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この戦争は、どう始まったか -ゼレンスキー(2)

(6,530 文字)

2月23日

バイデン

2月23日、ほとんどのウクライナ人にとって、そ日の朝は、8年にわたるハイブリッド戦争のこれまでの朝と目立った違いはなかった
キーウのトップがロシアとの対決する新たな一日に備えていたころ、ワシントンのホワイトハウスの執務室をウクライナの訪問客が訪ねていた
通常、米国大統領は大使や外務大臣を執務室に迎えることはない
しかし、その日はウクライナのクレバ外務大臣とマルカロワ大使がバイデンのゲストとなった

それに先立ち、クレバは、すでにアントニー・ブリンケン国務長官と会談していた

バイデンは、オフィスにクレバを迎えてウクライナ支援を強調し、会談の写真報告書まで作成しようとするほど、ウクライナ情勢は緊迫していたのだ
ただ、ホワイトハウスで撮影された写真からは、この会談の不安な雰囲気、悲壮感を感じ取ることはできない

公式写真を撮った後、バイデンはクレバに状況を尋ね、アドバイスし、支援を確約した
しかし、その口調は、決戦前夜の味方を励ますというより、ガンに侵された子供に別れを告げるようなものだった
バイデンはその日、クレバに別れを告げたが、それはウクライナ全体への別れを告げることでもあった

NSDC

一方、キーウでは、クレバの同僚である指導者たちはNSDC(ウクライナ国家安全保障・防衛会議)の新会議に集結していた
2月21日のプーチンの決定を受け、NSDCは24時間365日稼働体制に移行していた
2月23日の朝、難しいジレンマを解決するためにNSDCのメンバーは全員が集まっていた

ロシアのドンバスの衛星自称国家の動きの活発化に脅威を感じ、戒厳令を発動するべきか、会議では、かなり活発な議論が交わされた
ザルジニー総司令官とレズニコフ国防相は
「全土に非常事態を発令するだけでは不十分だ」
と主張した
彼らは、東部の2、3の州だけでも、直ちに戒厳令を発令するべきだと提案した

しかし、会議出席者の大半は、ロシアに口実を与えることになるのを恐れていた
数週間前からロシアのプロパガンダはあらゆるメディアを通じ、
「ウクライナがドンバスで大規模な攻勢を準備している」
という嘘を放送していたのだ
ウクライナ施政下のドンバスに戒厳令を発令していたなら、ロシア軍に口実を与え、自由にし
「戦争を始めるために、戒厳令を発令したのはウクライナだ 」
と世界に向かって正当化されていただろう
それで結局、モスクワを刺激しないことにしたのである

防衛連合

2月23日朝、NSDC長官が議会に提出した大統領令は、国全体の非常事態に言及するだけでドンバスの戒厳令発令については何も触れていない
ところが、前日にウクライナ議会に誕生したはずの「防衛連合」は、1日も経たないうちに崩壊した
あらゆる支援を約束していたはずの野党会派のほとんどが論争を始めた
「ペトロ・ポロシェンコ、ユリア・ティモシェンコ、ホロス党は、政党とメディアの制限に関する条項の削除を要求した
しかし、アンドレイ・スミルノフ大統領府副長官は、法令を法律の規定通りに実施すべきだと主張した」
と議会関係者が回想している
ルスラン・ステファンチュク議会議長の事務所が解決策を探す場所となった
派閥のリーダーたちは、大統領令を修正し、文章を書き換えたり、表現を明確にしようとしたりした

大統領府副長官アンドレイ・スミノルフ

時間が経ち、朝礼が終わり、休憩時間が過ぎ、夜会が来ても、「防衛連合」は何の成果も出せなかった
とうとう、NSDCのオレクセイ・ダニロフ書記の堪忍袋の緒が切れた
「ここでコンマの一つ一つまで議論することはできるが、明日には戒厳令下の投票になるかもしれないということが少しでも分かっているのか?
何とかしようじゃないか」
この一言で、一瞬、議論がストップした
その結果、夜10時前に非常事態を何とか議決した

