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創作大賞2024 |黄金をめぐる冒険㉝

黄金を巡る冒険①


知っている言葉と知らない言葉。
残っている感覚と消え去った感覚。
覚えている記憶と忘れてしまった記憶。
浮かび上がる夢と奥底に沈んだ過去。

それらが連結し相互に作用していくことで、僕の中で一つの体系を成す。認識がどんどん曖昧になっていき、概念の色が白い空間の中でとろけるようにぼやっと滲んでいく。
そういえば”孤独”は何色だったのだろう。

***

本を読み続けて一ヶ月が経とうとしていた。この期間で僕は多くの”失われた感覚”を学んだ。学ぶたびに僕の覚えていない過去が記憶へと上昇していくのを感じる。あまりにも多くの情報が洪水のように僕の脳を混沌とさせた。混沌は分別を欠落させ、夢と記憶がぐちゃぐちゃに混ざり合って過去の現実性を不確かにしてしまう。
眠るたびに、そして起きるたびに自分の現在地が分からなくなる感覚があった ―。

また目が覚めた。いや、眠ったのか? 夢と現実の境界線がはっきりしないせいで分からない。

「思考が乱れているぞ同志諸君。自己をしっかりと認識するのだ。まず諸君は今どちらに居るか分かっていないな。地に足が付いていない。それでは純粋思考による世界の解を導くは不可能だ。思考の質が劣悪だと諸君がこれから対峙する概念に到底太刀打ちできないのは理解しているだろう? 何故全ての言葉を取り込んでいると思う。それは諸君の言語体系を完璧にするためだ。諸君は私を認識することでその第一歩を既に獲得している。諸君は資格を与えられたのだ。”超人”に成り得る資格が」
”孤独”の声が聞こえた。

「分からないんです。僕の意志とは無関係にシステムがどんどん変わっていって、僕の頭なのに全く使い方が分からなくなってしまう。僕は今どこにいるんでしょう……」
「諸君が混乱するのも無理はない。情報の整理が行き届いていないだけだ。それは自然と脳の中で処理されていき、いずれ整理が行き届く。諸君はその混沌の中で思考だけは不純無く研磨しなければならない」

”孤独”は続けた。けたたましく大仰と。
「最後にこれだけは助言しておこう。私は現実にしか存在し得ない概念だ。夢の中での”独り”はあくまで”一人”という単位の感覚しか有さない。困ったら私を思い出すといい」
そして声が止んだ。

僕は言われた通りに思考を続けた。現実と夢の区別がつかなくなると”孤独”を思い出した。また本を開き、知らない言葉を吸収する。無限に広がる荒野の中にまた言葉が落とされていく。それは荒野の欠けた一部にぴたりとはまり、確かな足場を形成して僕の進むべき道となる。
多くの道ができていた。欠けている部分は、残り少ない。

***

一ヶ月が経ち、通例のごとく受付に今日読むべき本を借りにいくと、そこにはいつもより本が少ないように感じた。思索にふけっていると、後ろから声がした。
「それで図書館の本は最後だ」
短白髪の管理人が満足そうに笑っていた。

「最後と言うのは、僕はこの場所に貯蔵されている本を、そこにあるもの以外読んでしまったということでしょうか?」
「その通り。君はこの一カ月、よくやってくれた。素晴らしい忍耐力と集中力だよ。やはり、期待通りの能力だね。そこにある本を読めば、君は全ての言葉を司る言語体系を手に入れるんだ。ある意味で君は全知の存在となる」
「本読んでからというもの、ここが夢なのか現実なのか、その認識が曖昧になっているんです。それに僕の頭の中で過去というものがあやふやなんです。昔の記憶なのか、それとも前に見た夢だったのか、それすらも判別がつかない。そんな僕が全知の存在となるのでしょうか?」

男勝りの短髪に、一切不純の無い白髪。管理人はその髪型に相応しくはにかんだ。
「今の君の頭の中は出来かけのパズルのように、部分的にピースが欠損している状態なんだ。ピースは言葉だ。君は残りの本を読み上げ、そのパズルを完成させなければいけない。パズルの完成は君の言語体系の完結、つまりコーパスが構築するということになる」

