見出し画像

この戦争は、どう始まったか -ザルジニー将軍

9月26日 TIME:(9,328 文字)

潮目を変えたウクライナ反撃の内幕

ザルジニーの現在の評価

ヴァレリー・ザルジニーは甘く見られやすいかもしれない
軍服を着ていないときは Tシャツと短パンを好み、よく冗談も言う
2021年7月下旬、ウクライナのゼレンスキー大統領の側近から、同国の軍隊の指導者に指名されたことを初めて聞いたとき、彼自身が「どういうことだ」と唖然としたという
ロシア軍の侵攻が始まってから初めてとなるインタビューで、自分が最高司令官になるのだと実感したとき、「ベルトの下を殴られたというより、顔面パンチでノックアウトされた」ような気がしたと語っている
ザルジニーはジョージ・パットンでもダグラス・マッカーサーでもない

しかし、ウクライナの戦争の歴史が書かれるとき、ザルジニーは重要な役割を担うことになる
ウクライナの軍隊を、不格好なソ連型から近代的な軍隊へと変えるために何年も費やした幹部たちの一人として
東部戦線でロシアと戦い、鍛え上げられ、柔軟に現場の指揮官に判断を委ねることを学んだ新世代のウクライナ人指導者の一人である

ザルジニーは侵攻前の徹底した準備と、戦争初期の戦場での巧みな戦術で、ロシアの猛攻をいなした
「ザルジニーは、国が必要とした軍事的頭脳として出現した
彼のリーダーシップによって、ウクライナ軍はロシア軍に対して戦場で主導権を握り、迅速に適応することができたのだ」
マーク・ミリー米軍大将は 5月、TIME誌にそう書いたばかりだ

状況は、現在のところ、ウクライナに有利な方向に進んでいる
2月の開戦以来、キーウにとって最大の収穫は、9月初旬の北東部での電光石火の反攻で、ロシア軍を驚愕させ、広大な占領地を譲り受けたことである
南部の2回目の作戦と合わせ、ウクライナ軍は 2週間足らずで 6,000平方キロメートルをロシアの支配から奪い返し、数十の町や都市を解放し、敵の補給線を断ち切ったと発表している
ウクライナ軍は、北東部で攻撃する前に南部で反撃すると宣言し、ロシアを油断させた
そして、西側同盟国からの情報協力と数十億ドルの武器・資材の供給が戦場で結果をもたらすという主張を立証したのである

この突然の勝利は、消耗戦と化していた戦局の重要な転換点になった
ヨーロッパをはじめ世界中に経済的圧力がかかり、懐疑論者はウクライナが長期の戦いに耐えられるのかと疑い始めていた
この劇的な敗北はモスクワを動揺させ、クレムリンの宣伝担当者は後退を認めざるを得なくなり、プーチンに対する軍事的、政治的圧力が強まった
9月21日、プーチンは第二次世界大戦以来の大量動員を発表し、最大30万人の部分的動員で応戦した

ウクライナと米国当局者は、戦争は多くの人が想像するよりも長く、血なまぐさいものになると考えている
プーチンは、ウクライナを疲弊させるためにロシアの軍隊を犠牲にし、残虐行為をいとわないという姿勢を示している
プーチンは、ロシアを防衛するためにあらゆる手段を講じると脅し、核兵器を連想させ、「ハッタリではない」と警告している

今回のウクライナの攻勢は転機となるかもしれないが、決定的な一撃ではない
「今にして思えば、ミッドウェーの戦いのようなものだ」と、ザルジニーの特別顧問を務める米陸軍の退役軍人、ウェスト・ポイントの指導幹部ダン・ライスは言う

注:ウェスト・ポイントはアメリカ陸軍の士官学校

ザルジニーは、人手不足のウクライナ軍の意気込みと発展を担ってきた数多くのウクライナ人の一人に過ぎない
キーウ防衛や最近の東部反攻を指揮したウクライナ地上軍司令官オレクサンドル・シルスキー将軍や、ウクライナ軍情報機関のトップであるキリーロ・ブダノフなど、他の主要幹部たちもそうである