米国が新たに提供した情報によって、事態はかなり深刻なものとなっていた
ついに、ロシア軍が準備を完了し、間もなく攻撃してくるというのだ
結局、国家指導者の温和な態度が議員たちの態度に直接的に影響していたのだ

ドゥダ大統領・ゼレンスキー大統領・ナウセダ大統領

ゼレンスキーの声明

その日、ポーランドのドゥダ大統領とリトアニアのナウセダ大統領がキーウを訪問していた
記者団からプーチンが攻撃すると思うか、と問われたゼレンスキーは
「プーチンの計画は天気予報ではないので、予測しようとしても無駄だ」
と皮肉交じりに答え
「しかし、我が軍がどのように行動するかは、予測せずともはっきりと分かる
申し訳ないが、ウクライナ軍と私だけが、わが国の防衛力と防衛に関する措置を知ることができるのです
私を信じてください、私たちは何に対しても準備ができているのです」
とゼレンスキーは付け加えた

その後、数日から数カ月で明らかになったように、ゼレンスキーには、国防部門全体があらゆる可能性を想定した、徹底的な準備を行っていると言い切れる正当な理由があった
大統領の文民チームが5月のバーベキューを約束して社会を安心させている間も、軍事部門は侵攻に備えていたのである
ウクライナ軍が厳重な秘密保持のもとに、弾薬庫を分散させ、予備の飛行場を戦闘航空用に準備し、ヘリコプターを飛行場に運び、防空部隊を再配置し、領土防衛軍を組織化し、演習を口実に軍事組織を西から中央と東に移動させたことなどを今では、私たちも知っている

(注:2014年から始まった、ウクライナとNATOの取り組みについては「ウクライナの教訓」をご参照ください。)

侵略者、そしてウクライナの諸同盟国とは違い、最高司令官であるゼレンスキーはこのような大規模な準備をよく知っていたのだ
米国軍当局者は、ロシアの計画と戦略について、ウクライナ当局よりもより多くのことを知っていたことを認めている
ウクライナの自衛能力について、西側の予測が非常に不正確であった理由は、部分的にはこのギャップで説明することができるだろう
「とはいえ、完全に戦争に備えることはできません
誰が英雄になり、誰が裏切って防衛計画を敵に漏らすか、正念場で人がどう動くかは分からないのです」
とダニロフは言う

大統領府の正面がバンコバ通り、大統領府の通称として「バンコバ」が使われる

オリガルヒ達

23日17時頃、大統領府前のバンコバ通り、ルテランスカ通りを高級車が埋め尽くした
ウクライナの大企業50社のオーナーが大統領府の会議に駆け付けたのだ
国の富裕層は、ある者はボディガードを連れ、ある者は一人で大統領府に入り、建物の通用口へ向かった
これほど大規模に、ウクライナのオリガルヒや経営者たちが同時に大統領府のホールに集まったのは、おそらくウクライナ独立後、歴史上初めてのことだった
入口で国家警備隊員が一人一人の名前を聞き、印刷された名簿から一人一人ゲストを探した
オリガルヒではなく、まるで、見学にきた小学生の集団のようだった
金属探知機検査の列に並んでいたのは…(ウクライナの個人名リスト)…だったが、他にも多くの人がいました
リナト・アフメトフ(アゾフスタリを所有するオリガルヒ)とヴィクトル・ピンチュク(鉄鋼メーカーインターハイプ・グループを創設したユダヤ系オリガルヒ)は会談のために国外から戻りました
他の招待客とは異なり、アクメトフとピンチュクは大統領府の「白い」入口から入りませんでした
二人は車で直接中庭に入りました

金属探知機のチェックを受け、大統領府の職員が丁寧に出迎え、二階の国家イベントホールに案内された
普段、NSDCの会議は、そこにある巨大な円卓を囲んで行われる
携帯電話や腕時計は国家安全保障局に預けなければならない
各ゲストの席は、それぞれ決められていた
オーナー経営者は大統領席の左側にある円卓に、社長たちは会場の壁際にあるサイドチェアーに座った
大統領が来るまで短い会話やジョークを交えて挨拶を交わしていた
一角では、ビジネスマンたちが「戦争が起こるかどうか」という予測を話していた
その中に、ネット通販会社 Rozetka のオーナー、ウラジスラフ・チェホトキンの姿があった
「ウラジミール、なぜロシア軍はキエフに侵入しないか知ってるか?」
と、参加者の一人が冗談を言うと、チェホトキンも一緒に全員で大笑いした
まさか数日後に、ロシア軍の戦車隊が Rozetka の巨大な物流拠点があるブロバリーに侵攻してくるとは、誰も想像していなかったのだろう
18時頃、会場に静かなざわめきが起こった

