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傷を背負って生き延びる(宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』)

【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。

「待たせる人」と「待たされる人」

愛する人を「待つ」という行為は、魔法をかけられるようなものだという。つまり、電話がかかってくるまで、あるいは待ち合わせの場所にその人が現れるまで「そこを動いてはならない」と静止させられている状態。そして、喫茶店のドアを開ける音やスマホの振動をすぐさま察知し、似たような人影を愛する人と誤認して、そのたびに落胆する。「待機とは錯乱のことなのである」と哲学者のロラン・バルトは言う。

「わたしは恋をしているのだろうか──然り、こうして待っているのだから。」相手の方はけっして待つことがない。(中略)結局のところわたしは暇なのであり、時間に正確で、早めに来てしまっている。「わたしは待つものである。」これが、恋する者の宿命的自己証明なのだ。
(ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』)

反対に、「待たせる」というのは古くから人類につきものの「特権」であるという。いつまでも来ない「待たせる者」と、その場に留まり続ける「待たされる者」の非対称性を思う。どちらかといえば待つことのほうが多い人生だった。

「ブンちゃんはいつも 早く準備しすぎちゃうんだよね」
(第1話「あなたはブンちゃんのはじまり」)

宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』は、そんな象徴的なセリフから始まる。小学生のころからの親友・三舟さんに想いを寄せるブンちゃん。ブンちゃんに恋をする、かつてプールで亡くなった同級生の霊・シモジ。3人の三角関係は徐々にエスカレートし、狂気じみた愛へと変貌していく。

ブンちゃんは、三舟さんがけっして振り向かないことに気づいている。その残酷さを忘れるために、職場の同僚と付き合ってみたり、三舟さんのドッペルゲンガーに会うためにグリーンランドまで行ったり、髪の毛を丸めて出家しようとしたり……。ページをめくるたびに、恋愛の生傷がじわじわと思い出される。

グリーンランドから帰国したブンちゃんを迎えにきた三舟さんの隣には、「イベントでよくうちのサークルに来てくれた」という見知らぬ男性がひとり。三舟さんが彼を見つめる親しげな視線は、ブンちゃんをさらに追い詰めていく。待たされる者はいつだって苦しさの底にいる。

エキセントリックに見えるけれど

叶わぬ恋に身を焦がすブンちゃんもまた、三舟さん以外からの視線に対してはどこまでも残酷だ。悪霊となったシモジは「僕がどれくらいブンちゃんと居たかったのか 思い知ってほしいだけ」と、三舟さんが恋する男性の体を借りてブンちゃんの前に現れる。しかし、三舟さんのことで頭がいっぱいのブンちゃんは「だからシモジが 誰に乗り移ろうとどうでもいい…」とそっけない。

シモジは呟く。

「僕が悪霊になったことも 僕が 君の 目の前で死んだことすら 心底どうでもいいくらい 三舟さんしか見えないの」
(第8話「あなたはブンちゃんの再会」)

三舟さんはずっとシモジを待っているし、ブンちゃんはずっと三舟さんを待っている。そしてシモジも、ブンちゃんを待ち続けている。片思いの残酷さと痛みがセリフの端々ににじみ出る。他者へのどろっとした嫉妬心や、恋人への独占願望など、あまり思い出したくない感情がよみがえってきた。

突然グリーンランドに旅立ったり、頭を丸めたりと、三舟さんへの想いに取り憑かれたブンちゃんの行動はとても危なっかしくて、エキセントリックなようにも見える。しかし、その暴走はうらやましくもある。

生身の言葉で、生身の体で傷つきたい

大人になって社会常識とされるものを学ぶにつれて、自分や相手を傷つけないコミュニケーションの方法もなんとなく身についた。誰かを待つ時間はアプリのマンガやSNSでいくらでも潰せる。もう真夜中にタクシーで恋人のもとへ駆けつけることもないし、別れ際にお互いを罵り合うこともない。20代の前半は失恋のたびに会社をサボっていたが、残念ながら今はそれもできない。

ブンちゃんも、三舟さんも、シモジも、けっして交じり合うことはない。ただ、誰かの感情や言葉にストレートに傷つき、堪え難い痛みを感じて生きている。

「ブンちゃん 帰る人の うしろ姿は見てはダメなんだよ」
「絵本にもかいてあったでしょ ほら そんなに苦しいでしょ」
(第1話「あなたはブンちゃんのはじまり」)

誰かの感情や言葉に鈍感になるのではなく、傷をそのまま背負って生きること。SNSで文字だけが上滑りする時代だからこそ、生身の言葉で、生身の体で傷つきたいと思うのはマゾヒズムが過ぎるだろうか。
誰かをいつまでも待ち続けたり、正面から拒絶されるたりするような体験こそが生を実感させてくれるのかもしれない。かつて大好きだった人の結婚報告をInstagramで読みながらそんなことを考えていた。

文=山本大樹 編集=田島太陽

山本大樹
編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitterはてなブログ


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