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トランゼクシャルと発達障害を併発するということについて

 こんにちは、発達障害でトランゼクシャルのとまよこ りゃんシーです。
 今回は発達障害とトランゼクシャルを併発している人の生きづらさについて書いてみたいと思います。

ジェンダーと発達障害

「性同一性障害」とか、「性別違和」と言う言葉がありますが、そもそもこの「性」と言うのはいったいどういった意味合いなのでしょうか。
 ひとつは、「ジェンダー」としての性があります。これは例えば「おだやかでにこやか」イコール女性であるとか、ピンクイコール女性であるとかいう「文化」としての性別という意味です。これらについては昨今、猛スピードで見直しがなされていますが、そもそもジェンダーと言う概念がなぜ生まれるかと言うと、いわゆる「適材適所」の「生活の知恵」だったりすることが多いですよね。実際に、女性は家事などのマルチタスクに長けている場合が多いですし、男性は競争が好きだったり、体力もありますから狩りなどの外回りが向いています。そうやって長年の集団生活の中で確立されてきた「生きる工夫」=ジェンダーです。しかし、発達障害にとってこういった「文化」「工夫」「適応」と言うものを理解することが非常に苦手です。発達障害は「理由」がなければ納得できない種族であるため、伝統を重んじることができないという特性があります。そのために「ジェンダー」という枠組みが理解出来ず、「どうして女らしくふるまう必要があるのかな」とか、「どうして男だからってこんなことしなきゃいけないのかな」などと世間の「当たり前」にいちいち疑問を持ってしまい生きづらさを感じやすく、「トランスジェンダー」になりやすい一面を持っています。しかし、トランゼクシャルではない場合は、本人が後々納得すれば適応できる可能性があります。
 逆に、ジェンダーに捉われすぎるという発達障害もいると思います。なぜなら発達障害は、「こだわりが強い」という特性があるからですね。親に教わったジェンダーの概念を大人になっても何の疑問もなく従い続けると言うのもまた発達障害の特性だと思うんです。
 そもそも僕は、「男らしい」男になりたいとか、雄々しくなりたいとか、或いは乱暴になりたいとか思っているわけではありません。男性になりたいし、女性が好きだけど、女性を蔑ろにする男になりたい訳ではないし、男女に区別を作りたくありません。奥ゆかしく柔軟な男になりたいです。そういう意味では、ジェンダー的な違和感はあまり無いんですよね。男になっても、どこか「女々しい」と言われるような(笑)草食系男子(もう、男子って年じゃなくなりましたけど)になりたい。理想なのは専業主夫になりたいです。そういう意味では「女らしさ」を完全に捨てたいわけではないのですよ。

「性自認」と発達障害

 つぎの「性」は、「性自認」の性です。これがいわゆる「トランゼクシャル」と言う事になるのでしょう。
 人間の脳には、「男性脳」と「女性脳」がある。これはどうやら占いなどのオカルティックな話ではなく、医学書にも書かれているため事実のようです。もちろんこの性差もスペクトラムに多様性があり、ほとんど中性的な脳とか、すごく男性的な脳などの差はあるようです。
 この「脳の性別」と言うものは、実は、性染色体によって決定されるわけではないのです。母親の胎内にいる時の胎内の性ホルモンの量で決まることが分かっています。つまり、簡単に言うと、脳が分化していくときに、母親の胎内の男性ホルモンが多いと男性脳に、少ないと女性脳になるわけです。まず、妊娠初期に、お母さんの胎内で性染色体に基づいた性器が分化します。そしてその性器から性ホルモンが放出され、妊娠7週目の脳の分化に影響を与えて脳の性別が決まるのですが、母体のストレスによってそのホルモンバランスが崩れるとトランゼクシャルとして生まれてしまうということが分かっています。
 脳の性別って言うのは誰に教えられなくても本能的に分かるもので、幼児期には自覚が現れるんですよね。ジェンダーがどうであれ、性の自認が自分の中に生まれていくんです。これは、あまり発達障害とかは関係ないと思います。発達障害が鈍いのは己の「感情」であり、性自認はまた別のところにあるような気がします。実際僕も幼稚園の頃には自分の性別に違和感を持っていたように思う。但し僕の場合は父に女性ジェンダーを強く押し付けられていたので、その性自認に蓋をしていた部分はありましたし、今でも自分の性自認と女性ジェンダーへのこだわりの間で苦しむことがあります。このように発達障害は己の性自認とこだわり(ジェンダー)との間で強く苦しむ場合があると思われます。逆に、そのために、ジェンダーレスで「自分らしい」生き方ができず、性別適合におそろしく拘ったり、トランゼクシャルである自分を受け入れることができないといった発達障害特有の悩みを抱えることもあるように思います。この場合、周りはトランゼクシャルを受け入れてくれているのに、当の本人だけが受け入れていないといったケースも出てくると思います。そのために明らかに男性的な考え方をするのになぜか女性扱いされることにこだわるなど、ちくはぐな言動で周囲を困惑させていたように思います。スカートを履くのを嫌がり女子トイレに入るのを嫌がるのに、いざ男子扱いされるとパニックになったりしていました。あとは「マイノリティ(ニューハーフやカントボーイ)になるデメリット」について賢く考えられないため、自分の性自認のことばかり考えて短絡的に性転換したがるということもあると思います。僕も精神科に行ったときまず問われたのがそれで、デメリットを被ってもいいから性転換したいと思う人たちはみんな発達障害なのでは?

