こだわりのタイム ~風より速く リライズ~
※前回より続きです。気軽にお付き合いください。
(ようやく、ようやくここまで来た)
去年の冬に交通事故に遭ってから、都大会決勝戦まで残れるとは思いもしなかった。右足をテーピングで固めたが、歩くたびに感覚がなくなってきている。
(……お願い。最後の、このレースだけは持って。私の右足)
願いを駆けるように右膝に額をくっつける。
「……呆れた。まだやるつもり」
「無理しないほうが良いんじゃなぁい? 今後、走れなくなるよ」
二聖堂と火浦の顔は見ずに私は言い返す。
「話しかけてきてずいぶん余裕ね、あんたたち。これから決勝だってのに。そんなに怪我した私に負けるのが怖いの」
そして左右を見渡す。火浦と二聖堂。去年からずっと追いかけてきた好敵手。決勝戦。最後の8人で1番になれば優勝だが、私はそこにはこだわらない。
「……ふん」
「あ、そ。相変わらずの減らず口。なら、二度と追って来れないよう、ここで叩き潰してやる!」
それだけ言うと自分のレーンに向かっていった。
「お~、怖いねー。さすがに都大会決勝だとピリつき感が半端ないねぇー」
進藤晴夏。潜在能力はおそらく1番。準決勝では驚かされたが、それも今は関係ない。
「あなたも今は敵同士。話しかけないで」
スッと一瞥をくれる。
「……はいはい」
勝負師の目になっている彼女もまた自分のレーンに向かう。
「ただいまより女子100㍍競争決勝です。準決勝を勝ち上がった8名をご紹介します。第2レーン…………」
場内アナウンスで決勝まで残ったメンバーが淡々と紹介される。
「第9レーン、出木志保さん、石館中学」
最後に私の名前が呼ばれ、軽く手を挙げて一礼する。
「志保ーー!! 頑張れーーー!!!」
友達の声援が私に届く。
「セット」
スターティングブロックに足を掛けてクラウチングスタートのポーズをとる。
バァン!!!
ピストルの音と共に一斉スタート。20~30㍍までは上体を低く、残りはそこから一気に駆け抜ける。余計なことは考えない。
(……ッ!!)
40㍍までライバルたちに食らいつく。しかし、都大会の決勝戦となれば周りが速いのは当然。ここからが勝負だが、右足の感覚がない。私の得意な爆発力が出ず、ジリジリと離される。
(……速い!! でも、あきらめるな!!!)
腕を振り、上体を上げていく。風の音が後ろから聴こえる。風より速く私は走る。前の人は着々とゴール。遅れて最後に私もゴール。
(ハァ……ハァ……ハァ……)
息があがる。振り返り、走ってきたレーンに頭を下げる。
(ありがとう……。今日まで……。本当に)
電光掲示板を見る。
(タイムは。……私の、私の、こだわりのタイム)
電光掲示板に名前とタイムが表示される。タイムは13秒01。目を瞑り天を仰ぐ。
(……ハハッ。とうとう最後まで13秒は切れなかったか)
そう思った途端。
(……なんだ。……右足が、右肩が、右の小指も)
怪我をした所が急に疼きだす。
(そっか。……完全に治っていなかったか。でも、もういい。もういいんだ。これでようやく休める)
ずっと緊張していたため、走り終えた安堵からか、体がまたおかしくなったようだ。ふと二聖堂と目が合った。
「……早く治しなさい。……その足」
それだけ言い残すと去って行った。更に火浦と目が合う。
「志保。これじゃあ、私はつまんない。私は納得しない。だから……」
火浦がニッと笑ってつづく。
「高校で今度こそ勝負! それまで、陸上辞めんじゃないよ!!」
最初に出会った時のような屈託のない笑顔で言われ、火浦とも別れた。
(完敗だ……)
それまでは憎っくき好敵手だと思っていたが、最後の最後で2人に気遣われた。ゆっくり決勝の舞台から離れていくと最後に。
「出木さん! また、会おうね!」
進藤さんがいつもの笑顔で握手を求める。
「……うん」
私は右手が動かないので、進藤さんの右手の握手を左手で握る。
「またね」
精一杯の笑顔で進藤さんとも別れた。電光掲示板を再度見やる。1着火浦。11秒90。2着二聖堂。12秒00。3着進藤さん。12秒01。全中でもトップになれそうな相手が、この都内に3人もいた。他の選手も全員12秒台。私だけ13秒台。いや、怪我さえしなければ私だって。
(……仕方ない。出場できるかもわからなかったんだ)
そう言い聞かせて、仲間の元へと戻る。何度も何度も、しょうがないじゃないかと言い聞かせて。
「あっ……」
「……志保先輩」
部員全員で出迎えてくれた。しかし、私を含めて何を話せば良いのか、みんなわからない。静かな間が、少しの時間流れる。
「お姉ちゃん」
ふと部員と違う声が聞こえた。
「……絵美?」
なぜか妹の絵美がそこにいた。
「お姉ちゃん。3年間お疲れ様! 凄いね、私のお姉ちゃんって! こんなにみんなに慕われてさ」
私の応援に来てくれていたようだ。
「志保」
少し視線をずらす。
「お母さん。お父さんも」
どうやら家族全員で私の最後の大会を見に来ていたようだ。
「志保。その体で、今日までよく頑張ったわね」
「都大会8位。……立派じゃないか」
家族の優しい眼差しが、疲れ切った私の心と体に突き刺さった。
「あっ……。あぁ……。う……うぅ……」
ありがとうと言いたいが、その言葉が出ない。代わりに体が熱くなり、目頭も霞んできた。お母さんに抱きつき、人目もはばからず私は泣く。
「あぁぁぁーー!! うぁぁーーーん!!!」
悔しい。悔しい。どんなに自分を偽っても、どんなに事故のせいにしても、やり切れなかった。私は、私のライバルを、私のこだわりのタイムをとうとう超えることは出来なかった。優しく包んでくれるお母さん。私は、ずっとずっと、泣いていた。
続く
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