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(連載小説:第13話) 小さな世界の片隅で。

前回巻末:デイサービスセンターから病院へ戻る歩のシーンから

歩は、杉山さんに声をかけ、軽く会釈をし、スタッフルームを後にした。
デイサービスから病院へ戻る院内の通路で、他部署のリハビリスタッフとすれ違った。

すれ違いざま、今回の人事考課で、鈴川が出世する事が決まったと話をしていた。

後輩が、上司になった瞬間であった。そして、先輩が部下になった瞬間でもあった。

歩は、食堂まで続く長い廊下を、俯き歩きながら、廊下がもっと長く続いてくれと、願っていた。

第13話

(X-6日)
俯き加減で、いつもの食堂に着いた。歩は、いつものラーメンを注文し、食べ始めた。いつものラーメンは、何故か少し苦い、砂の様な味がした。

何とか全部食べ切り、食堂をあとにする。頭の中は、さっきの杉山さんの言葉、鈴川の出世の事でいっぱいだった。

解決されるはずのない問題を頭の中で何度も反芻していた。

お昼の休憩が終わり、午後の業務に入る為、歩は、院内のリハビリ室へ向かう。院内の廊下は、西側の窓から、午後の柔らかい日差しが差していた。歩の目には、その日差しの明るさにフィルターがかけられたように、明度や彩度が落ちて、ぼんやりとしたセピア色にしか感じられなかった。

リハビリルームに着き、パソコン前に座った。カルテをみながら、担当患者さんの状態をチェックする。急変等、特に状態の変わった方は居ない様であった。

病棟へ向かおうと、パソコン前から立ち上がったその時、リハビリルーム内の電話が鳴った。

電話の近くに居たスタッフが電話をとり、程なくして歩が呼ばれた。

”歩さん、デイの杉山さんから、お電話です。”

”ありがとう…。”

歩は、電話を替わる。

”はい、お電話変わりました、歩ですが…。”

”歩君?午前中に行ってた、面談だけど、15時に4階の会議室でやるから。”

”それだけ。”

冷たく言うと、杉山さんは、一方的にガチャっと電話を切った。

”…。”

切れた後少し遅れて、歩も、ガチャっと、受話器を戻した。

”はぁ…。”
少しため息をついた後、N95、アイガード等を装着し、病棟へ向かった。

担当の石野さんの病室に入る。

”こんにちは、石野さん。リハビリお願いします。”

”…。”

石野さんから返事はない。

歩は、軽く会釈をすると、マッサージや、ストレッチ、可動域訓練で、石野さんの身体をほぐし、動かしていく。

しばらくすると、山野が病室に入ってきた。

”ざぁす。失礼します。”

”米山さん、今日、鈴川がお休みですので、変わりに来ました、山野です。リハビリお願いします。”

”…。”

山野は、同室の隣の米山さんのリハビリに入った。

しばらくすると、

”歩さん…?います?”

リハビリを続けながら、病室のカーテン越しに、山野が歩に声をかけた。

”居るよ…。”

”…。”

”居た方がいい?”

”居た方がいいっすよ。”

”居ついてやろうか?牢名主みたいに…。”

”もうなってますよ。歩さん。名主感、もっと出した方がいいっすよ。”

”もっと髭とか蓄えて、重厚かつ老獪な感じで…、時に陰湿に…、”

”大丈夫、髭以外は、もうなってるから…。”

”じゃあ、後は、髭と、牢に入るだけっすね。”

”大丈夫、牢には、もう入ってるみたいなもんだから。あとは髭だけ…。”

”…。”

”あとは、髭だけ…。”

”歩さん、何というか…、その辺にしときましょうか。”

あけすけな性格の山野と、(つとめて)いつもの様に冗談交じりに話をする。

ほんの少し、気持ちが安らいだ気がした。

”歩さん、実は俺、今月いっぱいで会社辞める事にしましたんで。”

”色々お世話になりました。”

山野が、そう告げると、間仕切りのカーテンがフワッと少し揺れた。

”そうなんだ…。”

”でも、急だね。どうしたの?”

”俺、前から付き合ってる人が居て…、結婚するかもしれないんですよ。”

”はぁ…”

”子供産むかどうかはまだ分からないんですけど、生んで育てる事になったら、ここの給料じゃ、この先、ちょっと厳しいかなって。前々から思ってて、次の所、色々さがしてたんですよ。”

”あと、歩さんも、もうどっかで聞いたと思いますが、鈴川が上に上がったみたいじゃないですか。俺も前から、薄々、そんな気がしてて。”

”上には、もう上がれないし。それでも、毎年、ちゃんと昇給できればいいんですけど、それも微々たるもんじゃないですか。”

”それで…、色々考えて、辞めさせてもらう事にしました。次の所ももう決まったんで。”

”考えてみたら俺、このリハビリ職以外の仕事やったことなくて。”

”これを機会に、他の仕事もやってみようと思ったんすよ。”

”会社に依存するんじゃなくて、自分で稼ぐみたいな経験をしたいな。と。”

”って言っても、最初から始める勇気は無いから、まずは、副業を認めてくれる所で、本業をしながら、空いた時間で、何か新しい事にチャレンジしてみようかなと。”

”副業ねぇ…。新しい事?”

