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この戦争は、どう始まったか -ゼレンスキー(1)

(4,807 文字)

2月22日

レクシイ・ダニロフ

キーウでは、驚くほど暖かい一日が終わろうとしていた
恒例の5月のバーベキュー(ソ連崩壊後のウクライナの伝統)をするにはまだまだ早く、暦の上では冬の最後となる数日に、気温が10℃となることは、キーウでは珍しい

安全保障会議ビル

安全保障会議ビル三階のオフィスにいる国家安全保障・防衛会議(NSDC)事務局長オレクシイ・ダニロフは、極秘情報日報「レッドフォルダー」を待っていた

19時10分頃、ダニロフはそのフォルダを受け取る
文書に目を通し、すぐに大統領に電話する
ゼレンスキーは、数え切れないほどの会議に出席していた
戦争の危険が高まるにつれ、会議は日に日に増え続けていた
ダニロフは大統領の会議が終わるのを待たず、年季の入ったアウディに乗り込み、運転手に大統領府へ行くように告げた
「レッド・フォルダー」の情報は至急を要する

ウクライナ大統領府

大統領府に到着したダニロフは、ゼレンスキーの身辺警護の責任者と国家保安局の責任者に話をし、ようやく大統領に報告することができた
「我々のパートナーからの情報によると、大統領の命に深刻な危機が迫っていると思われます」

「『戦争になったら君たちの指導者は殺され、フィルターキャンプや強制収容所に入ることになる』と、パートナーたちはよく言っていた」
と、ダニロフは2月22日の出来事を振り返る
その時「気を抜く暇もない」モードで仕事をしていたゼレンスキーは、じっくりと話を聞き、ダニロフに礼を言うと、別の会合に向かった
その日は、すでにもう十分なストレスがあったのだ

トロフィーマップ

前日の2月21日、プーチンは露安全保障理事会を開き、ドンバスにおける傀儡政権の「独立を認める」と宣言をしていた
(どちらの国の国境内の話かは不明であった)

キーウの指導者たちは、2008年にロシアがジョージアで同じような行動をとったことを覚えていた
しかし、この日がもっと恐ろしい日になりかけていたとは、ウクライナの大統領府では誰も想像していなかった
実は、クレムリンの当初の計画では、ロシア軍部隊は2月22日にキーウやその他のウクライナの都市への進撃を開始する予定だった
後のキーウの戦いで、ウクライナの防衛隊はプスコフ空挺部隊から彼らのマップを戦利品として手に入れた
「通常、部隊の指揮官は作戦開始の二日前にそれらの書類を受け取る
そして、その地図には、『2月20日発行予定』と書かれていた
つまり、その二日後、2月22日に侵攻を開始する予定だったのだ
しかし、何かがあったのか、2月20日に二重線が掛けられ、『2月22日』と書き換えられていた」
とダニロフは説明する

ロシア軍の侵攻は当初の予定から二日遅れで、2月24日の夜に始まった

この記事では、侵攻前の2日間にウクライナで起きた出来事を再現し、侵攻の最初の数時間までの状況を伝える
2月22日にウクライナ国防省情報局長キリロ・ブダノフがウクライナ議会の議員に対して述べたこと、大統領府の会合で企業経営者がRozetka(ウクライナ最大のオンライン小売業者)オーナーについて残念なジョークを言ったこと、リナト・アフメドフ(ウクライナ最大のオリガルヒ)が2月23日に大統領と会談した後どこに行ったか、2月24日の朝、ゼレンスキーがボリス・ジョンソンと電話したときのことなど、誰がどこで何を話したかを明らかにします
大統領府、閣僚会議、ヴェルホヴナ・ラダ(ウクライナ国会)、法執行機関、主要企業経営者など30人以上の関係者に対して取材を行い、この記事は書かれました

