A little lamb

Praise the Lord! He is my strength.

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最近の記事

祈る

先日、Youtube GFP福音配信チャンネルの尼川匡志先生のこちらの動画が、私にとってずーーーっと理解の難しかったみことばを解らせてくださったことを記したいと思います。 https://youtu.be/hBYwLvcGF2w?si=aOaWgVvKdCFIhSZ4 私にとって難しかったみことばはこちら。 マルコによる福音書11章24節 ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 **

    • イエス・キリストの復活が与えたインパクト

      イエス・キリストは十字架にかけられ命を落とした後、3日目によみがえられ、ご自分の弟子たちやその他500人以上の人々の前に姿をあらわし、食事を共にし、励まし、40日後に、皆に約束を残し天にのぼったと新訳聖書にあります。 現代人の私たちにはにわかに信じがたく、聖書を伝説や物語と印象づけてしまう原因となる逸話のひとつかと思います。 現に、イエスと共に過ごした弟子の一人も、イエスの復活を信じられず、イエス自身に「槍でつかれた脇腹の穴に指を入れさせてください」と頼んでいます(もちろ

      • 今日はグッド・フライデー

        イースター前の金曜日をグッドフライデーと欧米では呼んでいます。日本語では聖金曜日と呼ぶようです。 イエス・キリストが十字架にかけられたのは金曜日でした。十字架にかけられる前、鉄の鋲や鉤針のついた鞭で何十回も打たれ、それは骨や内臓まで見えるほどだったといいます。頭には太く硬い棘のついた茨の冠を被せられました。そして頭を何度も撃たれ、茨の棘はそのたびに頭に深く突き刺さったでしょう。 十字架刑は当時ヨーロッパを牛耳っていたローマ人の間で、異国人の罪人に対してのみ行われていた最も重

        • 私たちのもつ世界観

          気持ちに寄り添ってくれる温かく明快なメッセージで、そのお人柄を伺える経堂キリスト集会 三綿直人牧師先生。ご経歴を拝見すると外資系でバリバリのキャリアを積まれたビジネスマン。きっと英語もご堪能ではないかと拝察します。 プロテスタントの牧師先生は、ビジネスやアカデミックの分野で活躍されていた方が多いですね。 三綿先生のyoutube動画から学んだことを、自分への覚書きとして記しておきたいと思いました。 三綿先生の動画はこちらから。 GFP福音配信チャンネル 私にダイレクトに

          聖書に書かれていること

          聖書は66巻から成る書物です。この66巻は、前半39巻を「旧約聖書」、後半27巻を「新約聖書」と呼びます。 旧約聖書は、イエス・キリストが生まれる1500年前〜500年前(紀元前15世紀〜)に書かれたもので、ユダヤ教の聖典として、ユダヤ教の預言者たち、今では彫刻像で知られているダビデや、智慧の王と言われたソロモンを含め数多くの著者たちによって各書簡が記されました。ユダヤ教のなかで後に生まれるイエス・キリストももちろんこの旧約聖書を読んでいましたよ(そう、私たちはイエスが読ん

          聖書に書かれていること

          あなたは愛されている

          あなたは愛されています。 慰めるための気休めで言っているわけではないですよ。 これは事実です。 さあ。 あなたはなんの為に生きていますか? なんのために産まれましたか? なぜいまこうして生きているのでしょう? 答えられる方は、素晴らしいです。 以前、私は答えられませんでした。 聖書に出会うまで。 なぜ、この本が必要なの? なぜ、この服を買いたいの? には即答できるのに、なぜ私がこの世に必要なの?には答えられませんでした。 なぜなら「なんの為に生きているのか」「なぜ

          あなたは愛されている

          偶像について

          偶像を、英語ではアイドルといいます。アイドル歌手のアイドルと同じ言葉です。崇拝物、実像のない誤った認識、邪神物といった意味があります。 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教では偶像礼拝を禁止しているのはよく知られていますね。 なぜか、カトリックの教会には、キリスト像やマリア像、聖人と言われる人たちの像が溢れていますが、本来は聖書で禁じられている偶像礼拝の一例かと思います。カトリック教会の十字架にはイエス・キリストが掲げられていますね。一方、プロテスタント教会の十字架は、キリス

          偶像について

          人を恐れてしまうあなたへ

          この世は、残念なことに相対評価がメジャーな評価基準になっていますね。学校でも職場でも、他者と比較していかに優れているかを問われます。なぜなら相対評価のほうが客観的なデータに落としやすいからです。評価するのは人であり、人の主観による評価であるのに、なんとも皮肉ではないですか? そして絶対評価にならないのは、世の中すべての組織に予算という枠組みがあるからですね。企業が社員たちに給与として割振れる総額が決まっていますから。 そして、相対評価されながら生きてきた私たちは、自ずとこう

          人を恐れてしまうあなたへ

          善悪について

          この世の中は、2種類の人間がいると思う。 ①損得の価値基準で生きている人 ②善悪の価値基準で生きている人 人は同じ価値観を持つ同士で群れる。 ①と②同士は、価値観が合わないゆえに相容れないだろう。 ①の世界で生きている人たちの人生観は、成功か失敗か、優劣か、喰うか喰われるか。損か得か。もしかしたら、人から受ける優しささえ、見返りや、なぜこの人はこんなに優しくするのか、と邪推する思考癖さえあるかもしれない。この世に本物の優しさがあることに気づけないかもしれない。優しさ=弱

          善悪について

          言葉の大切さ

          聖書の福音書によれば、この世の始めから言葉があった。いやむしろ、この世よりも前に、言葉が先にあった。なぜなら、神は言葉によってこの地上と宇宙を造られたと聖書にあるからだ。「光、あれ」これが、聖書にある神が発した最初の言葉だ。創世記第一章一節。聖書の1ページ目、1行目。神は言葉であり、言葉は神だった。 その後、神が私たちのために、この地上に送ってくださった神のひとり子であるイエスキリストは、幾度も言葉の大切さを教えてくれた。 パンを食べるときに手を洗わなかった人がいる、と告

          言葉の大切さ

          心はどこにあるか

          敬愛する牧師先生のおひとり、大阪にある東住吉集会を牧会されている高原剛一郎先生のブログや動画は、私にとってよい学び、よいリマインダーになっています。今日、高原先生のブログのなかにこんなメッセージをみつけたのでシェアさせてください。 ********** (一部抜粋) 『どんな人の働きも、その人の内面生活以上にはなりません。内面が肉的だと、その働きも肉的なものに落ちていきます。内面が世俗的だと、その働きも世俗の匂いがプンプンします。 内面が貧弱であれば働きの実も貧しいです

          心はどこにあるか