱えていた
しばらくして、議会議長であるルスラン・ステファンチュクがやってきた

大統領府から直行した彼は、戒厳令と総動員令の大統領令が提出されたことを告げた
しばらく間をおいて、ステファンチュクは、会期を延長し、速やかに準備を整え、遅滞なく採決できるようにする、と付け加えた
議員たちは、議長の話にはあまり関心を示さず、心配なニュースについて議論を続けていた
前日、丸一日かけて検討した非常事態とは対照的に、戒厳令はほんの数分で採決されてしまった
ヴェルホヴナ・ラダのドームの下で議員たちが過ごした時間は、合計で25分にも満たなかった
採決後、派閥のリーダーたちはステファンチュクに、この出来事で大統領と直ちに会談する必要がある、と呼び掛けた
大統領派「国民の僕」のダビド・アラハミア党首は「無理だ」と即答した

ダビド・アラハミア

しかし、彼らの懇願に屈し、大統領にメールすると、「派閥のリーダー全員とオフィスで会う」 と返事が来た

ゼレンスキーと議員たち

不思議なことに、インタビューに答えてくれた人の中に、議会や閣議に、戦争が始まった場合にどうするかというプロトコルがあったかどうかを思い出せた人はいなかった
仮にあったとしても、侵攻当日の閣僚や国会議員のスケジュールは大統領府次第だっただろう
9時頃、議員団はバンコバ(大統領府)へ向かった
代表団は、二日前とほぼ同じメンバーで構成されていた
前議会議長のドミトロ・ラズムコフが加わり、ホロス党のユリア・クリメンコがセルヒイ・ラフマニンに代わった
「こんな厳しい検査は受けたことがない 下着まで検査された!」
この代表団のメンバーはそう語っている

議員団が大統領府の巨大スクリーンのある状況説明室に招かれたとき、国家警備隊のメンバーは土嚢を運び、窓を塞ぎ、発砲ポイントを設置していた
大統領府の一階にあるプレスセンターには、退屈そうな記者と、ハリウッド俳優のショーン・ペンがいたが、誰も気づいていないようだった

ショーン・ペン

奇しくもこの俳優は、ウクライナのドキュメンタリーを撮影するためにキーウに滞在していた
本格的な戦争が勃発するとは想像すらしていなかったのだ

ミハイロ・ポドリアクとオレクシイ・アレストビッチは、時折、記者たちの前に姿を見せた
後者は携帯電話に向かって大声で話した
「ハニー、チェルノフツィ(ウクライナ西部の都市)に着いたか?」

オレクシイ・ダニロフは、大統領府の状況説明室で行政機関や治安部隊の責任者たちと最初の電話会談をしていた

オレクシイ・ダニロフ

ダニロフは大きなテーブルで静かに座っている議員たちをあまり気にしていなかった
「おい、へルソンはどうした?
誰かへルソンと連絡を取ってくれないか?
ファック! へルソンから誰か来ないのか?」
(注:SBUのヘルソン司令官が真っ先に裏切り、緊急連絡を妨害していた)
ダニロフは、スクリーンに映し出されている「へルソン州」のウィンドウに向かって苛立ちながら叫んだ
議員たちの注意をそらすために、「国民の僕」のアラハミア党首はプライベートチャットのニュースを読み上げ、露骨な言葉を使ってコメントをし始めた

2月24日早朝のミサイル攻撃

30分後、ゼレンスキーがイェルマク大統領府長官とシュミハル首相を伴い、部屋に入った
ゼレンスキーは握手でみんなを迎えた

疲れているというより、むしろ怒っているように見えた
イェルマクとシュミハルは戸惑っていた
二人は一言もしゃべらない
「皆さん、これからは協力に集中しましょう 我々の仕事は、権力の正統性を保つことだ」
とゼレンスキーは言った
そして、議会を守るために、ウクライナの西部に移転することを提案した
この提案に対し、ドミトロ・ラズムコフ(元国家安全保障・防衛会議議員)とペトロ・ポロシェンコ(元ウクライナ大統領)が異論を唱えた
「ロシアはウクライナ政府が逃げ出したというシナリオを流し始めるだろう
そうなっては困る」と彼らは主張した
議会議長のステファンチュクはキーウに残り、オレクサンデル・コルニエンコ第一副議長が近隣の州へ、第二副議長のオレナ・コンドラティウクはウクライナ西部へ行くという提案がなされた
上級の指導者が殺されたときに、下級の指導者がその代わりをしなければならないからだ

その後、その場にいた全員に、大統領に発言する機会があった
ペトロ・ポロシェンコがゼレンスキーに言った
「勝つために協力することに集中しよう 最高司令官オフィスをつくることを提案します あなたがオフィスの責任者となり、私はその一員となり、あなたを助ける用意があります」
いつもながら、ポロシェンコの提案が誠実さからなのか、それとも主導権を握るための糸口を見つけようとしているのか、国会議員たちには判断ができなかった
ゼレンスキーは彼の言葉には特に注意を払わず、ただ次の演説者に移っていった
その後、最高司令官オフィスを立ち上げたが、ポロシェンコをそこに招き入れることはしなかった

