おばあちゃんのけん玉

大事にしていたけん玉。

よく遊んだけん玉。

おばあちゃんからもらったけん玉。

「どこにやっただろう」

6年生になったなった今、ふと思い出した。幼稚園の頃は毎日遊んでいた。

「1年生の時まで記憶はあるんだけどなぁ…」

小学生になった時に大好きだったおばあちゃんが亡くなった。悲しい記憶と共に、けん玉もどこかにいってしまった。

「でも、今さらけん玉見つけてもな~」と、言いつつやはり気になり探し始めた。

「う~ん、どこにやったかなぁ…まったく憶えてないや」

自分の部屋、倉庫、昔のおばあちゃんの部屋。どこを探しても見つからない。

「あーもういいや、やめた」諦めて外へ遊びに行った。

でも、こういう日に限ってやたらけん玉を見かけた。けん玉遊びをしている小さな女の子。けん玉が並んで売っているお店。けん玉の話をしている人たち。

(なんだろう、けん玉のことが頭から離れない)

帰ってからまた探したけどやはり見つからない。

(けん玉、けん玉って今日はどうしたんだ)

「まぁいいや、もう寝よう」

その日は夢を見た。小さな男の子がけん玉で遊んでいる。

(だれだ…)隣におばあちゃんが座っていた。

(あれは…俺か)楽しそうに笑ってけん玉遊びをしているのは昔の自分だった。

(あれ…今度は)おばあちゃんのお葬式の時。

(あの時は…泣いたっけ)

「おばあちゃん…」

夢から覚めて、枕元にはけん玉があった。

「そっか…悲しさと共に忘れていたんだ」

今日はおばあちゃんの命日だった。

「おばあちゃんが届けてくれたのか…ありがとう」

振り向くと微笑んでいるおばあちゃんの顔を見た気がした。

                                                                                       (了)


読んでいただきありがとうございました。

学生時代、児童文学研究会に慣れてきた頃の作品だった記憶があります。

当時、私の代の部長が「子供が読んでもわかるように」を合言葉に何度も言っていました。

難しい辻褄合わせはほとんど考えず、当時は流れるままに書いたように感じます。

しかし、大人になった今でも面白い児童文学とは?そもそも児童文学の定義とは?

ここの部分が難しく、縛られて、悩んで、どのジャンルを編集、改訂してもいまいち自分が物書きしている実感がありません。

物書きのプロでもなんでもないので、自由にやればいいと思えば楽ですが。。

しかし、noteに上げてみると、好みの作品が自分にはあるよう?に感じてきました。

やはり、過去に書いた作品を一度全部noteに上げてみて、そこからまたなにか見つかると良いな、と今は思っています。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?