【小説】帰れない大人
「次は、新宿。お出口は右側です。」
車内アナウンスは、イヤホン越しに微かに聞こえる。車輪と線路が擦れる静けさの中で、僕はカフカの『変身』を読んでいた。昼下がりの日差しが、ビルの隙間から本の文字の空白を白飛びさせ、文字が浮かんで見えるようだった。
僕はイヤホンをつけると落ち着く。それもノイズキャンセリング機能が付いていると尚良い。なぜかと言えば、僕が大嫌いな人間臭さは、目でも鼻でもなく、一番耳から臭うからだ。逆に言えば、耳を塞いで仕舞えば目に映るのは人形劇であり、糸で操られた人形がパクパクと口を開け閉めするに過ぎない。ただイヤホンを外してしまったら、途端に人間臭くなる。人が吐く息も、口から出る言葉も、街の道路も、至る所に悪臭が漂ってしまう。そしてそのまま家に帰ってしまうと、家が暫く人間臭くなるのだ。
僕はいつもそう考えながら電車で本を読んでいるが、30ページも読み進める頃には電車は既に代々木に到着していた。電車はそのまま千駄ヶ谷、信濃町、四ツ谷、市ヶ谷を抜け、僕は飯田橋駅に降りた。飯田橋駅の改札へ行くために、不細工な歩道橋を登り駅を出ると、僕は神楽坂の方へ歩いて行った。お堀は何時に無く緑濁し、水に浮かぶ白いボートは自分の意志でそうしたとしか思えないくらいその鏡像を表さない。牛込橋を渡り、裏路地を進み、錆びた映画館に入った。
人の出入りがない建物は直ぐに壊れてしまう。僕が6歳にも満たない頃、母と兄に手を引かれ水戸駅近くの昔ながらの映画館に行った時、ふとそう思った。前売り券を受付に渡して、映画限定のグッズを片手にポプコーンと炭酸飲料を買って、両手一杯な状態で重たいドアを体を押し付けて開けるのが好きだった。年季の入った椅子にもたれ掛かると柔らかすぎて沼に沈んでいくような感触、上映中でさえカタカタと鳴らすがどこか心地の良い投影機の音色が好きだった。映画が始まると、一切の感情を登場人物へ移さなかったが、僕は僕自身のまま映画の中に永遠に存在していた。映画を見ることは、映画に住むことだと、今更ながら思う。だから、エンドロールは現実への帰り道だ。それがなければ、きっと誰も帰れないし、映画館を出た後の切な過ぎる夕焼け空が人を大人にするんだ。
僕は映画館を出た。辺りはすっかり真っ暗になっていて、夜に浮き上がる白い息が人間臭い気がした。
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