バンカー

そして、会議が30分ほど経過したところで、大統領警護のチーフがブリーフィングルームに乱入しそうになった
大統領府から数ブロック離れたペチェルスク地区で、ロシア軍の破壊工作・諜報グループがすでに活動しているとの情報が、シークレットサービスからもたらされたのである
さらに、大統領府へのミサイル攻撃の脅威も深刻だとチーフは報告した
突然、ウクライナ国家安全保障局の武装したメンバーが部屋に入ってきて、大統領を会議から「安全な場所」に引っ張って行った
こうしてゼレンスキーは初めてバンカー(地下壕)に入ることになった
彼はその後数週間、そこから国を治めることになる

武装

国会議員たちはもちろん、その前に大統領府に招かれていた記者たちも、すぐに建物から出て、一刻も早く大統領府の敷地の外に移動するようにと言われた
その直後、議員たちは派閥のリーダーたちからメッセージを受け取った
「ヴォロディミルスカ通りの国家警察本部で武器が配給される」というメッセージだ
日中、キーウを離れていない国会議員たちは、パスポートと議員委任状を確認された後、警察から散弾銃とピストルを受け取った
すぐにピストルが足りなくなる事が分かり、女性議員にだけ渡すことになった

ある時、武器購入の行列の中で、誰かが担当の警察官に
「なぜ、女性議員にピストルを配るのか」
と尋ねた
すると、疲れた男がため息をつきながら
「時が来れば、分かるようになりますよ」
と静かに言った
「それは、私たちが自分を撃つことになるという暗示ですか?」
と、女性たちは冗談にしようとした

特別列車

11時頃、シュミハル首相は政府関係者と電話会議を行った
シュミハルは、国家運営を維持するため、閣僚を2つに分けるという解決策を持っていた
キーウに残る内務大臣、保健大臣、インフラ大臣、エネルギー大臣、国防大臣をリストアップし、リストを読み上げた
一方、大多数の閣僚は、特別列車で比較的安全なウクライナ西部の州へ移動することになった
シュミハルは、ビデオ通話中にカメラに向かい
「あなた方が中核チームであり、意思決定のための定足数を満たしている」 と言った
副首相兼ウクライナ暫定被占領地再統合担当大臣のイリーナ・ベレシュチュクが、突然その言葉を遮った

イリーナ・ベレシュチュク

「私はどこにも行きません。そこで何をするんですか」と、感情を露わにした
「これは大統領が決めたことだ」 とシュミハルは言い聞かせた
ベレシュチュクは
「それなら自分で大統領に話します」と反論した
そうして、彼女はキーウに留まることになった

シュミハル首相とゼレンスキー大統領は、オレクシイ・チェルヌィショフ地域社会開発大臣に政府避難を担当させた
電話会談の直後、キーウを離れる大臣たちはWhatsAppのグループチャットを作成し、そのグループ名を「2月24日」と名付けた

彼らはそのチャットで亡命中の仕事について話し合った
オレクシイ・チェルヌィショフと通信インフラ担当大臣オレクサンドル・クブラコフは、避難する政府高官全員とその家族、関連書類のために、2つの別々の列車を使うことにした
最初の列車は14:00にキーウ中央駅を出発し、2番目の列車は16:00に出発するように設定された

政府の避難列車の発車は遅れ続けた
騒々しい政府関係者や各省の職員は、寒いホームから暖かい客車の中に移っていたが列車は止まったままだった
チェルヌィショフは、何度も何度もクブラコフに電話した
「どうなっているんだ、サーシャ。サーシャ、どうしたんだ、いつ発車するんだ」
「ここは大混乱だ! 頑張ってるんだ! 頑張ります!」
クブラコフは、二方向から敵が迫ってくるウクライナの首都から、政府をどうにか避難させようと、次々と関係者に電話をかけた
列車はどこへ行くのだろう?
チェルヌイショフは、最終地点を隠すため、複数の州行政機関に、閣僚がその州に避難すると伝えていた
しかし、そのようなことは誰も知らなかった
乗客のほとんどが行き先を知らなかっただけでなく、列車の運転手も知らなかった
列車を走らせるべき次の駅の名前だけが、一駅ずつ、短い距離で知らされた
チェルヌイショフは、列車のルートを追えないように、さらに何度か曲がり角を導入した
やがて、結局、何度も方向を変えたため、2番目の列車は1番目の列車に追いつき、一緒にイワノフランコフスクに着いた

イワノフランコフスク

2月24日の朝、西へ向かったこの満員列車ほど、ウクライナ政府に適したメタファーはないかもしれない
銃を持った警備員が一人と、行き先も到着できるかもわからない運転手が乗る列車だった
(終わり)
参考:

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