ゼレンスキー

2月22日、ゼレンスキーは何とも掴みどころのないものを探していた
迅速かつ力強くプーチンに対応する、適切な言葉を見つけようとしていたのである
プーチンの長大なエセ歴史演説を放置することは、ウクライナの弱さを認めることになってしまう
それは「プーチンがドネツク・ルハンスク人民共和国独立を承認した」ということに留まらないことだった
その演説をよく見ると、プーチンがウクライナの国家主権そのものに疑義を呈していたことが明らかだったからだ
「ロシア安全保障理事会の会合も、プーチンの演説も、全部を見ているほどの時間はありませんでした
しかし、プーチンが何を準備しているのかは知っていました
何が起ころうとしているのか、我々の情報部は報告していました」
大統領府のアンドリー・イェルマク長官はそう振り返る

そして、22日 2時40分、ゼレンスキーのスピーチは行われた
「偉大な国の偉大な人々、我々と我々の国家は、歴史について長い講義をする時間がありません
ですから、私は過去について話すのではなく、現在と未来について話すことにします
私の背後にはウクライナの地図があり、そこには国際的に認められた国境線が描かれています
ドネツク州とルハンスク州の占領地域を独立地域として認めることは、ロシアがミンスク合意を一方的に破棄し、ノルマンディーの枠組みでなされた合意に反抗することを意味するかもしれない...
(承認の発表により)ロシアは本質的に、2014年に遡ってドンバスの占領地におけるロシア軍の存在を正当化した
私たちは、挑発行為と侵略者の軍隊による侵略を明確に認識している
真実は我々の側にある
私たちは決して真実を隠すことはありません
状況が変わり、脅威が増大するのを確認したら、すぐにお知らせします...」

ゼレンスキーの演説には、彼の演説によく見られる言葉もあった
「われわれは長い間、あらゆる事態に備えてきた しかし、皆さんが眠れなくなるようなことは何も起こりません」
そう、ロシアの本格的な侵攻開始の2日前に言っている
いわゆる「人民共和国」の承認が無意味なものに終わるかもしれないというゼレンスキーの考えは、単なる、おためごかしではなかった
それは、彼のチーム全員が共有していた考えであった

オレクシイ・レズニコフ

22日の14時頃、ウクライナ・プラウダの記者たちは、オレクシイ・レズニコフ国防相をインタビューのために彼の自宅で待っていた

大臣はやや遅れて姿を見せた
実は、大臣は2ブロック先のヴェルホヴナ・ラダ(国会議事堂)にいたが、心配する国会議員をなだめるために遅れたのだ
印象的なスリーピースのスーツを着たレズニコフは、ウクライナ・プラウダとの取材の間、にこやかな表情だった
彼は大きな戦争は起こらないし、ドンバスに関するクレムリンの決定は(ウクライナにとって)何らかの利益をもたらすかもしれないと、1時間かけて記者たちに説明した
「ついにロシアはドンバスへの介入を曖昧にすることを止めたのだ
あれはロシア連邦の直接的な侵略行為だったが、彼らはそれを隠蔽しようとしてきた
そして今、その仮面を脱ぎ捨てたのだ」
「プーチンは『第2のエルサレム(スラブの聖地)』であるキーウを爆撃する勇気はない 」 とレズニコフは説明した
冷静で説得力のあるものであった
この言葉はレズニコフのインタビュー記事の見出しであり、その記事が公開された午前5時は、まさに巡航ミサイルがキーウを直撃していた時間となった

米国

米国は2月22日に大使館員のポーランドへの避難を開始した
その1週間前から米国大使館員はキーウからリヴィウに避難していた
同じ頃、モスクワではプーチンがロシア国外にロシア軍を展開する許可を露連邦議会に求めていた
キーウ政権は、こうした災いの予兆を察知しながらも、最後まで平常心を保っていた

ゼレンスキーは、いくつかの会議を招集し、さらに国会議員や企業経営者との会談の準備を進めていた
また、外国要人の訪問は続いていた
その一つひとつが、非常に象徴的だった
特に、いくつもの大使館が避難し、欧米の航空会社がウクライナへの渡航中止を決定したことを考えても、これらの訪問は非常に象徴的であった
ウクライナ大統領府としては、外国の指導者がウクライナにいる間は、プーチンにウクライナを攻撃する勇気はないと思っていた
そのため、ウクライナの全外交団が、外国高官たちが毎日キーウを訪問するようスケジュールを詰めていたのである