しかし、大統領に続き、ザルジニーも戦場の顔となっている
ウクライナのSNSでは、ザルジニーのキャラクターが知れわたっている
広く共有されているある画像は、棺の前で泣きじゃくる兵士の母親の前にひざまずき、悲しげに頭を下げる「鉄の将軍」の姿である

また、戦闘が一段落したときに、兵士の結婚式を取り仕切り、にっこり笑っている画像もある

テレグラムのファンチャンネルには数十万人のフォロワーがおり、その多くのフォロワーたちがプロフィールを、両手をハート型に合わせた将軍の写真に変えている

「ザルジニーは暗い部屋に入ると、電気をつけずに暗闇を照らす」と、あるTikTokの動画は冗談めかして話している

戦争の行方も、ザルジニーの活躍も予断を許さない
しかし、彼の指揮する軍隊が勝利を収める可能性が、おそらく、初めて出てきた

ウクライナ軍総司令官

妻の誕生日パーティーでビールを飲んでいたザルジニーは、電話で話すために外に出て、ゼレンスキーが与えた「新しい仕事」の話を聞いた
当時48歳の将官の階級と身分は、ゼレンスキーがオファーを出した地位よりはるかに下であった
ウクライナ軍総司令官といえば、大統領に次ぐ軍トップの地位である
その高さに眩暈を覚えた
「よく振り返るんです。どうしてこんなことになったんだろうと」
ザルジニーは6月のインタビューでそう答えている

しかし、ある人々にはこの選択は軽率に見えただろう
ザルジニーは、攻撃的で野心的な指揮官という評判がある一方で、おっちょこちょいなところもあり、部隊をしつけるよりも、道化として一緒にいるほうが得意だと思われていたからだ

1973年、ウクライナ北部のソ連軍駐屯地に生まれた彼は、ゼレンスキーと同じように喜劇役者になることを夢見ていたという
しかし、ソ連が崩壊し、ウクライナが危機に瀕した1990年代、軍人の家系にならってオデッサのアカデミーに入学した

ウクライナに育ち、ソ連の軍事的ドグマを捨てようとする、全く異なる時代の新世代の将校たちとともにザルジニーは出世していった
修士論文では、米軍の構造を分析している
ウクライナ軍が、トップヘビーな意思決定に依存する硬直したソ連モデルを依然として踏襲していることを理解し、米国やNATOのパートナー国の軍隊のやり方を反映させるための改革に着手した

ザルジニーは、2014年のロシアのクリミア併合後、小隊の指揮官から東部戦線で同国軍の指揮を執るまでに至った
その際、下士官を育成し、より機敏な意思決定を促し、現場の指揮官に権限を押し下げた
ロシア軍とは異なり、軍曹は「スケープゴート」ではなく、軍人たちの才能の骨組みを建設する真の代理人である、とウクライナ防衛軍で公開されてた2020年のインタビューで答え、「2013年の軍隊に戻ることはない」と言っている

しかし、他方でロシア側の制度も尊重し、尊敬していた
事務所には、17歳年上のロシア軍トップ、ヴァレリー・ゲラシモフ将軍の著作集が置かれている
「私はロシアの軍事教義で育ったので、戦争の科学はすべてロシアにあると今でも思っています
私はゲラシモフから学びました
彼が書いたものは全部読みました...
...彼は最も賢い男で、彼に対する期待は非常に大きかったですね」

注:「ロシア軍の将軍たち」を是非ご参照ください

2019年

ゼレンスキーが就任した2019年、ウクライナ東部の戦争はすでに5年目を迎えており、ザルジニーは戦場の司令官代理だった
新大統領に軍事作戦や指揮系統を説明するのは、彼の役目だった
彼は、ゼレンスキーが兵役に就いたことがないことを知っていたので、戦術の詳細を教えるつもりはなかった
「医学や橋の建設と同じように、軍事を理解する必要はない」とザルジニーは言う
しかし、ゼレンスキーも同じ考えであった
元国防次官補のオレクシー・メルニクは
「これがゼレンスキーの長所です
彼は軍事に直接干渉することなく、将軍たちにショーを運営させました」と言う

