人を恐れてしまうあなたへ

この世は、残念なことに相対評価がメジャーな評価基準になっていますね。学校でも職場でも、他者と比較していかに優れているかを問われます。なぜなら相対評価のほうが客観的なデータに落としやすいからです。評価するのは人であり、人の主観による評価であるのに、なんとも皮肉ではないですか?
そして絶対評価にならないのは、世の中すべての組織に予算という枠組みがあるからですね。企業が社員たちに給与として割振れる総額が決まっていますから。

そして、相対評価されながら生きてきた私たちは、自ずとこう考える癖がついています。

他者から自分はどう見られているのだろうか?こんなことを言ったら嫌われてしまうのではないだろうか?あの人のほうが優れているから私はダメだ。

とくに日本では、その傾向が顕著ですね。個性よりも協調性。でも個性的で協調性のある人たちは世界にたくさんいます。「個性」の定義を履違えないようにしたいですね。

ところで、英語では「あなたってユニークね」は、れっきとした褒め言葉です。唯一無二の存在だと認められているのです。

さて、周りの動向を見ながら、出過ぎないように窮屈に生きている私たち日本人って、人を恐れてしまいがちではありませんか?人の目。仲間の噂。人からの評価。

それによって自分らしさを発揮できない。
自分に自信を持てない。
自分をいまいち好きになれない。

私たちを造ってくださった神様は、私たちが想像できないほどの深い愛で私たちを愛してくださっています。「あなたらしさ」は、神様があなたに与えてくださった個性です。その個性を、神様は目的を持って、あなたに与えてくださったのです。それを使って、私たちは使命を果たすのです。

人の陰口や悪意を恐れないでください。

気が弱いあなたは、同じように気が弱い人の気持ちがとてもよく判って、誰よりも優しく人の思いを汲める人でしょう。

自分に自信を持てないあなたは、傲慢さや、我こそ一番といった高慢な心からもっとも縁遠い人です。神は、謙虚な心を持ったあなたをなにより愛しています。

聖書には、神に用いられ偉大なことをした市井の人たちが多く登場します。聖書に出てくる偉大なことをした人たちのすべてが、もともと立場の弱い小さな者たちだったのです。勇気が湧きませんか?

神は、小さな者を用いて、偉大なことを成し遂げるお方だということが、聖書を読むとよく判ります。

小さな私たちをこそ用いてくださるのが神です。

例えば、アメリカ大統領が世界を動かす大きなことをする。これは権限を持っている人だから当たり前です。そこに感動はありません。

小さな弱き者を、大きなことを成し遂げるために用いてくださる神に、私は神の大きな愛を感じます。神はそのような方だと信じる時、私にも何かを成し遂げられるかもしれないと力と希望も湧きます。

イエス・キリストご自身は、神の御子であるにもかかわらず、とても弱い立場、小さき者として、この世に誕生しました。神がそのようにされたのです。神のひとり子でありながら、貧しい夫婦の間に、そして当時はヒエラルキーの最下層であった羊飼いの家、しかも納屋で産まれたのです。神は、決して自分を誇らないお方です。私たちが、偉大な神に近づくのは大変です。ですから、神が私たちのもとへ降りてくださるのです。

実在したイエス・キリストのこと、そしてイエスが3日目に生き返って皆の前に現れ、40日間を皆と過ごしたことを、紀元1世紀の歴史家ヨセフスが自身の書いた歴史書に記しています。この歴史書は、聖書に継いで世界で2番目に発行部数が多いベストセラーといわれています。ちくま文庫から和訳が出ていますのでご興味のある方はぜひ読んでみてください。

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話が逸れましたが、人を恐れてしまい、自分らしさを出せない貴方、自分に自信がないが故に他者を助けることにも躊躇してしまう貴方、どうかこれだけは覚えていてください。

あなたを造った神が、あなたを愛しているのです。この世を造られた神を味方に持っている貴方に、なにを恐れる必要があるでしょう。
そして、あなたを、イエス・キリストが友と呼んでくれるのです。

ルカの福音書12章4-8節
(イエス・キリストの言葉)
そこでわたしの友であるあなたがたに言います。体を殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れてはいけません。 5羽の雀は2アサリオン(注:アサリオンは貨幣単位)で売られているではありませんか。しかも、その一羽も神の前で忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは多くの雀よりも、まさった者だからです。

この聖書のみことばの意味を見てみましょう。
神は私たちに、体、霊、魂を与えてくださいました。
体は年老いて弱り朽ちても、霊と魂が神の御元へ帰ります。人は、私たちの体を傷つけることができても、私たちの魂には手を出せないのです。
私たちに命を与えてくださった神が、私たちの寿命を定めてくださっています。私たちがいつ天に戻るかは神だけがご存知です。

雀たちさえをも慈しみ生かしてくださる神様が、私たちを見放すはずがありません。神は、私たちを造ってくださった方であり、私たちの思いもすべてご存じで、私たちから一瞬でも目を離しません。私たちの髪の毛の本数さえもご存じなのです。

私たちを造られた神は、私たちが名乗らずとも、私たち一人ひとりのことを、私たち以上に知ってくださっている方です。私たちが自分自身でさえ気づかない心の呻きもご存じです。私たちを造ってくださった神だからです。人が作った神ではなく、人を造った神なんです。

作者が一番その作品のことを理解していますね。それと同じです。

私たちは神の作品だからです。

エペソ人への手紙2章10節
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。

ローマ人への手紙 8章26節
御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、私たちのためにとりなしてくださるからである。

イザヤ書46章3-4節
(神の言葉)
生れ出た時から、わたしに負われ、 胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、 わたしに聞け。 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、 白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。 わたしはあなたを造ったゆえ、必ず負い、 持ち運び、かつ救う。

詩篇12篇5節
(神の言葉)
主は言われる「苦しむ人が踏みにじられ、貧しい者が嘆くから、わたしはいま立ちあがる。わたしは彼を、 その求める救いに入れよう」

イザヤ書41章10節
(神の言葉)
恐れるな。私はあなたと共にいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右手であなたを守る。



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