恋愛感情と発達障害

「発達障害は恋愛感情に鈍い」と言うのはけっこう知られている話かと思うんですが、実際にそうだと思います。性自認と恋愛感情はまた別物と言うか、発達障害って基本的に異性に興味がないんですよね。そもそも他人に興味がなくて、だから異性とどうこうなろうという気持ちがない…少なくとも僕はそうでした。そして自分の中にも恋愛をするような感情があまり芽生えないため、恋愛をする必要性を感じない。そのためトランゼクシャルでも特に困らないという人もいるのではないでしょうか。ただ、世間はそうではないわけですね。恋愛感情にも鈍く、そのうえ体の性別と脳の性別が違うとなると、もう何を考えてるかさっぱり分からない人という感じがしてしまう。異性としてコミュニケーションを取ることもできず、同性として見るには何かがおかしいということになって、集団から外されてしまうのです。当人としてはなぜハブられてるか分からないので、「コミュニケーション能力に問題があるんじゃないか」とか「学歴のせいじゃないか」とかお門違いな方向に悩むことになります。また、恋愛対象が自分でもハッキリ分からないため、トランゼクシャルであるという決め手に悩む場合もあるかもしれません。

下ネタと発達障害

 ちなみに、脳の性別が違っても性器との連携はあるんですよね。もちろん男性脳でも月経周期によって内分泌の変化などは行われるわけです(生理も来ます)。もちろん性的に興奮することもある。例えば僕なら女性の裸を見ることで濡れるという不思議な現象が起きるわけです。脳って不思議ですね。(ちなみに、鏡に映った自分の体でも欲情します。お手軽!)脳と性器の間の倒錯を脳が補完しているような感じですね。これだけでも矛盾した苦痛を感じる人もいると思います。
 一応今のような話も「下ネタ」という扱いになると思いますが、下ネタというのは非常にデリケートな話題であり、人によって快不快が大きいものです。エロに限らず、グロ、或いは戦争や病気の話など、聞く人に不快感を与える話題と言うものが数多く存在しますが、発達障害は空気が読めないのでそういう話題を平気でしちゃう訳ですね。それか逆に、いつしたら良いのか分からなくて全然しないとか。楽しい話のときに急に死ぬ話をして場を白けさせたりする。本人はその場がどんな感情に支配されているか分からないので、左脳だけで喋ってしまう。だから発達障害は気付いたらセクハラをしてしまったりする。トランゼクシャルの場合、同性に平気でセクハラするという最悪の状態になるわけです。僕も気になる女子に「水着の写真ちょうだい」とか平気で言ってました。今考えると気持ち悪すぎますね。しかも、自分はジェンダーへのこだわりで男性の自覚がないので、「同性なんだから何の問題もない」と本気で思ってる訳ですよ。ある程度僕と接している人なら僕がトランゼクシャルだなという事は薄々分かるわけですから、トランゼクシャルである事をいいことに堂々とセクハラしてくる厚かましい奴と思われて嫌われてました。今はさすがにそんな事は言いませんが…。

 いかがでしたでしょうか。発達障害とトランゼクシャルを併発すると、色々と独特なキャラクターになると思います。子供の頃の僕は「性同一性障害」と言うより、「同性であることを良いことにセクハラを楽しむクズ」と言う感じだったので、嫌われても当然かなと思います。今思えば僕の周囲は僕のトランゼクシャルをかなり受け入れてくれていたと思います。いわゆる「おとこおんないじめ(やーい、おとこおんなー)」と言うのも無かったし(いや、小学生の頃はあったか…)。むしろそれよりも気味の悪さのようなもののほうが大きかったのかもしれません。

 以上、とまよこ りゃんシーでした。

発達障害なりに色々考えて生きてます。応援していただけると嬉しいです。