注:オレクシー・メルニクがウクライナで軍務についていたのは2001年まで。それ以降は米国、英国のアナリスト。

2020年

2020年、ザルジニーは、対戦車ミサイル「ジャベリン」の実験を含む野心的な軍事演習を指揮した
大統領も見守る中、実験は失敗し、ウクライナのテレビでは「軍隊にとって不吉な予兆だ」と喧伝された
大統領府で「ジャベリンの不具合で負けた人」として知られることになる、とザルジニーは思ったという

注:ロシアの軍事専門ウェブサイトに記事が残っていた。

https://en.topwar.ru/175403-na-uchenijah-vsu-ptrk-javelin-pri-demonstracii-zelenskomu-dal-osechku.html

しかし、ゼレンスキーは、古い世代の官僚を捨てて新しい血を求め、親しみを感じた指導者を階級に関係なく昇格させるという習性を見せた

2021年

2021年7月、ロシアが戦車を国境まで運び、ウクライナは全面攻撃されると米国から警告されている最中に、大統領はザルジニーを責任者に据えることを決めた

ゼレンスキーの参謀、アンドリー・イェルマクは言う
「私は、彼はかなりプロフェッショナルで賢い人間だと思う、と意見を伝えました
しかし、大統領が決めたんです」

ロシア軍の大規模な侵攻が迫っているという諜報機関の情報に懐疑的だったゼレンスキーとは違い、ザルジニーは「時間の問題」と考えるウクライナ人将校の一人であった
ザルージニーは、就任後数週間で、重要な改革を断行し始めた
将校は、攻撃を受けたら「使える武器は何でも使って」自由に応戦し、上級指揮官の許可は必要ない
「敵の攻撃意欲を削ぐ必要があり、我々は牙をむく必要があったのです」
とザルジニーは言う

2022年2月

2月上旬、彼はこの新しい役割にプレッシャーを感じ始めていた
数千人のウクライナ軍を動員し、ロシアの攻撃を想定して行った、基本的だが野心的な演習で、ウクライナ防衛の欠陥が露呈し、期待外れに終わったのだ
ザルジニーの考えでは、演習はウクライナの防衛戦略の中心であり、生き残るための最大のチャンスなのに、指揮官たちがそれを十分な真剣さで受け止めていなかった
「1時間くらい怒鳴ってた」と彼は振り返る
その時、テーブルを囲んでいたのは、ザルジニーより年上で経験豊富な人たちであった
「もうだめだ、成功できなければ、我々の命だけでなく、国まで失うことになる」と説明した

この騒ぎの後、将軍たちは準備を進めた
軍備を移転させ、カモフラージュし、部隊と兵器を基地から移動させ、国内を巡回させた
その中には、航空機、戦車、装甲車、そしてウクライナの制空権を守るために必要な対空砲台も含まれていた
「戦争のにおいがぷんぷんしていた」とザルジニーは言う
しかし、その作戦の詳細については口をつぐむ
「奇襲の要素を失うことを恐れたのです
私たちは皆、いつもの拠点に配備され、草を吸い、テレビを見ながら Facebook投稿をしていると敵に思わせる必要があったのです」
と彼は話す

2月24日

2月24日の朝、侵攻が始まったとき、将軍はウクライナの防衛について 2つの戦略的目標を掲げた
「キーウを陥落させるわけにはいかない」
「そして、他のすべての侵攻部分では、たとえ領土を失うことになる場所があったとしても、ロシア軍の血を流させなければならなかった」
つまり、あえてロシア軍の前進を許し、前方の隊列と後方の間にある補給線を破壊することを目的とした
侵攻 6日目には、これが功を奏したと判断した
ロシア軍はキーウ周辺の空港を占領することができず、十分な深さまで侵攻してきたため、補給線に負担がかかり始め、無防備な状態になっていたのである

