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アウシュビッツ強制収容所から''生きる意味''を学ぶ。

みなさんは、"アウシュビッツ強制収容所"をご存知でしょうか?

おそらく、中学校の授業で聞いたことはあるけど、そこまで詳しいことはわからないという方も多いのではないでしょうか。

アウシュビッツ強制収容所を一言でまとめると、"ユダヤ人が大量虐殺された場所"です。

アウシュビッツ強制収容所

二度と繰り返してはならない人類の「負の遺産」として、1979年に世界遺産に登録され、現在は博物館として公開されています。

そんな中、生存率0.052%以下と言われている歴史上最悪の強制収容所を、戦争が終わり、解放されるまで生き抜いた人達がいます。

今回は、アウシュビッツ強制収容所を生き抜いた人の共通点から、生きる上で最も重要なことについて紹介していきたいと思います。

アウシュビッツ強制収容所が何かわからない方でも、理解できるように紹介しておりますので、ぜひ最後までご覧ください。

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⚫︎アウシュビッツ強制収容所とは

まずは、アウシュビッツ強制収容所について簡単に紹介したいと思います。

1.背景

ドイツは、第一次世界大戦を(1914~18年)を敗戦したことにより、連合国に1320億金マルク(約200兆円)の賠償金を支払うことになりました。
これは当時のドイツの国家予算の何十年分にもあたる金額です。

この敗北がきっかけで、ドイツは経済的不況とハイパーインフレを招き、何百万人の人々が失業するなど、国民はドイツ政府に対しての信頼を完全に失っていました。

そんな中、国民からの信頼を回復し、ドイツを建て直すために立ち上がったのが、"ヒトラー"です。

アドルフ・ヒトラー

ヒトラーは、演説が得意だったそうです。
そのため、ヒトラーの情熱的で演説技術を駆使した演説は、聴衆の心を動かすものであり、まさにカリスマ的な存在でした。

その結果、多くの国民がヒトラーに共感・魅了され、1933年にヒトラーはドイツ政府の首相に任命されました。

しかし、問題はここからです。

ヒトラーは、"反ユダヤ主義"を掲げていました。
その目的の1つとしては、「第一次世界大戦で負けたのはユダヤ人のせい」と責任転嫁することで、明確な敵(ユダヤ人)を作り、ドイツ国民を一つにすることにあります。
(「共通の敵を作ることで仲良く」なるみたいなやつです。)

そのため、ヒトラーは「ユダヤ人こそ我々の敵だ、不幸の原因だ」と高い演説技術を駆使して叫び、国民を洗脳していきました。

ヒトラーの演説の様子

その後、ユダヤ人を迫害することを目的として建設されたのが、"アウシュビッツ強制収容所"になります。

2.強制収容所の振り分け

すでにドイツ人から迫害を受けていたユダヤ人は、「新しい生活をする」と言われ、大きい木箱のような列車にユダヤ人を大量に押し込めて、約5日間かけて、アウシュビッツ強制収容所に輸送されました。
(この輸送の時点ですでに何名か亡くなっています。)

貨物列車に乗せられアウシュビッツに送られるユダヤ人

アウシュビッツ強制収容所に着くと、ドイツ人の医者がユダヤ人を"労働に適しているか"というのを基準に人を振り分けます。

そのうち、労働に適していないと判断された約75%(女性、子供、高齢者、障がい者など)は、「今からシャワー室に入って体を洗え」と言われ、そのままダミーのシャワー室に入れられ、毒ガスで殺害されます。

残り25%の健康な男性は、即死は免れることができたものの、そこには超絶過酷な労働が待っていました。

3.過酷な労働環境

健康な男性たちは、即死は免れるたものの、過酷な労働環境で働くことを強いられます。

1日12時間労働は当たり前。
仕事内容も午前中に大きな穴を掘り、午後は午前中に掘った穴を埋めるなど、肉体だけでなく精神をも追い詰めます。

強制労働に従事する囚人たち

朝食は、コーヒーとは呼ばれていたけれどコーヒー豆から抽出したものではない何か濁った黒い液体が50cc。
昼食は、腐りかけの野菜で作った殆ど具のないスープ。
夕食は、スープの他にパンが1個と3gのマーガリン。