アンドレイ・イェルマク大統領府長官、デニス・シュミハル首相、セルヒイ・シェフィール大統領第一補佐官、ヴァレリー・ザルジニー総司令官、キリロ・ブダーノフ最高情報長官、イワン・バカノフ(SBU)保安庁長官、オレクシィ・レズニコフ国防大臣、デニス・モナスティルスキー内務大臣
セルヒイ・デイネコ国家国境警備隊長、そして、ゼレンスキー大統領が現れた

「大統領は不安そうな顔で入ってきたが、冷静だった
顔色が悪く、不健康そうだった」
ゼレンスキーは記者団に短く話しかけ、退席を促した
寄付を頼まれるのではと、心配しているビジネスマンもいた
大統領は少しの沈黙の後、こう切り出した
「先に言っておきますが、来てもらったのは、お金をせびるためではありません」

「今、国を助けていただくことがとても重要なのです
経済を支え、チームを応援してほしい
我々は外交的な手段で紛争を解決するために最大限の努力をします」
出席者によれば、ゼレンスキーはヴァディム・ノヴィンスキーとリナト・アフメトフが隣り合って座っているあたりを熱心に見ていたという

ヴァディム・ノヴィンスキー
(親露オリガルヒ、親露政党の国会議員)

彼らは、何か新しい重要な話が聞けるかもしれないと思い、熱心に大統領の話に耳を傾けていた
しかし、何もなく、治安部隊の代表者たちにバトンタッチした
レズニコフが最初に発言したが、出席者によると、そのスピーチは「自己啓発コーチのやる気を起こさせるスピーチ」のようなものだったという

そして、ザルジニー総司令官が登場した
自信満々で、しかもかなり強気で、軍隊の準備状況を報告し
「軍隊はどんな展開にも対応できる」
と強調した
会議終了後、出席者の中からは 「ザルジニーの自信に一番安心した」 という声が聞かれている

その後、オリガルヒのリナト・アフメトフが発言した
他の実業家たちが元気なのとは違い、ウクライナ一の大富豪は緊張した面持ちだった
「あんなリナトは見たことがない 顔が真っ赤で、『一番大事なのは国民を救うことだ』と何度も繰り返していた」
と、ある大企業の代表は語っている

アフメトフの後、ヴィクトル・ピンチュクが平和の重要性を訴え、その後ヴァディム・ノヴィンスキー(親露オリガルヒ、親露政党の国会議員)が登壇し、大統領に 「平和的解決のために全力を尽くしている」 と演説した
全てのビジネスマンたちが口々に平和の重要性を繰り返した

出席者はだんだん飽きてきた
参加者の中には、ひそひそ話を始める人もいた
その中で、ゼレンスキーの真向かいに座るスルキス兄弟(イホルとフリホリ)が目立っていた

スルキス兄弟

スルキス兄弟は、近くに座っている何人かに向かって静かに言った
「朝の4時に全てが始まる」
明らかに露軍の侵攻を指していた
しかし、この言葉はマイクに向かっては言われなかった
(注:スルキス兄弟は親族と共に2月の26日、多額の現金資産と共にハンガリーに脱出した
8月には、モンテカルロ・ベイホテルに長期滞在していることが確認されている)

続いて、テーブルの外に座っていた人たちが発言する番が来た
モノバンク(ウクライナのオンライン・バンク)の共同設立者であるオレグ・ホロホフスキーが
「軍人への経済的支援を早急に強化すべきだ」と提案した
「国家を守るためには、国民のモチベーションが高くなければならない
給料を100,000 UAH( 約40万円 )くらいに設定して、何のためにリスクを負っているのかを理解してもらうのがいい」
とホロホフスキーは言ったとされる
誰もが賛成し、ゼレンスキーは特に気に入っていたようだった
(注:オレグ・ホロホフスキーは積極的にウクライナ軍への支援活動を行っており、ドローン購入の資金集めなどを行っている。)