ザルジニーの米国側カウンターパートであるマーク・ミリー大将は、ウクライナ人の頑張りを見て、驚いていた
そして、ザルジニーに「安全な場所に避難するつもりはないのか」と尋ねたという
「私は彼に、『言ってることが分からない』と言いました
私にとって、この戦争は2014年に始まったのです..
...その時も逃げなかったし、今も逃げるつもりはありません 」
とザルジニーは言う

そして、ザルジニーはロシアの失策に驚いていた
ウクライナ軍の抵抗が激しくなっても、補給が途絶えても、撤退したり、別の方法に変えたりしなかったからだ
ザルジニーは言う
「彼らは無策なまま虐殺に兵士たちを投入していました
私にとって最も容易なシナリオを選んだのです 」

5月

米国と同盟国が数十億ドルの軍事支援を続けても、ニュースは厳しいものだった
ロシアは戦略的な港湾都市マリウポリを攻撃し、数千人の市民を殺害した
5月には、同市の最後の拠点であるアゾフスタル製鉄所を防衛していた数百人のウクライナ人戦闘員が降伏した
注:降伏したと報道がでるのは5月17日頃。

(9月21日、ウクライナの軍司令官5人を含む150人以上が捕虜交換で返還されているが、12月でも、まだ多数の捕虜がロシアに残っている。)
ロシア軍に占領されていた町や村では、大量の墓が発見された
それでも、ウクライナ当局は自分たちが勝つと主張した

数週間後、ウクライナは軍事アナリストにとって異例ともいえる行動を取り始めた
ゼレンスキーやレズニコフ国防相らウクライナ政府高官が、南部での大規模な奪還作戦の準備を政府首脳から公言し始めたのである

ロシアは攻撃を想定し、最精鋭部隊を含む、他の地域の部隊を再配置し、南部の陣地を強化し始めた
 8月29日、ウクライナ軍は待望の南部攻防戦の開始を発表した

9月

しかし、何か別のことが進行中であることを示す兆候もあった
9月1日ウクライナの国家安全保障・防衛会議の議長であるオレクシー・ダニロフ氏は、
「我々は戦争をしている、南部だけではない」と語っていた
多くの専門家は「前線は 2,500kmにも及ぶ 」と言い、ウクライナが 2つの前線はおろか、1つの前線ですら反攻する能力があるかどうか疑っていた

その 5日後、ウクライナ軍が同国北東部で奇襲を開始した
ロシア軍は不意を突かれた
多くの兵士が武器や装備を置き去りにして、無残にも逃げ去った
現地の報道では、兵士が市民の服や自転車、車を盗んで逃げたと、屈辱的な撤退劇が描かれた

 6日間で、ロシア軍にとって戦略的に重要な鉄道拠点を含む、推定3,000平方キロメートルの被占領地域をウクライナ軍は奪還したのである
この攻撃は、クレムリン、米国政府高官、そしてウクライナのトップさえも驚かせた
「後で失望しないように、自分の期待を抑えることを学びました
いくつかの突破口は、計画より少し早く発生しました」
とレズニコフは話す

西側からの情報提供や最新兵器も役立った
「敵の位置、数、貯蔵品などを教えてくれました
そして、攻撃するのです」
ペンタゴンから提供された高機動砲ロケットシステム(HIMARS)により、ウクライナは弾薬、燃料、指揮所の倉庫を破壊することができた
米国から寄贈されたハンビーなどの軽量車両や、英国、オーストラリア、オランダ、ポーランド、チェコ共和国から送られたトラックや戦車によって、ロシア軍を出し抜くことができたのです

元CIA分析官で国家安全保障会議ロシア担当のジェフリー・エドモンズ氏は
「ウクライナ人は戦術レベルの分散作戦に長けている
彼らはとても規律正しいです」と話す

また、ウクライナ当局によると、ロシア軍の崩壊を利用できるような柔軟な指揮系統も重要だったという
「ウクライナ軍はあらゆるレベルで自由に意思決定ができます
ロシア軍と違って、彼らはそれを素早く行います」
そうレズニコフはNATO基準で話をする

