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随想録

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#私は私のここがすき

フラストレーションをそのまま言語化するのはもったいない。

フラストレーションをそのまま言語化するのはもったいない。

たぶん、ヘイトとかアンチとかいう言語表現はフラストレーションやストレスをそのまま言語化しているからじゃないかという仮説が私の中であります。

歌詞を書く時、想いをどうすればいいかという風に考えて書きますよね。

それと同じで、観る人聴く人がどういう印象を持つかというフィルターを通して書く作業が必要になってくると思います。

好きだ好きだなんてストレートに言えたらそれは素敵でしょうけど、恋愛感情って

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人を信じる。

人を信じる。

ここ数年、色々あって疑心暗鬼になっていたのかもしれません。人の動きを気にしたり。

とにかく、自発的に動きづらくなっていたのかも。人の顔色伺ってというか。

高校生の時はもっと、無鉄砲ではあったけど、もっとクリエイティブではありました。自分が生まれる前の音楽が面白いからそれをやっていこうと、実際に取り組んだり。お陰で、ソコソコの音楽は演奏できるようにはなりました。

人を思いやるのはとても大事だけ

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今日の音楽的考察。

今日の音楽的考察。

表現を音楽的に行う事が音楽だというのは極論だろうか。
鳴ってるだけなら、車の走る騒音すら音楽として成立してしまう。

音楽は不快であってはならないという、ある人の言葉を定義にするなら、騒音をサンプリングしたものを音楽的に使うというなら音楽である。

なんでもかんでも音楽になるんだったらパラリラ暴走を音楽として認めてしまって非社会的な騒音を認めざるを得なくなる。

夢や希望が現実を乗り切る力になるかもしれない。

夢や希望が現実を乗り切る力になるかもしれない。

なんら、根拠はないのです。

しかし、現実は厳しい。問題にぶち当たって、どうしようと途方に暮れるか、夢のために希望を奮い立たせてどうにかしようという姿勢では後々に大きな違いが出てくると思う。

よく、アニソンとかでも、立ち上がれ!とか、諦めんな!とか言って、疲れてる時は正直聞くのも辛かったですけど、少し休んで回復したらやはり言い得ている事なんだなと感じます。

しかし、ニーチェは希望の火を灯せと仰

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