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パニック症状と死の恐怖にさいなまれた思春期


私は、8才の頃から、漠然としてパニック症状や死の恐怖に襲われ、16才になり、パニック症状はますます強くなり、学校から隠れて煙草を吸うようになってから、無気力になり、28才の頃、悲しみの世界が自分を覆い尽くすことをひたすら恐怖するようになりました。

16才の頃手に取った小説。太宰治の人間失格。

私はわからなかった世界が少しずつ分かるようになりました。

思春期の青年が誰もが辿るであろう究極の命題。

「生きる意味とは何であるか」「人生とは何たるか」
「この世界は何なのか」「俺は何の為に生きているのか」

アナタはこんなことは考えたことはありませんか?

素朴な疑問を私自身も若い頃抱え、その答えが実用書のようにぱっと、YouTubeで語られることのまだなかった時代に私の青春時代はありました。

私はまだ、統合失調症になっておらず、「ADHD」注意欠陥多動性障害と、自閉症スペクトラムを併発していました。

私は、雷親父に叱られたり、何故、自分が善意でしたことが、相手にとってこれほど反感や怒りや憎しみをかい、そして、社会的問題にまで発展するのか、その恐ろしさが分かりませんでした。

そして、そのとき、道徳や宗教といったモノがあることも、恐らく余り幼稚で理解していなかったでしょう。

しかし、太宰先生は若いときにそんなことを早く理解して覚ってました。

今の10代や20代の若者はさらに私よりも強い性的衝動やリビドーを抱えていることでしょう。

しかし、そのエネルギーをどこに向ければ、最大の答えが見つかるのか、今のメンタルを病んでいる若者の中には、それが不安で怖いから、もしくは内側にある自分の本当は純真無垢で清らかな愛のエネルギーの宝庫である筈の、内的精力を、親や担任の教師または、社会的ネット社会で怖いからという理由で、封印してその殻を閉じちゃっている人もいるかもしれません。

思考停止、考えない、悩まないでただ日々が過ぎ去ってくれる不幸せな幸福を幸福と呼んでいる世界を私自身も今まで生きてきました。

窮屈な世界、内側に閉じる世界から、外側に開く世界。

拳を握りしめながら、微笑んで外側に響く声をだしている人もいるかもしれません。

世代に対する怒りの感情があると思っています。

内面は、やはり霊的な危機にさらされて、内側に閉じてしまっている人も多くいらっしゃるかもしれません。

そうじゃない人も居るはずです。

しかし、心の中にヒエラルキーを作りたがる人たちに、押し込められて、無難で普通の人生を送ることが、唯一の安全な道だと考えている人も多くいるかもしれません。

事実はどうかわかりませんが、

人と違うことによって、反発を喰らうこと、喧嘩をすることを最小限にしようとしている人もなかにはおおくいらっしゃることと思います。今の世の中、一人でもそのような人が居たら、調和をかき乱してしまうことを知っているからです。

恐らく太宰治さんも、私もそんな幼少期を過ごしました。

人間一人の失敗が神輿を崩れさせる原因になること。だから、無難であれ、安全であれ、普通であろうとすることも大切なときもあります。

私もそのことで過去に何度も大人たちに痛い目に合わされてきました。

そして辿りついた私の答え、規律や道徳といったモノは必要だということです。

物質的、貧困の時代は終わろうとしているのかもしれません。

私たちは、精神的霊的貧困のさらに深刻な時代になろうとしている。

そこで必要なのは怒りの根本の癒しというような健康上の表面の癒しではなく、霊的魂の救いなる癒しなのではないかと思います。

古くからある伝統的なモノ。新しく出来たのではなく、古くからある由緒正しく正統性のあるモノ。

自分の家の家族に一度訪ねてみることをすすめます。

そして、もう一つは、スピリチュアルや精神世界、心理学の世界、文学の世界に触れてみること。占い、タロット、様々なモノに触れて、その哲学に触れることです。

芸術とは、秩序が必要です。秩序は伝統性のある平和の礎になる思想から成り立ちます。秩序がない芸術を芸術とは言わないと映画「ベニスに死す」のグズタフマーラーは言っています。

初めから、自分の考えはない。一度、一通り勉強してから、そういったモノに触れると、何かが見え、そして、伝えなくてはならない衝動になるでしょう。

話はそれましたが、このマーラーの交響曲第三番は、「死」とひたすら向き合うマーラーの自叙伝的闘いの音楽です。

神の前で、自らの罪を懺悔しつつも、また、改心し、現実にひたむきに向き合おうとする彼の一人の人間としての生きざまの五線譜が音楽となっています。

これを聴いたあと、是非、マーラーの交響曲第一番巨人と、交響曲第四番に触れてみてください。

しかし、彼を本当に理解する音楽は実は、「大地の歌」という中国の交響曲なのですが、それを伝えつつ、彼がいかに繊細な心を持ち、義に餓えていたか?

太宰治は、人間である以上、人間の恐ろしさ、本質は変わらないと言っていました。そういった面で、太宰治の小説は、人々の心に癒しを与えると呼べるにふさわしい作品であると私は想います。

JPOPでこの世界観を出しているのは
Toshiのガイアの祈り↓

https://www.nicovideo.jp/watch/sm22598102


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