ウクライナ政府関係者は、これまでの軍事的成功の功績を分散させることに慎重だ
レズニコフは、歩兵、海軍、空軍、医療部隊など、軍部の有名な将校の名前を挙げ、
「一人のスターの話ではなく、軍のエリートたちの描く星座の物語です」と言う

ゼレンスキー大統領と軍最高司令官との間に緊張関係があるという噂もあるが、大統領とその側近はそれを否定している
「いわゆるザルジニーとの対立は、最初から最後まで反対派が作り出したものです」
と、ゼレンスキー補佐官でウクライナ軍情報機関のベテラン、オレクシー・アレストビッチは言う
「端から端まで、明らかにでっち上げです
軍司令官と最高司令官の対立をあおるのは、それがウクライナにとって破滅的だからです」

戦争で鍛えられたウクライナの指導者たちは、最近の成功が時間を稼いだだけであることを知っている
「ロシアはこの戦争にすべてを賭けています
プーチンは負けるわけにはいかないのです
敗北の代償が高すぎます」
と、ウクライナの国家安全保障・防衛会議長オレクシー・ダニロフは言う

ウクライナの南部での作戦はゆっくりとした動きになっている
冬が近づくにつれ、キーウは戦力を拡大し過ぎないように注意しなければならない
また、ウクライナのコントロールできない力も働いている
ロシアはすでに欧州へのガス供給を40%から9%に減らしており、迫り来るエネルギー危機は欧米の軍事的支援に水を差す可能性がある

ザルジニーは、長く血なまぐさい戦いになることを覚悟している
「ロシア人について直接知っていることは、我々の勝利は最終的なものではないということです
我々の勝利は、一息ついて次の戦争に備える機会となるでしょう」
と語った

-レスリー・ディックスタインとシモーヌ・シャーの報告による

プロモーション

5月19日

ウクライナ軍最高司令官ヴァレリー・ザルジニーに関する10の事実

カリスマ的でパワフルで、鉄の意思の持ち主
厳しい経験と高い地位にもかかわらず、フレンドリーでオープン
人当たりがよく、家庭的で(少なくとも私たちには)柔らかく穏やかである

それは、非番時の彼の写真からも感じられる
若い頃の写真を見ると、ザルジニーはほとんどハリウッド俳優のようにハンサムだ
驚かされたのはそれだけではない... 彼は軍人の家庭に生まれ、部隊の中で育ち、幼い頃から軍人になることしか想像していなかった

しかし、また、彼自身、ウクライナ軍の総司令官になるとは思ってもみなかった
なぜなら、兵士なら誰もが将軍になることを夢見るからだ
しかし、彼は参謀総長の地位なら到達できると考えていた 彼は地位にはまったく興味がなく、自分の人生を追求し、ウクライナ軍を発展させることに興味があった
そして、ザルジニーは、軍歴の最後は軍事大学の教師として「静かに、穏やかに」終えるつもりだった

ザルジニーは、工科大学を優等生で卒業した後、オデーサ陸軍大学校、国防大学校、ウクライナ国防大学校で学んだ
2年前(注:2020年)、イワン・チェルニャキフスキーと共にオストロフ大学の修士課程で、最初の三つの大学での研究に対し、優秀卒業証書と金メダルを授与されています
2014年7月から、ドネツク地域の防衛に参加した 彼はセクター「C」の副司令官に就任し、統合軍の参謀長のポストまで昇進しました
そして、彼は兵士たちとともに戦いました

「今でも多くの兵士と連絡を取り合っています
軍事的、家庭的な問題を解決するために手助けできるのはうれしいのです」
と、ザルジニーはインタビューに答えています

一般的に、彼は頼りになるウクライナの総司令官であり、隊員たちに対して非常にオープンで、兵士たちが心から最も尊敬する一人です
彼は、駐屯地や戦場を訪れ、兵士と直接、コミュニケーションをとります

「変化は、主に世界観や国民への態度に生じているはずです
国民や部下たちに目を向けて欲しい」
ザルジニーは、人道的な兵士の扱いという彼の仕事上の原則についてそのように説明します