”俺、ネットとか、web関連の勉強、ちょっと前から勉強してて、それ関連の仕事を通して何かできればなと。”

”ものになるかどうかは分かんないすけどね。最初は、アルバイトみたいな感じで仕事をもらいながら細々とやってこうと思ってます。給料+αで稼ぎ口を増やそうかなと。”

”いずれ、フリーになれたら、いいんですけど。なれなかったら、それはそれで。割り切ってアルバイト続けてこうと思います。あくまで給料+αが目的なんで。”

”バイタリティあるねぇ、山野君は…。”

”ざぁす。歩さんは、どうなんすか?不満とかないんすか?あんま聞いたことないすけど。”

”不満ねぇ…。ないことは、無いよ。言わないだけだよ…。いったってどうにもならない事もあるしさ、愚痴になっちゃうでしょ…?愚痴はあんま言いたくないからさ。”

”狭い中で、話に色々、尾ひれもつくだろうし、無い話に盛られちゃう事もあるでしょ?”

”あと…、なんだろ、自分がこうありたいっていう姿と、周りのこうであってほしいっていう姿?…、ちょっと違う…そんな大層なもんじゃないけど…、えっと…、何だろ…、この人は、こういう人だっていう姿があるじゃん。もしくは、そう思われているんだろうなっていう感覚があるでしょ?”

”なんと言うか…、それを、守りたくなってしまうんだよね。自分の感情にまかせた愚痴みたいので、それを壊したくないんだよ。”

”自分の腹の中に納めておけば、それで済む事だから。なにかあっても、そこで止まるでしょ。”

”っていっても、人間だから、漏れ出てしまっている事はあると思うんだけどね。”

”たしかに、たまに、成分として、会話にしみ出してる時ありますよ…。歩さん。”

”その辺が、僕の、情けない所だよ…。”

”でも、その辺は、意識している所かな。僕の個人的なエゴだけど。”

”そうっすかぁ…。”

”…。”

”でも、俺、歩さんのそういう所、好きですよ。”

”俺には、出来ないですけど。”

”気に入らない事とかあったら、すぐ、ダイレクトに言っちゃいますもん、俺。”

”でも、それが、山野君のいい所なんだって。”

”それに、山野君だって、違う所で、同じ様な事(我慢?守る事?)をしてるはずだよ。じゃなきゃ共感しないし、出来ないって。”

(少なくとも、僕は、山野君が苦労してきた所、沢山見てきてるから、分かるよ。)

あえて、言葉には、出さなかったけど、そう言ってやりたかった。

”…。”

”そうなんすかね。あんま考えたこと無かったっすけど。”

”…。”

”でも、歩さんも、たまには、強気に出てもいいと思いますよ。守りたい何かとか、さっき言ってましたけど、形を変えて、そこを揺さぶってくる人とか、絶対いますからね。世の中、そう、綺麗にできてないですから。”

”守りたいものがあるんだったら、なおさら。”

”そうだね…。気を付けるよ。ありがとう。”

”そうかぁ、じゃあ、山野君が将来、ホリエモンみたいになる様、応援してるよ。”

”ヤマノモンかね。”

”…。”

”語呂わりぃっすね。”

”あと、ヤマノモンって山賊っすか?”

”山賊だね。髭が必要だよ。”

”後は、髭だけ…っすか?”

”後は髭だけ…。”

”フハハハ”

軽く2人で笑った。

こんな会話をした覚えがあるが、ほとんど記憶がない。目の前の嫌な事にとらわれすぎて、当時は、見えていなかったかもしれない。山野も僕を気遣ってくれていた…。

リハビリを終えると、

”ありがとうございました。失礼します。”と石野さん、山野にいい、部屋を出た。

もう一人、別の患者さんのリハビリに入り、終えた所で、時刻は、面談の15時の10分前だった。

歩は、覚悟を決めた。これから先は、予測不能な未来になるだろう。
杉山さんと、科長の待つ、4階の会議室へゆっくり向かう。
廊下や階段の窓から差し込む西日が、白色~オレンジ色に変化し始め、柔らかく院内の床や、壁を照らしていた。

歩は、その暖かさや、色を感じる事の出来る感覚が戻っていた事に気づいた。

廊下を歩く、歩の足元には、いつものように、肩を落とした少し情けない歩の影が寄り添っていた。

淡いオレンジ色の中をゆらめくように歩く、その情けない影は、しかし、いい情けなさをしていた。
(次号へ続く)

※本日もお疲れ様でした。
社会の片隅から。徒歩より。

第12話。

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