オレグ・ホロホフスキー

オリガルヒ達の得た結論

19時近くになり、ゼレンスキーが
「そろそろ終わりにしよう、仕事を続けなければならない」 と言った
終盤、隣に座っているデニス・シュミハリ首相を思い出したゼレンスキーが左を向き
「デニスはまだ何も言っていないね 何か言いたいことは無いか?」
と尋ねた
「ここに書いてあることは、すべて賛成です」 と首相は答えた
19時過ぎに、オリガルヒとトップ・マネジャーたちは大統領府を出て行き始めた
何人かは、バンコバ通りの中庭にいるジャーナリストたちを避けるために、気づかれないように、できるだけ早く車に飛び乗ろうとした
それとは対称的に、カメラに向かって記者と話をする者もいた
「ゼレンスキーが大丈夫だと言ってくれた 」
と、彼らは大統領府がエスカレートしないようにしていることを報告した
誰一人として心配する様子はなく、それどころか、大統領との会談を終えて、安心したようだった 「当時は本格的な戦争になるとは誰も言っていなかった
ほのめかされてもいなかった
もし、そうだったとしたら、我々はあんなにリラックスして大統領府を出られたと思う?
大統領府の脇で、くだらないおしゃべりをして時間を無駄にすることもなかっただろう
代わりに家族を安全な場所に連れて行っただろう」
と、ある有名なトップマネジメントは、その夜を思い出しながら感慨深げに語っている

ブダノフ

情報部長キーロ・ブダノフへのインタビュー収録後に、ビジネスマンたちとの会合でプーチンの計画に関する情報を開示しなかった理由を尋ねてみた
「国会議員と違って、彼らは国家機密にはアクセスできないので、すべてを話すわけにはいきませんでした
しかし、私はかなり直接的に話したので、脅威の度合いを理解するのは難しくなかったはずです」
とブダノフは断言する
しかし、彼らはブダノフの警告を信じようとはせず、大統領をはじめとする治安部隊の代表者たちが発する「安心感」の方が勝った
それは、ウクライナで最も情報通の人たちにも当てはまった
例えば、リナト・アフメトフ氏の友人筋によれば、大統領府での会談後、アフメトフは空港ではなく銭湯に行き、そこで夜遅くまで鬱憤を晴らし、朝には戦争はないと友人たちに説得したと言われている
ただし、アフメトフはこれを否定している
「夕食はあったが、風呂屋は行ってない
夕方、風呂屋に行くことはない
それに、侵略がないなんて、誰も説得していないよ」

ゼレンスキーのスピーチ

21時近くになると、大統領はスピーチライターのユーリイ・コスティウク、大統領府責任者アンドレイ・イェルマク、イェルマクの報道官ダリア・ザリヴナをオフィスに呼んだ

ゼレンスキーは、国民に向けた新しい夜の演説を検討したいと言った
今回は、ウクライナ人への報告ではないとのことだった
ゼレンスキーはロシア国民に語りかけたかったのだ
ゼレンスキーはコスティウクとザリヴナに概要を口述し、構成や芸術的な言い回しに配慮しながら、演説を作っていった
スピーチライターたちはしばらく文章を推敲し、大統領のビデオチームが撮影を始めるころには、23時近くになっていた
ザリヴナは
「あの夜、大統領はまるで暗闇で車を運転する人のように、最大限の集中力を発揮していた」と振り返る
たしかに、もし戦争が回避される可能性が少しでもあったとすれば、それは2月23日にゼレンスキーが行った訴えであったと認めざるを得ない

2月23日23:55の大統領演説
「私はウクライナ国民としてロシア国民に演説します
我々は2,000kmを超える国境を共有している
あなた方の兵士はそれに沿って、20万人近い兵士と数千台の軍用車両が駐留している
あなたの指導者は彼らの次のステップを承認した
他国の領土に踏み込むのだ
そしてその一歩は、ヨーロッパ大陸での大きな戦争の始まりとなりうるのです」

(つづく)

参考:

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