こちらはザルジニーの奥さんのエレナ・ザルーシュナさんです
将軍は時々、奥さんと一緒に写真を撮るのですが、その中でいつも優しく彼女を抱きしめています
エレナさんは、いつも心からの笑顔を見せてくれます
これは、女性が本当に幸せで、愛と思いやりに包まれて生きているときにだけ起こることです

エレナは、ウクルガス銀行で働く金融マンです
夫妻の申告によると、贅沢はしていません
70平米の小さな家1軒とオデーサ地方の土地
2人乗りの車(シェリー・ティゴとニッサン・パトロール、新車ではない)だけです
二人の娘が夫妻二人の大きな功績です
長女はキーウの駐屯地に勤務し、次女は医学部で勉強しています

それだけでなく、彼はソ連軍に所属したことのない、最初の軍司令官になります
彼が第一陸軍士官学校を卒業した時(1997年)には、ソ連はすでに崩壊していたのです
さらに、彼は長い間ヤヴォリフ(リヴィウ州)の軍司令部で要職を務め、「西部」作戦司令部の初代副司令官も経験しています
ザルジニー将軍が「西側」の軍事戦略学校の指導者であったという文脈でも象徴的に聞こえます

最近、影響力のある米国出版物ポリティコは、ザルジニーの分析記事を捧げ、ウクライナがロシアの攻撃に耐えて抵抗することを可能にした彼の軍事的才能と戦略を賞賛しました
記事の著者は、総司令官を「鉄の将軍」、軍事史上の伝説的人物と呼びました
その通りです
我らが将軍は、真の防衛者の持つべき美徳を全て、本当によく体現しています

そして、非常に繊細な人間でもあります
 子供が好きで、姪っこについても喜んで受け入れています
詩も好きで、例えば、重度の脳性まひを患うボハダン・ゴロフの詩集『特別なコウノトリ』をテーブルに置いているそうです
「これらの詩はとても優しい詩なんです
この子は12歳のときから詩を書いているそうです
しかも、この子は車椅子に乗っていて、指が1本しか動かせない
彼がパソコンで入力していると知ったら、誰もが衝撃を受けるでしょう
このような人は尊敬に値します」
ザルジニーはインタビューでそう語っています

ハイキングに対する情熱は長年続いています
彼は国内観光のサポーターであり、ウクライナの旅行が好きなのです
初めての土地に到着すると、スポーツウェアを着て、初めての場所を歩いて探検するのです

彼はインタビューで、年齢とともに、若くして離れた故郷ノヴォグラード・ヴォリンスキー(注:キーウとリヴィウの中間付近の都市)を好きになり始めたと話します
今は、彼は大きな喜びをもって故郷を訪れるそうです

また、母親が生まれたチェルニヒウや、最初に勤務して隅々まで自分の足で歩き回ったヴォロディミル・ヴォリンスキーも大好きだといいます
FacebookとInstagramの両方で5,000人近いフォロワーがいます
Facebookでは、公式の投稿だけでなく、日常生活や仲間、軍隊の様子など、普通の人の投稿も公開しています
Instagramでは、ウクライナ軍最高司令官である彼のプロフィールは閉じられており、これは当然ですね
今のところ投稿は300件以下で、あるフォロワーによればザルジニーの主な「コンテンツ」は、彼が愛している猫だそうです

来年、ウクライナの総司令官は50歳になります
親族たちが、彼の軍事的才能により人種差別主義者から解放され、豊かで平和なウクライナで記念日を祝えることを心から願います

そして、赤の広場で、ウクライナの国旗とウクライナの歌のもと、戦車に乗って勝利のパレードをする夢を見ます
(終わり)

最後まで読んでいただいてありがとうございます😊
どうか「スキ」「ツイート」「シェア」をお願いします!
できましたら、感想をコメントで一言いただけると、ものすごく励みになります😣!😣!

サポートしようと思って下さった方、お気持ち本当にありがとうございます😣! お時間の許す限り、多くの記事を読んでいただければ幸いです😣