自分の言葉6〜全員、神〜
“私の心(お金を礼拝することによる他人への見下しと踏みつけのエゴ)は、神の言葉が疼きながら、それを隠そうとすることで、神の言葉が粛々と唱える無償の愛に基づかない歯がゆい自己肯定「私はこれでいいはずだ」をせざるを得なかった。自己肯定などというものは本来必要ない。神による肯定さえあれば、自己肯定感を高めるための練習などは必要なくなるのだ。なぜならば、神は全てであり、その全てに包まれていることを知った者は自らで自らを掲げる必要などなくなるのだから。ただ自己肯定という作業を通じて、自