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自分の言葉11〜幻にメスを入れる〜

“神は敵という概念よりも強い。神は私たち一人一人の「概念ではない味方」である。神は私たちを目に見える形で救いによる解放へと導かれる。そして解放された私たちは神の助けを拠り所として次のように心の中で唱えるのだ。「敵はいなかった。それは幻であり、現実には味方しかいなかったんだ」と。
  概念は人を幻に閉じ込める。実際概念は目に映らない。目に写っているのは、現実世界しかない。私たちは、その現実世界を概念という色眼鏡を通して見ているにすぎない。故に、私たちは現実世界を見ているのではなく、脳で作り出した幻を見ているのである。脳が悪い訳ではない。脳が本領を発揮するのは、いや、人間の体が本領を発揮するのは、幻の世界ではなく現実世界なのだということである。現実の只中に神がいる。神と呼ぶしかない偉大な存在が佇んでいる。この際だからはっきり言おう。キリストはキリスト者だけが経験するものではなく、全ての生命が所有している大いなる生命である。この際だからはっきり言おう。キリスト者だけが天国に行くのではない。私たちは全員既に天国にいるのである。キリスト者であろうとなかろうと、そのことに気づいていないならば、天国に「行く」ことなどできない。天国にいるにもかかわらず、天国に行きたいというのはおかしな話である。キリスト者であって、かつ、天国にいると気づいたものこそが真のキリスト者である。仏教徒であり、かつ、浄土にいると気づいた者が真の仏教徒である。キリスト者が上で仏教徒が下ということも、その逆もなく、全ての人間はどんな枠組みにも囚われることなく、幻が破れたその隙間から溢れる光の国・天国に、動かなくても座すことができる。”

「敵はいなかった。それは幻であり、現実には味方しかいなかったんだ」という言葉に対しては、自分が書いた文章であっても抵抗を覚えてしまいます。

統一教会全体は私にとっては悪です。でも、統一教会で出会った人間1人1人は、純粋に世界平和を望んでいるだけの人でした。文鮮明もはっきり言ってしまえば、何かの呪いにかかってしまった可哀想な人間の1人です。

社会、世界には罪はあります。

しかし、こと私の人生には正直言って罪は入り込みませんでした。

もし罪が存在したとすれば、それは私自身の罪のみであり、私の無知によって生まれた私自身のエラーです。脳の誤作動のようなものです。

概念と呼ばれる社会的な考え・世界的な考え・常識と呼ばれる考えが、私たちを圧迫します。それに沿って生きた方が楽な人は簡単にその敷かれたレールに乗って生きていけるでしょう。罪悪感もほとんど感じることなく進んで行くことができるでしょう。

しかし、そんな人間などこの世にはほとんどいないのではないでしょうか。みんな何かしらの概念によって自分の脳が支配されていて、それに抗おうとしたり、無理に沿って生きようとしたりして、脳がフリーズして誤作動が起きるのです。そして罪と呼ばれるものが生まれてしまいます。

それでは、概念が作った幻にメスを入れるためにはどうするべきか。それは偽らないで生きるということです。偽らないで生きるということは真実を携えて生きるということです。

全ての行動を完全に偽らないで生きることなどは最初からはできませんので、最初は確実に真実なものを1つだけでいいので携えたいものです。

私にとって真実なもの。

全ての概念を取り払って、罪悪感もなく不安もない。

そういう精神状態の時にしか見えない真実。

それは、愛です。

条件付きの愛ではありません。それは執着と呼ばれるもので、愛とは真逆の概念です。

私が言う愛とは、ただ佇むものです。

ただ存在しているものです。

森であり、木であり、空であり、花です。

そして、私自身であり、私の家族であり、私の家です。

私の目に映る全てが愛です。

全ての存在は何かのために存在しています。それがたとえ罪人と呼ばれる人であっても、本来はその人が罪を犯すまでその人は罪人ではありません。ただ存在しているときに、ただ佇んでいるときに罪を犯すことは誰にもできません。

故に、佇んでいる全ての存在は、たとえ1秒前まで罪を犯していたとしても、1秒後に罪を犯すとしても、脳と体が静止した瞬間は愛そのものなのです。生きているにも関わらず静止という形で死を表現した瞬間、その人は愛そのものになります。

キリスト教も仏教も、愛を語っています。
イエスもブッダも愛を語っています。

文章としては、言葉としては、2つの宗教は全然違うことを言っているように感じさせるかもしれませんが、言語コミュニケーションではなく、非言語コミュニケーションまで範囲を広げた場合、どの宗教も背後に隠された愛を語っています。

私にとってのキリスト教は「動いていいんだよ」という愛であり、私にとっての仏教は「動かなくていいんだよ」という愛です。

両方とも大切なメッセージです。

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