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シリーズ かくれ念仏

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#歴史

【連載】かくれ念仏/No.19~大口の一向一揆~

【連載】かくれ念仏/No.19~大口の一向一揆~

●大口の一向一揆

九州は全国平均に比較して、一揆のような農民の騒擾は少ないという。
鹿児島純心女子短期大学教授で尚古集成館館長、鹿児島県立図書館館長などを勤めた芳即正先生の研究によると、〝薩藩における抵抗運動〟は「愁訴嘆願、不確かなものまで含めて19件、薩摩国5件、大隅国11件 (ほとんど奄美諸島)、日向国3件」でいずれも江戸期のものだという。しかし、この数は、最低これだけは確証があるというだけ

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【連載】かくれ念仏/No.12~鹿児島の真宗民語その4~

【連載】かくれ念仏/No.12~鹿児島の真宗民語その4~

仏壇・本尊のさまざまな様式

かくれ門徒は公に仏壇を設けられないので、本尊をいたるとろに隠して拝んだ。

神棚を装った仏壇(都城歴史資料館蔵)、一見ただのタンスに見えるが、上部を開くと仏壇になっている「タンス式仏壇」(真宗大谷派鹿児島別院大谷会館蔵)。

講から講へ本尊を移す際に魚売りの行商にふりをして使用した「お運び魚籠」(光徳寺蔵・大谷会館にて展示)。

番傘のように模った木箱の中に巻いた掛け

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【連載】かくれ念仏/No.6~谷山の食い逃げ~

【連載】かくれ念仏/No.6~谷山の食い逃げ~

谷山の食い逃げ

2017年、縁あって、鹿屋市花岡の或る古老に郷土史にまつわるお話を伺った。

氏の出自は、大川内という御家であり、古くは熊本の細川家の家臣であった。島津貴久が人吉を攻めた折、細川は、豪傑で知られる大川内一門約1000人を人吉に遣わした。これに対し貴久は、大川内の島津方への引き抜きを企む。これは大川内にしてみれば、一家の命運をかけた選択を迫られたわけで、喧喧囂囂あったが、ほとんどが

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【連載】かくれ念仏/No.7~甑島の一字一石経~

【連載】かくれ念仏/No.7~甑島の一字一石経~

甑島の一字一石経

愛川欽也がナレーションを務める、鹿児島県庁フィルム『太陽の旅(9)伝説の島〝甑島〟』によると、鹿児島県薩摩川内市甑島では、海岸沿いに真宗の聖教の一文字一文字が写経された小石が落ちているという。

映像を見てみると、どうやら正信偈を書いているようで、この石を勤行や説教に用い、法座が終わると、石を裏返して隠したという。

これは、史学的に分類すれば、「一字一石経」というものになる。

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