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  • 夜鷹つぐみの遺品

    「夜鷹つぐみ」という一人の人物は、いつの間にか「夜鷹」と「つぐみ」の二人に分裂していた。愛と救いと安眠を巡って、それぞれがそれぞれの仕方で喘ぐ。

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最近の記事

祭司と踊り子

カメラ...「自然体」(=より自然に近き者、即自態、談笑)を客体=被写体として俯瞰し視界の外から収めるもの。その主体はその中に写ることがなく、身体を持たない。 それは、談笑にアンガジュマンしている者たちに、アンガジュマンしないという仕方で最低限のアンガジュマンを試みる者である。ところで談笑が喫緊のものとなるのはハレの日なのであるが、カメラを持ち出すことは即ち、その場を「ハレ」として、その大義名分を仲介することでこのアンガジュマンを可能にするのである。 ーー恐らく歴史にも二

    • 強姦の事例(1)

      ノンバイナリー?それもまた結構。しかし今回は構築された表象を問題にしよう。即ち、〈男〉表象と〈女〉表象だ。もし「人は女に生れるのではない、女になるのだ」(ボーヴォワール)というのが正しいならば、そもそもこのバイナルな二つの表象は、〈女〉表象が構築されるに伴って生成したものである。とすれば、このバイナルな構図を脱色していった先に目指されているものが「女なき世界」だというのは正しい。しかしそれは以上のことから明らかなように「男しかいない世界」のことではない。もうお分かりかもしれな

      • (2020/8/15)

        「人間が嫌い」と言った君こそ人間を愛し 「人間が好き」と言った僕の方が人間嫌いで 言葉を放り出す君は快活に喋って 「言葉にしろ」と言う僕ばっかりが押し黙る吃音症

        • 孤独の事例(1)

          孤独とは、時間をたった一人で支えなければならないことだ。大抵の場合は、常に誰かの声や何かの物音が聞こえ続けており、これが私を孤独になる前に繋ぎ止めている。そしてまた孤独を打ち破る最初の契機もまた、この〈物のざわめき〉である。(音が時間であることはやがて述べられることだろう) ここから振り返って、観念論や独我論が孤独と呼ばれる所以も理解される。我々はこれらの力で、あらゆるものを私の支えの上に背負いこむ。独り暮らしの一室、独房というのは私の肥大した頭部であり、ここに他者の顔は現

        祭司と踊り子

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        • 夜鷹つぐみの遺品
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          音楽の事例(1)

          音楽が時間の芸術であるとするなら。 我々は、さも当たり前のように「作品」ということを言う。また時には、その「作品」の形態として「デジタル」と「アナログ」ということを言う。 さて、いま私の目の前にある一曲の音楽「作品」があり、これを私はiTunesで聴く。ところで、「音楽作品がある」とはどういうことだろうか?試しに、この曲が「デジタル」ではなく「アナログ」であったらどうか、と考えてみよう。そのとき、私はこの曲をいかにして享受するか?例えば絵であれば、似たような図柄がパソコン

          音楽の事例(1)

          字句通りの大地と脚が麻痺する孤独

          「SはPだ」という人々。しかしその実、誰もSがPであることを主張してなどいないらしい。だから、ソリスが「いや、SはPじゃないよ」と言ったところで、何の意味もない。相手はすぐに、「そういう話はしていない」と返す。だからそのうちソリスは代わりに、「但し君のその「SはPだ」と言うのは、SがPだということではなくて、君が〈エスワピーダ〉という叫びや嘆息を漏らすような状態にあるということでしかない、という意味だね」と言うようになり、そのうちそれも言わなくなった。誰も、SがPであることを

          字句通りの大地と脚が麻痺する孤独

          遺稿51番

          冬の夜の風鈴。

          遺稿84番

          痴話喧嘩を見たり行ったりする度に思うことはと言えば、人生、即ち人としての生はスポーツだということである。そのことによって、「生は剽窃である」(『生誕の災厄』)のだ。

          肉に埋まったナイフの羽根

           先日、つぐみが毛づくろいをしていたときのことだが、驚くべきことに、全く穏やかな色合いに生え変わってしまったと思っていた羽毛の中に、一枚、鈍く輝く刃のような黒羽根が混じっていたのである。つぐみは当然、こんなものが混じっていてはたまらない、と思ったわけだが、間もなくして、安心感のようなものが漂ってきた。確かにこれは夜鷹の羽根であって、彼の痕跡は、たとえかつては一枚残らず消え去っていたとしても、今確かにこの手元に残されているのである。厳しい寒空に研磨されたそのナイフは、翼の一振り

          肉に埋まったナイフの羽根

          遺稿75番

           大丈夫。もう少しすればまた段々と暖かくなってきて、夏が、そして夏特有の〈死にたさ〉がやってくる。 春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、それぞれ特有の〈死にたさ〉がある。いずれにしても〈死にたさ〉だ。しかし、それぞれ違った色合い、風合い、味わいがあって、なかなか愉しむに堪えるのである。

          サントベール『デカルト的筋書』ノート

           本稿は、Emmanuel de Saint Aubert, "Le Scénario Cartésien - Recherches sur la Formation et la Cohérence de l’Intention Philosophique de Merleau-Ponty", Paris, Librairie Philosophique J. Vrin, 6, Place de la Sorbonne, V, 2005.の読書ノートである。メルロ=ポンティ研

          サントベール『デカルト的筋書』ノート

          遺稿90番

          味噌汁の香りを腹一杯に吸い込んだ朝。ほんの一瞬、人間を美しいと思えた。

          絶望の事例(1)

           「生きている意味は無い」「死ぬべきだ」という言葉を巡って、ある一つの問題がある。つまり、その言葉は、――〈女〉として、身体として――鬱病の症状や、たまたま嫌なことがあった日の愚痴であるのか、それとも――〈男〉として、精神として――合理的に推論された学的主張であるのか、という問題である。つまりは、Negativismusを「反抗癖」と訳すか「否定主義」と訳すかという問題である。  ここで、絶望の構造について一つの洞察を述べておこう。――このようなことを今更述べなければならな

          絶望の事例(1)

          遺稿21番

          泣き言の行き場は無い。よって、速やかに泣き止むべきである。ところで、「泣き止む」とは「息を引き取る」の謂いではないだろうか?

          遺稿45番

          死の間際に見た青灰の髪の少女は、バス停でイヤホンをしていた

          遺稿32番

          「もう ぜんぶ いやだ」って文字を打つ一押し一押しが いやだ