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自給自足してみたい

去年の冬、コロナが流行り始める1ヶ月ほど前、熊本のエコビレッジに滞在した。
自分が行ったところは、無理のない範囲で自給自足してる所だった。
トイレは水洗だし、電気もガスも通ってる。
住民の多くが自分の畑を持ってて、野菜とかを育ててた。


ゲストハウスを出て、ちょっと歩けば山羊に遭遇し、勝手に食べれる甘夏の木があったり、アースバックハウスがあったり、トランポリンが置いてたり、楽しい空間だった。



その集落でやってる、インカム制度を利用して2週間ほど滞在した。これは1日6時間ほど仕事の手伝いをする代わりに、食べるものと住むところを提供してもらえるというもの。
色んな経験をさせてもらえて、今思えば結構贅沢だったかもしれない。


自分と同時期に来てたインカムさんが6人ほどいた。みんな心優しい人達だった。

その中で1人、とびきり美味しい味噌汁を作ってくれる人がいた。
そしてその人は、誰よりも美味しそうにご飯を食べていた。
彼は人がいてもいなくても、毎回、食事の前には手を合わせて目をつむり、それはもうトリコ顔負けの、気持ちのこもった「いただきます」をしていた。



こうなりたいと思った。

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色んな物や人に感謝できる人間になりたい。
感謝しながら生きていきたい。
「感謝」ってしようと思ってできるもんじゃないと思う。
ありがたいって気持ちが内側から自然に生まれて、それを伝えるのが「感謝する」だと思うので。


じゃあどうやったら、そうなれるんだろう。
一個は経験だと思う。色んな苦労を知って、何かしてくれる人の裏の大変さを実感できる、想像できるから、ありがてえ〜ってなる。

僕の場合想像力が乏しいせいか、やってもらったことが実際に経験したことであった方が、ありがて〜ってなる。

だから色んな経験をしてみたいし、雑用とか裏仕事はそんなに嫌いじゃない(と思ってる)

そういう意味でも、めんどくさくてやりたくないことって、すごく大事なことなんだろーなと思う。
なかなかやらないんだけど笑

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「いただきます」の話に戻ります。
じゃあ命に対する感謝はどうなんだろう。

自分の言う「いただきます」に気持ちはこもっているんだろうか。
無いと思う。一応言ってるだけ(が多い)
それどころか食材を腐らせて捨ててしまったことも何度かある。地球と動植物の天敵。


僕にとって、食材に対する感謝の意が最大限内側から湧くのは、自分で食材の命を奪った時だと思う。

生産者に、最大限ありがとうの気持ちを込めて「いただきます」を言えるのは、生産者の苦労を身をもって体感した時だと思う。

なので、早くそういう経験をしてみたいと思う。そういう考え方だから、
その点で言うと、やっぱりど田舎が向いてるのかもしれない。
自給自足とかやってみたい。
実際やってみて何を思うんだろう。
やっぱ都会がいいとか言い始めるのかな。

何事もやってみないと分からない。
想像するのはできるけど、「分かる」のは体験した時だと思う。

「たとえば、〝白いジグソーパズルを完成させた時の気持ち〟なんてどこにも載ってないだろ。誰かに聞いたとしても、それで知ったことにはならない。それが知りたくなったら……自分でやるしかないよ。」
       宇宙兄弟 第4巻 真壁ケンジ


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都会と田舎について
そういえばマーシーがこんな歌詞を書いてた。

都会は便利だけれど、一票も生命も軽い

    真島昌利 「情報時代の野蛮人」より

命も軽いって言葉が印象的だったし、なんか納得した。


システムが複雑になって生産者の顔を見ることもできなければ、肩ロースの元の姿を見ることもできない。

食べ物が簡単に手に入るから、簡単に捨てられる。

豚の切り身だけを見ていただきますと言うことはできるけど、ありがてーって気持ちは湧きにくい。(自分の人間性が欠けてるだけかも)

日々忙しく過ごすようになると、さらに色んなありがたさを忘れそうな気もする。

そんなことを考えると、 
自分の場合はやっぱりど田舎がいいのかなと

ど田舎の方が、色々と自分の大事にしたいもんを大事にできる気がするっていう。
そんな話でした。

読んでくれてありがとうございました


↑お気に入りの結婚式ソングです

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