当時の食事を再現した模型

ちなみに、成人男性が一日に必要なカロリーは2500キロカロリー前後と言われていますが、実際は、800キロカロリー以下しか与えられていなかったため、直ぐに栄養失調となり、多くの人が餓死しました。

さらに、-20℃に達する極寒なのにも関わらず、防寒具は与えられず、薄着一枚で生活しないといけませんでした。

囚人が来ていた服

このような過酷な環境で、さらに、いつ殺されるかわからない恐怖を抱えたまま終わりの見えない日々を囚人たちは過ごしていました。

⚫︎過酷な環境で生き残ることができた人の共通点

ここまで紹介したように、アウシュビッツ強制収容所に輸送された時点で、生きるも死ぬも地獄な環境が待っています。

アウシュヴィッツ強制収容所に移送した人々の数は、最低でも130万人と推定されており、そのうち110万人が殺害、もしくは自分で死を選びました。

そして、この過酷な環境は、1940年からドイツが第二次世界大戦で負けるまでの約5年間にわたって続きました。

アウシュビッツ強制収容所を生き抜いた有名な人物としては、「夜と霧」の書籍の著書であり、精神科医・心理学者のヴィクトール・フランクルではないでしょうか。

ヴィクトール・フランクル

彼は「夜と霧」の書籍の中で、このような言葉を残しています。

自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。
まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

引用:夜と霧

つまり、過酷な強制収容所での生活を生き延びることができた人は、体力のある若い男性ではなく、自分の生きる意味を理解し、未来に対する長期的な希望を失わなかった人です。
そして、自分のことを待っている人・仕事の存在があると自覚した人間は、"生きる"ということから降りることはできないと言います。

フランクルの場合、「自分がなぜ存在するか?」に対する答えは、「愛する妻が待っているため」や「収容所で経験したことを多くの人に伝えるため」だったそうです。

また他の囚人は、「外国にいる子供に会うため」、「自分が書いている本の執筆がまだ終わっていないため」といった自分のことを待っている存在を自覚した者が生き残ったみたいです。

つまり、どんなに過酷な状況でも、自分のことを待っている存在を自覚することで、その存在が自分に"生きる勇気"と"希望"を与え、それが生きる意味になるということです。

⚫︎私たちの仕事に置き換えて考える

フランクルのアウシュビッツ強制収容所から得た経験は、私たちが普段している仕事にも、置き換えて考えることができると思います。

・何の為に仕事をしていますか?
・何を実現するために生きていますか?
・どのような未来への希望を抱いていますか?

これらの質問に対する回答があなたの"生きる意味"になるでしょう。
この生きる意味が、どんなに辛い仕事や過酷な状況に遭遇しても、それを乗り越える勇気を与えてくれます。

逆にいうと、これらの質問に対する回答がないということは、辛い状況に耐える理由がないということになるので、もし自分が苦しい状況になれば、すぐに挫折して退職や転職を検討するのではないでしょうか。

この令和の時代では、アウシュビッツ強制収容所のような過酷な労働環境で、""を意識しながら働いている人は中々いないと思います。
また、日本は優しく、働かなくても生活保護などで最低限の衣食住は確保できるため、"生きる意味"を自覚していなくても、簡単に生きることができるかもしれません。
(生きる意味を考えたことがある人も少ないのではないでしょうか。)

しかし、この"生きる意味"こそが、自分の人生の目的・使命を自覚させ、自分が進むべき方向を示すと私は考えます。

そして、日本は少子高齢化による労働者不足、終身雇用・年功序列の崩壊、人生100年時代といった様々な問題を抱えています。
そんな先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態の日本を生き抜くためには、誰しもが「あなたの生きる意味は?」に対する答えを用意しておくべきではないでしょうか。

みなさんは、アウシュビッツ強制収容所のような過酷な環境であっても、「生きて帰りたい」と思えるような生きる意味を持っていますか?

最後までご覧いただきありがとうございました。

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