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【開催報告】「世界は贈与でできている」読書会第5回

2024年3月6日、
「世界は贈与でできている」の読書会をしました!

3月6日(第5回)イベントページ

今回は、5名のかたが参加してくださって、全部で7名!
やっぱり人数が多いと多様な意見が出て楽しいですね〜♪

今回もファシリテーターは本田さん
いつもありがとうございます!

今回は、1〜4章のエッセンスを本田さんがまとめてきてくださったので(感謝!!)、
みんなでそれをみて前回までの内容を思い出してから輪読に入りました。

第5回のジャムボードはこちら

輪読⇨ジャムボード⇨対話、という流れで行いました。

この章もなかなか難解で、
「言語ゲームって、なんなんだ?」というところを、
みんなで話しながら少しずつ腹落ちしていくような対話ができました。

対話では、こんな発言がありました。
・たとえば、200色ある「白」を、「この色をこの人はクリーム色っていんだ」とか、「この人はグレーっていうんだ」のように、長く話していくうちにだんだんわかるとすると、それが他者の言語ゲームに参加しているということになるのかな?
・色だけじゃなく、「これは白いね」と言う時、いい意味で言っているか悪い意味で言っているか、なども関係するかも・・
・2人の間では、「これは白だね」となっていても、もうひとり入ってきたら、変わったりする。人数が増えるごとに変わっていくもの。
・「言語ゲーム」は自分の中にもあるし、他者との間にもあり、複数が同時に存在する。
・「価値観」といわずに、わざと「言語ゲーム」という耳慣れない言葉を使っているのは、著者が読者を、自分の言語ゲームに誘っているんじゃないか
・すでにみんなが使っている「価値観」という言葉を使うと、それぞれにイメージするものが違ってしまうので、意味に幅を持たせないために「言語ゲーム」という言葉を使っているんじゃないか
・「言語ゲーム」という言葉には、価値観だけではなく、その時々に生まれる前提、発している背景みたいなことをも含んでいて、それらは変化していくもの。その瞬間生まれるものも、消えていくものもあり、「窓」のような固定的なものもある。それらすべてを含むのでは?
・辞書で扱っている言語の意味は固定されていて、「社会的にはこういう定義である」というもの。それに対して「言語ゲーム」は、人によって、またシチュエーションで、その都度、変化が生じるもの
・「言語ゲーム」では、言葉の意味が大事なんじゃなく、その言葉が使えることが大事。「窓」をあけたりしめたりできるということ。だから、「その言葉をどうやって使うか」を意識するといいと思う。辞書に、文例がついているのは、どうやって使うかを知らないと意味が理解できないからだと思う。
・今日、この場で「言語ゲーム」という言葉について、みんなでなんとなく理解できたら、次からこのメンバーの中では、「これって言語ゲームだね」というように使えるようになる。
・友人と、いつのまにか違う言語ゲームでコミュニケーションしていて、どんどんずれていくことがある。そういうときは、同じOSで話したいから、すり合わせをする。
・ずれていることに気づかないこともある=アンジャッシュのネタの感じw
・言語ゲームも、贈与と同様に、受取手の知性が問われるのかも。
・「ゲーム」なので、楽しいもののように思える。ゲームだということを念頭にコミュニケーションできたらいいかも。
・ゲームが楽しめる関係性って、それ以前に、相性とか波長が合うとか、そういうのが必要そう。
・「他者と生きるとは、言語ゲームをつくっていくこと」っていうのを読んで、気が遠くなりそうな気がした。
・言語ゲームは、スポーツのルールみたいなものだと思った。そこに乗れない人、受け取れない人は、一緒に楽しめない。たくさんの人と楽しもうと思ったら、最低限守らなければならないものもあるし、譲る部分や折り合いをつけることも必要で、そうして、共通認識をつくっていくのだと思う。
・対話の場って、言語ゲームをつくっていく作業なんだな
・スポーツと違って難しいのは、違うルールを使いたい人がいるときに、強制できないこと。=それってダイバーシティ&インクルージョンの話だね。
・言語ゲームをそろえようとすることが、同調圧力やムラ社会につながることもあるかも。
・絶対に、自分の言語ゲームが正しいと思っている人とは付き合えない。
・そういう人がいたら、どうするの?排除するの??
・NVCの本によると、そういう人の深いニーズをみて、一緒になにかできることがあるかを話せたら、新しい道が生まれてくる。
・人が言葉を理解していくところで、ヘレンケラーが「Water」を理解したエピソードを思い出した。
・「空気を読む」というのも、一種の言語ゲームなのかな。言葉をつかわなくても「言語ゲーム」なのがおもしろい。

こんな感じで、
みんなでどうにかして「言語ゲーム」とい概念を理解しようとしましたが、
最後のチェックインで本田さんから、
「本の内容自体より、
それぞれ自分の内側にある「なにか」と結びついて対話をしていくことに意味があると思う」
というお話があり、
ほんとにそうだな〜と思いました!

私は、個人的には、大いに自戒もこめて、
「自分が正しいと思っている人は愚かだ」
ということをずっと考えていました。

自分なりの言語ゲームはもっていて当たり前けど、
それを他人に押し付けようとしたり、正当化したり、
そういうことはされたくないし、したくないなぁって、
しみじみと思いました。

・・・ほーんと、気をつけよっと♪


さて!!
次回はやっと第6章!!

対話会はずっとおもしろいんだけど、
本の内容は、
ここからぐっとおもしろくなりますよー!!!w


第6回は第6章!
「『常識を疑え』を疑え」
・・・またややこしいこと言っとるなw

4月11日(木)19:30-21:30です!
ここからの新しいかたのご参加を歓迎いたします!

詳細・お申し込みはこちら↓


お金のために何かをしないと決めています。やりたいと思ったことだけやっています。・・とはいえなかなか世知辛い世の中。気が向いたら、サポートをお願いします!