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黄金を巡る冒険⑦|小説に挑む#7

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから

間もなくして老人のためのバスが来た。
それは月が無い寂しい夜のことだった。

彼女が僕に電話を掛けてきてから、大体一ヶ月が経った。
今日は新月だった。彼女から電話が掛かってきたときも、今日と同じで衛星が暗闇に紛れていた。

その日、僕は珍しく夜に家を出た。冷えた暗い夜だった。
月光の寵愛が無い世界はどこか不気味な雰囲気があった。

遠い昔、新月は不吉の象徴とされていた。
電気が見つかっていない時代、闇夜を照らす光が無いことは、やはり恐ろしいことなのだったのだろうか。今では月の寵愛を恩恵だと思う人はいないだろう。

僕はその日の夕食に、次のような献立を考えていた。
・スープ:カブのポトフ
・サラダ:ラディッシュのシーザーサラダ
・メイン:パンチェッタのペペロンチーノ

一日の予定が全く無いと、料理に身が入る。健康バランスと食べ合わせを意識してきちんと三品を作る。

時刻が17時を回り、僕は夕食の準備を始めた。
まずは温めたお湯にコンソメ顆粒を投入する。
そこに、カブ(その葉も一緒に)、人参、じゃが芋、ミニトマトを入れる。
そのまま15分ほど煮る。
ブロッコリーは形が崩れやすいので、根菜が柔らかくなったら投入する。

並行してペペロンチーノの準備に取り掛かる。
パンチェッタとニンニク、1.5mmパスタと…
そのとき、あることに気が付いた。
―― 鷹の目が無い。

鷹の目はペペロンチーノに絶対不可欠だ。あれが無いと味に締まりが無くなる。サッカーで言えばゴールキーパーが不在のチームみたいなものだ。キーパーは後方にてチームを支え、まとめ上げる役割を持つ。縁の下の力持ちだ。

鷹の目はペペロンチーノにとってそれである。
パンチェッタは水分が少ない分、小ざっぱりとしいて肉の旨味が目立つ。そこにニンニクと黒コショウの強い風味が加わると、どうしても味が偏ってしまう。それに彩も乾燥している。それはペペロンチーノではない。

鷹の目はどうしても必要であった。
僕はペペロンチーノの絶対的必需品を買いに、夜のスーパーマーケットへ行かなければならなかった。

外は冷えこんでいた。吐く息が白かった。口から出た白き水蒸気は、目の前の景色にもやをかけながら広がり、暗闇へと上っていった。その儚い靄は、ある程度まで昇ると決まって霧散してしまった。

その靄を見ながら、パスタを茹でる前に気がついて良かったと思った。
パスタを茹でてしまったあとでは手遅れだった。

スーパーマーケットへ向かう途中にある公園は暗闇に包まれていた。ぽつぽつと街灯は立っていたが、その蛍光は心許ないものだった。中央にある芝生の広場には街灯が無く、ことさらに暗かった。
芝生の中心にある大木は暗闇の中で月の光を失い、昼間の光景とまったく別のものに感じた。

英気を失ったのか、月を欲しているのか分からなかったが、その不気味さは何か見てはいけない世界の入り口に思えた。
そこに吹く風も、周囲の木々のざわめきも、不吉なものに感じた。
公園の生命は月光を失い、代わりとして別の何かを探し求めている。
それは栄養が足りない飢えの様であり、月光欠乏症だった。

遠い昔、新月は不吉の象徴にされていたと聞いたことがある。
日の光か月の光、どちらかが欠けると世界の均衡が崩れるのかもしれない。
そんなことを考えながら、僕は公園を抜けて老人の待つバス停へとたどり着いていた。

***

老人は寸分違わず、やはり例のバス停に座っていた。

――「このバス停は現在使われておりません」
青色のベンチには、やはりそう書いてあった。昼だろうと夜だろうと、それは不変の事実だった。

寒空の老人は、昼間と違って少し見窄みすぼらしく、どこにでもいるありふれた老人に見えた。彼は俯いたまま、ピクリとも動かずに座っていた。
その光景は、生と死の境を曖昧にしていた。

彼はきちんと生きており、僕に話しかけてきた。
「良いところに来たな。そろそろ時間じゃよ」

老人はピクリとも動かずに続けた。
「お主ともこれでお別れじゃ。だがそれはこの世界に限ってのことである。お主はこれから長く険しい旅に出るじゃろう。酷なことだとは思うが、それがお主の使命であり人生なのじゃよ。だがお主が困ったとき、わしらがお主のそばに付いておるから安心して進みなされ」

僕は老人を真っ直ぐ見て、そして大きく頷いた。
僕は老人を信じていた。彼は僕の友人だ。

バスの光が遠くの車道から見えた。
その光は老人のバス停を照らし、老人の影をどんどん大きくさせて、遂には老人の影を消した。

バスは赤色の外観をした大型のものだった。
窓越しに、老人がバスの中へと乗る姿が見えた。
彼はこちらをちらりと見てから、後ろから三番目の席に座った。

バスは老人を連れて走り去ってどこかへ行ってしまった。
行先は分からない。だが老人は少し嬉しそうだった。
彼はこちらを見た時、少しだけ微笑んでいた。僕の頬に一滴のしずくが流れた。

老人が去った後には、青色のベンチと小さな看板だけが取り残されていた。
そのベンチにはこう書いてあった。
――「このバス停は現在使われておりません」

***

僕は鷹の目を手に入れ、遅くなった夕食の準備を再開しようと鍋に火をかけたと同時に、玄関のチャイムが鳴った。
僕はため息をつき、火を止めて玄関に向かった。
玄関の扉を開けると、そこには彼女が立っていた。

「遅くなり申し訳ありません。あなた様をお迎えに上がりました」

彼女はとても綺麗だった。

第七部(完)


二◯二四一月
Mr.羊

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