ゼレンスキーの声明

2月22日、エストニアのカリス大統領がウクライナを訪問した
ゼレンスキーとの共同記者会見で、記者団から
「モスクワの明らかな戦争準備に鑑み、ウクライナに戒厳令が導入される可能性はないか」
との質問があった
ゼレンスキーはためらいなく
「戦争は起きないと信じています」 と答えた
そして、一呼吸おいて、落ち着いた声でこう付け加えた
「ウクライナに対する残虐な戦争は起きないでしょう
ロシア連邦が大規模なエスカレーションをすることもないだろう
もしそうなれば、戒厳令が敷かれるでしょう」
この言葉を発した数時間後、プーチンは冷徹な態度でドネツク州とルハンスク州の(ウクライナ政府の支配下にある領土を含む)傀儡「共和国」を承認すると発表したのである
エスカレートは避けられないと思われた

カリス大統領とゼレンスキー大統領

防衛連合

2月22日夜、ゼレンスキーは第9回議会会期中において、初めて全政党党首を大統領府に招いた
この形式をとったのは過去に一度だけだ
就任式の翌日、前議会解散宣言のために招集して以来だった
この夜、ゼレンスキーが議会の派閥やグループのリーダーを集めたのは、その団結を図るためだった 当時、この会議の詳細は不明であった
なぜなら、議論された情報の多くが機密扱いであったし、今でも機密だからである
しかし、複数の派閥の代表者が語ったところによると、この会議は、ゼレンスキーが「防衛連合」と呼ぶものを作ることに主眼が置かれていたようだ
重要な時間であることを強調するため、会議は大統領府四階の、通常は国際交渉で使われる、光があふれている大ホールで行われた
文官、軍人のトップたちが直接報告するために集められていた

首相 デニス・シュミハル

軍最高司令官 ヴァレリー・ザルジニー

保安庁(SBU)長官 イワン・バカノフ

最高情報総局長 キリロ・ブダノフ

各派閥のリーダーたちはうなずき、大統領に同意した
ペトロ・ポロシェンコ(第5代大統領、欧州連帯党首)は 「必要なことは何でも協力する」 と意気込んでいた

ユリア・ティモシェンコ(バトキフシナ党首)は 「ロシア軍はウクライナ軍より多いので、動員が必要だ」と述べたという


唯一発言しなかったのは、オリガルヒたちがポロシェンコの側近にしたユーリイ・ボイコ(現在は禁止されている野党の中心人物)である

政治家の演説が終わると、安全保障担当者たちが交代で報告した
派閥のリーダーたちは国家機密への高いアクセス権を持っているので、防衛隊の報告はかなり率直なものとなった
ヴァレリー・ザルジニー将軍は、ウクライナ軍の仕事について、
「あらゆるシナリオを想定して準備している」
と説明した

それでも、バカノフもレズニコフも、本格的な戦争の可能性は否定していた
ただ、ロシア軍による心理的な特殊作戦や、ドンバス地方の情勢悪化はあり得るとの見方を示した
最後に発言したのはキーロ・ブダノフだった
ある出席者によると、ゼレンスキーらはブダノフの話をあまり聞いてなかったようだという
しかし、最も重要で正確だったのは、一日半後に明らかになるように、ブダノフの説明であった
ブダノフは書類から地図を取り出し、冷静沈着な表情で、ロシア軍はドンバス以外でも戦争を始めるかもしれず、へルソンやハリコフが脅威にさらされており、キーウへの脅威があり、ロシア軍はチョルノービリから侵入しようとするかもしれない、と出席者たちの背筋が冷たくなるようなことを言い始めたのである
「ブダノフは怖いことを言っていた
しかし、他の高官たちは彼の言うことをほとんど苛立ちに近い形で受け止めており、誰も彼の言うことをまともに受け止めなかった
まるで、弟に対するような態度だった」
ブダノフの説明が終わった後の雰囲気を、出席者の一人がそう振り返った
(つづく)

参考:

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