コーパスの構築? それが僕の認識の根本となるのだろうか? コーパスが完成したら彼女を救うことができるのだろうか?
僕は受付に座る彼女を見た。彼女はやはりきょとんとしていた。

「とにかく今日で本読みは終わりだ。きれいさっぱりね。あとは一つの偶然を待つだけさ」
「その偶然とはいったい……」
「偶然は、偶然だよ。君が考えて偶然が起きるわけではない。一刻も早く彼女を救いたいなら本を読むことが、君にできる最良だろう?」
僕は頷き、彼女から本を借りて、椅子に座りそれを読み始めた。

ついに残すはあと一冊となった。終わりを告げるその紙の集合体を彼女の手から受け取る。重みのある本だった。言葉の重みが本を伝ってずっしりと僕の指に圧をかける。威厳と品格を持つ圧力だ。
ページ数はそこまで多くなさそうだが、見たこともない柄で飾られたカバーが本の厚みを冗長させていた。嫌に仰々しくて、しばらく開かずに表紙だけを眺める。表紙の装飾を目で追ってみる。すると、柄だと思っていた形が文字であることに気付いた。
仮名や漢字とは全く違う、アルファベットでもなければハングル文字でもアラビア文字でもない、まったく未知の言語。ルーン文字に似てるが、もっと構造が複雑で、一文字に様々な意味が含まれているように多くの要素が組み合わさってできている。

これまで見たことのない文字なのだが、不思議と全く抵抗感が無い。この違和感は何だろうか? 読める気がする。僕は心の中でその文字を唱えてみる。
「XXXX」

僕の中で何かがかちりと嵌った音がした。歯車が噛み合うように、パズルのピースが入るように。僕はこの文字を読むことができる、いや、この言語を理解することすらできる。そう確信した。なぜかは分からない。

本を開いてみる。ページをめくるたびにその言語を理解していく感覚があった。初めて読んだとは思えないほど、親しみ深く僕の目へと文字が飛び込んでくる。その中で、ひと際輝く言葉があった。
何度も繰り返し口に出したくなるような響きをもつ、とても素敵な言葉だ。彼女に聞かせなければ、そう思った。なぜかは分からない。

僕は受付の彼女のもとへと行き、聞いて欲しいことがあると彼女に言った。彼女はきょとんとして僕を見た。
「とても綺麗な言葉を見つけたんだ。見たことのない文字だから、発音が合ってるか分からないけれど、素敵な言葉には間違いないんだ。是非君に聞かせたくてね」
彼女はきょとんとしている。
僕は咳払いをし、喉を整えてその文字を発音した。
「XXX」

僕は照れくさくなり、首に手を当てて、彼女の手が置いてある机の上を見て言った。
「どうかな、君に似合うと思うんだけど……」
彼女は指一つ動かさずに固まっていた。彼女の反応はない、当たり前だ。
「やっぱり忘れてくれ。最近の僕は、おかしいんだ」

ふと、机に雫が落ちた。純粋なその密度が机の上で弾けて散る。細かい飛沫しぶきが空気を濡らし、残った雫は机に滲んでいった。何度も散って、滲んでいく。それは彼女の顔から溢れたたくさんの涙だった。

「ごめん、そんなつもりじゃ無かったんだ。君を泣かせるつもりなんかこれっぽっちも……」

「とても素敵な言葉ですね」
声が聞こえた。一番待ち望んだ声だ。
何度この声が聞きたいと思っただろう。どれだけ待ち焦がれていたか。
世界がこの声を隠すというのなら、何度でも世界に立ち向かおう。この声だけは、もう絶対に奪わせない。目頭が熱くなていくのが分かる。

「記憶が戻ったんだね」
「はい。あなたのおかげで戻ることができました」
「本当に君なのか……」
「約束しましたから、あなたの隣にちゃんといるって」

一つの偶然。そして、”闇”が急に世界を覆った。

第三十三部(完)
Mr.羊

黄金を巡る冒険㉞


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