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自分の言葉13〜天の座〜

“天の座は、この世の権力という〈全てのものが自分の思い通りに進めることができる力を持つことができるという意味の最高位〉を表すものではなく、神が既に無償の愛をもってこの世の全てを包み込むことができる立場に座っていらっしゃり、包み込んでいるという事実を表現している。神の人間に対する無償の愛を表すその座には既に栄光があり、神のみがその座に座ることができるので、神に〝既に〟栄光が在る。
 天の座には神がいる。そこには神しかいない。神しかいることができない。どんなにこの世の権力者が足掻いたところで、その座に座ることができるのは神のみである。なぜならば、この世の権力は愛ではなく、神の愛が権力なのであり、神の愛=神なのだから。天には、神の無償の愛のみが存在できるのであり、無償の愛しか存在し得ない。”

天の座とは具体的にはどこにあるのでしょうか。それは人々の心の中にあります。

心の平穏こそが神の無償の愛そのものなのです。

どんなに力を持った支配者でも、真の栄光を知るためには平穏な心を持つ必要があります。

神というと、どうしても、すごい力を持った全知全能の人格神みたいなものを想像してしまうことが多いかもしれませんが、

神とは無償の愛のことであり、平穏のことです。

何だそれだけかと思う方もいるかもしれませんが、それを手に入れる、というか、平穏に気づくことのなんと難しいことかと思うほどに難しいです。

天の座と聞くと、最高位、つまり最も高い位置と思ってしまうでしょうが、天の座とは今この瞬間皆さんと共にあります。

むしろ、天の座という愛がなかったら、私たちは日々生きていくことができません。私たちは全員愛に包まれているから、生きることができているのです。

“   ”の中の文章やそれ以下の文章を生み出すときはいつも、天から降ってきて生み出されていますので、私にとっては一時的な悟りのようなものです。

私は悟っていませんが、文章を生み出すときだけ、一時的に悟っています。一時的に気づいています。凡人なので、書いたらすぐに悟っていない状態に戻ります。人間的な欲求に支配されます。

(一時的に悟っていると書いていますが、だからと言って私の考えがみなさんにとって完璧であるということを言いたいのではなく、私にとって完璧であるということです。)

でも、私はそういう自分もまた、天の座にいます愛に受け入れられているのだな〜と思い、楽になります。

仕事をしてクタクタで帰ってきて、「自分の言葉」に戻って天の座の愛に包まれて眠って、次の日仕事に行く。その繰り返しです。

できれば、毎日noteを更新したいですが、週に1回できれば万々歳で自分を許します。

今日も許しの中で記事を書くことができました。神様、皆様、ありがとうございました。

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