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「人権」とは何か?『THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本』ブレイディみかこ著

イギリスで保育士として働き、日本で多くの著作がある著者が、2016年に4カ月、日本に滞在して、キャバクラの労働争議、デモ、保育園、貧困の現場などを取材したルポ。

人間に最後まで残るものが「人権」

最も印象深かったのは、財力、言語能力、体力、コミュニケーション力、友人などがあるならそれらに頼って生きていけばいいが、それらがすべてなくなったときに、それでもまだ頼れるものとして残るのが人権なのだ、人権は人を楽にしてくれるものなのだ(231-232ページ)という記述だ。

パンドラの箱に最後に残った「希望」のようなイメージが浮かんだ。

「役に立たなければ生きる価値がない」という呪縛

他者のことなら、役に立つ、立たないという尺度ではなく、どんな人の命も大切だ、と考える人は多いと思う(そういう人が大半だと思いたい)。

しかし、自分のこととなると、「人の役に立たないと生きている『価値』がない」などと考えてしまう人も結構いるのではないだろうか。

そう考えてしまうのは個人の問題というよりも、社会がそう思わせているところがあるのだろう。

この「役に立たなければ」という圧力はなんなのか?

難病を患う方が、「自分も人のためになることができると気付いて、生きる気力が湧いた」と発言することがある。それ自体はよいことだし、人に感謝されることで自尊心が満足するというメカニズムや欲求はよくわかる。それに、どんな状態のどんな人にも「ほかの人のためになる」ことがある、と言いたいのかもしれない。

だが、やはりそうした発言の裏には、「役に立たないままで生きていくのは難しい」という考えが潜んでいそうな気配がある。

「悲しむ人がいるから」というロジックの危険性

「あなたがいなくなると悲しむ人がいるから」生きて、というのもよく耳にする言葉だ。

しかし、これにも、「では悲しむ人が一人もいなかったら、生きなくていいのか?」というあまのじゃくな発想をしてしまう。

だが、もちろんそんなことはなくて、たとえ悲しむ人が一人もいなさそうでも、死んでいいことにはならない。

それでも人は時に、生きる理由を探そうとしてしまう。何かしら「説明」を求めてしまう。

理屈なしに受け入れたいこともある

現代社会は言葉に頼りがちだ。言葉で表現できないものはうさんくさいと捉える。

言葉で理解し合おうとするのも大切だが、大切なことはそれだけではない。命の火が燃えていれば、自分のでも他者のでも、その明かり、熱さを守りたいと思う。

そう思い続けるようにしたい。


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