言葉の大切さ

聖書の福音書によれば、この世の始めから言葉があった。いやむしろ、この世よりも前に、言葉が先にあった。なぜなら、神は言葉によってこの地上と宇宙を造られたと聖書にあるからだ。「光、あれ」これが、聖書にある神が発した最初の言葉だ。創世記第一章一節。聖書の1ページ目、1行目。神は言葉であり、言葉は神だった。

その後、神が私たちのために、この地上に送ってくださった神のひとり子であるイエスキリストは、幾度も言葉の大切さを教えてくれた。

パンを食べるときに手を洗わなかった人がいる、と告げ口をしたパリサイ人たちに、イエスキリストはこう言う(ちなみに、パリサイ人というのは、ルールを守ることだけを尊重し、なぜそのルールが必要なのかというところまで考えがゆかず、心が伴っていないルールありきの人たちのことである)。

「口に入る物はみな、腹に入り、排泄されて外に出されることが分からないのですか。しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。
悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしりは、心から出て来るからです。これらのものが人を汚します。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません」
マタイの福音書 15章 17〜20節

心で思う以上のことは、口から出てこない。そして一度発した言葉を取り戻すこともできない。言葉は人を呪うことも、人を祝福することもできる。人を幸せにすることも不幸にすることもできる。言葉は武器と言うけれど、まさにその通り。そして、自分が発した言葉を最初に聴くのは自分自身である。一番近くで。

言葉は、神様が私たちにくださった大切なものだ。そして言葉は神ご自身でもある。

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ヨハネの福音書 1章 1節

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