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「チューリングの悲劇」!

2012年12月発行の『すばる』(集英社)2013年1月号に「チューリングの悲劇」というエッセイを寄稿した。ここに紹介しよう。

二〇一二年は「コンピュータの父」と呼ばれる数学者アラン・チューリングの生誕一〇〇周年に相当する。というわけで、世界中の数学会や情報科学会、あるいは大学や出版界で、多彩なイベントが繰り広げられた。

その一環として、私もチューリングの論文「計算機械と知性」の翻訳を『現代思想:総特集チューリング』(青土社)に上梓した。これは、一九五〇年、三七歳のチューリングが「機械は考えることができるか」を検証するために「チューリング・テスト」を考案した記念碑的な論文である。以前から、いずれ私なりに全訳を仕上げておきたいと思っていたので、この機会に肩の荷を降ろしてホッとしているところである。

チューリングの天才が開花したのは、彼が十五歳の頃、パブリック・スクールで一歳年上のクリストファー・マルコムと出会ったことがきっかけだった。マルコムは、どの科目も全校トップの秀才で、とくに数学と科学に関して抜群の能力を誇っていた。この「初恋の相手」に気に入られようとチューリングは猛勉強を始め、ついにマルコムと一緒にケンブリッジ大学進学を目指すようになったのである。

偏屈な変わり者で、誰からも相手にされなかったチューリングに、マルコムは音楽やビリヤードの楽しさを教え、一緒に化学実験や天体観測を行った。もしマルコムがそのまま生き続けていたら、チューリングの将来に待ち受ける悲劇も生じなかったかもしれない。ところが、大学から合格通知が届いた直後、マルコムは結核のため急逝してしまった。その失意の底で、マルコムの両親から励まされたチューリングは、マルコムのために生きることを決意したという。

一九三六年、二四歳のチューリングは「計算可能性とその決定問題への応用」を発表した。この画期的な論文において、彼は、あらゆる命令を一定の規則に基づく記号列に置き換えて計算する理想機械「チューリング・マシン」を想定した。ここでチューリングの用いた概念が、あらゆる情報をデジタル処理する現在のコンピュータに実現されているわけである。

「チューリング・マシン」にしても「チューリング・テスト」にしても、彼の驚くべき独創性は、「計算」や「思考」のような抽象概念を具体的に処理可能にする方法を発見する際に発揮された。第二次大戦が始まってイギリス政府の暗号機関に召集されたチューリングは、まさにその特異な才能を最大限に活かして、難攻不落と呼ばれたドイツ軍の「エニグマ」暗号解読を成功させた!

つまりチューリングは、連合軍を勝利に導いた「英雄」であり、一九四五年にはチャーチル首相から「大英帝国勲章」を授与されていたのである。ただし、これらの事実の口外は固く禁じられ、一九七〇年代まで国家機密にされていたため、戦時中のチューリングの偉業は母親でさえ知らなかった。

戦後、チューリングはマンチェスター大学数学科に赴任して新型コンピュータを開発し、世界で最初のチェス・プログラムを書いている。研究活動は充実していたが、少年時代から同性愛者であることを自覚していたチューリングにとって、私生活での安定は望めなかった。実は、彼が同性愛者であることを受け入れたうえで結婚を承諾した女性もいたのだが、チューリング自ら婚約を破棄したという過去の出来事もあった。

一九五二年、三九歳のチューリングは、映画館で知り合った十九歳の青年を自宅に招いて宿泊させた。その数週間後、チューリングの自宅に泥棒が入り、警察の捜査の結果、犯人はその青年と彼のゲイ仲間であることがわかった。チューリングは、窃盗の被害者であったにもかかわらず、裁判の過程で同性愛者であることが公開されてしまったのである。

当時のイギリスで同性愛は「違法」であり、彼には「定期的な女性ホルモン投与」という屈辱的な刑罰が与えられた。大学教授のスキャンダルは、新聞にも大きく報道された。その二年後、チューリングは、四一歳の若さで自殺した。ベッドの脇には、青酸カリの瓶と齧りかけのリンゴがあった。

今年の2月に上梓した『フォン・ノイマンの哲学』では、ミシガン大学大学院でアーサー・バークス教授の講義を受けた際のエピソードを紹介した。

バークスといえば、フォン・ノイマンの下でコンピュータを開発した情報科学者で、ノイマンの死後に彼の「自己増殖オートメタ理論」を展開し完成させたことで知られる。

バークス教授は真面目で、黒板に数式を書きながら淡々と授業を進める先生だったが、「最初のコンピュータ」の話題になったとき、次のようなジョークで私たちを和ませた。

「『コンピュータの父』といえば、もちろんアメリカではジョン・フォン・ノイマンですが、イギリスではアラン・チューリングになります。自分がどこの国で喋っているのか、くれぐれも忘れないように!」

つまり、「コンピュータの父」と呼ばれる人物は、「フォン・ノイマン」と「アラン・チューリング」の2人が存在するわけである。それにもかかわらず、2人の生涯は、あまりにも対照的である。あらゆる「幸運」が降り注いだように見えるノイマンの人生と、なぜか「不運」ばかりが連続してしまうチューリングの人生……。

読者は、この2人の人生から、何を感じ取られるだろうか?

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