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泣いた日

前日までの登山で筋肉痛がピークだったこの日は、ほぼ移動のスケジュール。
ノルウェーのBergenから飛行機を2回乗り継いでスウェーデンのGotland島のVisbyという街に降り立った。中世の街並みが残る、城壁に囲まれた旧市街で、この日から数日間を過ごす。

空港からタクシーで小さなホテルへ向かう。かわいらしいこじんまりしたお部屋で、ちょっとのんびり。
していたのだが...
急に涙がぼろぼろ...
「せきを切ったように」とはこのことだな、と考えられるくらい冷静なままで、ただ拭っても拭っても溢れてくる涙。
こういうときは、無理に我慢しちゃいけないような気がして、せっかくひとりでいるのだから、思う存分泣いても許すことにした。
早く外に出て遊びたい自分が、泣いてる自分に体を譲ったような感じ。

何が悲しくて泣いてるのかって、ひとつではないし言葉にできるほど明確には分からない。
でも、ひとり旅をしていると時々、一人の楽しさよりも独りの寂しさが勝ることがある。

そうなると、砂の中で磁石を動かすと砂鉄がくっついてくるみたいに、寂しさにいろんなところに散らばっていた不安や哀しみや虚しさや恐怖がくっついてくる。磁石が電磁石だったら、電気を切ってあげれば砂鉄はポロっと落ちるはず。
寂しさの電源って切れるのだろうか。

少しだけ涙の勢いが落ちてきたので、今度は泣きたい自分が遊びたい自分に体を譲ることにする。

筋肉痛がひどいので、ゆっくりゆっくり、ただの散歩。
成田空港で一応借りたWi-Fiは、今回の旅ではまったく使えない(電波が入らない?)ため、迷子にならないように道を覚えながら、街の雰囲気を味わう。
とはいえ、もう夜で暗くなりかけているので、この日は夕日だけ見て帰ることにした。

翌朝、朝ごはんを食べにホテルの小さなカフェに来てみたら、座った席の前に従業員用のドアがあった。

まあるい窓に”Everything will be fine! ♡”
思わず笑顔になった。

なんだかかわいい色合いの朝ごはん、おいしい。

なんとなくつらかったりするとき、いつも偶然に、自然や人や言葉が、心をあたためてくれる。
たとえ自分に向けられたものではなかったとしても、その情景や状況に出会えたことに、心からありがとうって思う。
そういう一瞬は大事に覚えていたい。
日常では見逃してしまいがちだから。




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